2013年12月27日金曜日

今年も良く遊び、良く遊んだなあ

クヌギ林はすっかり雪の中。
四駆にしたので何とかたどり着けた。時折落ちる雪の音を聞きながら一人さびしく三日ほど過ごし、ことしは最後になるであろうと思いつつ下山。

時々行く大分で一番美味しいと勝手に思っている喫茶店に行くと、そこへ建設会社を息子さんに譲ったばかりの元社長が姿を現す。
「おや、お久しぶりです」と、会話が弾んで、マスターが競馬にはまっていることにおよび、博打の話になった。
「「いねむり先生」と言う本を読みましたか。あれはアサダテツヤの実話ですよ。」と元社長。
「へー、あのアサダテツヤですか、又の名を色川武大。読んでません。著者は伊集院静でしょ。きらいなんです、夏目まさ子をたらしこんだ男でしょ、許せません。」とわけのわからないことを言う私。

でも、こっそり買って読んでいると、やくざのヤマちゃんから「お茶しよ」と電話。
いつもの本屋の喫茶店で会うと、「これ読んでみる?」と持ってきたのが、伊集院静の「男の流儀」。
私もじわーっと「いねむり先生」を出す。
あれー、と言う顔のヤマちゃん。そこで本の交換。
どちらの本も博打のことがいっぱい書いてある、主に競輪と麻雀。私のようなはぐれ者にはこたえられない。

今年も麻雀を腹いっぱいやってきた。
連れ合いは「いいかげんにしないと身体を壊すよ!」と厳しい視線を送ってくるが、長男は「ま、やれるうちはいいんじゃないの」と援護してくれる。

来る年もかわらず打ち続けることになるだろうなあ。

2013年12月14日土曜日

焼き芋と大根間引き菜の茶漬け

クヌギ林は寒い。一度は雪も降ったらしい。かっては小屋の中までツララが下がっていた。
今年はシイタケの出来が良くない。手入れがよくなかったのかと心配だが、ご近所も余りよくないようで、そんな年なのかなと納得させている。
過日、寒い中で焚き火を盛大にしながら隣人たちを呼んでコーヒーと焼き芋の雑談会となった。間食はしない、と宣言していた隣人たちも、寒いのと焼き芋のあの思い出に負けたのか、私の提案に迷わず賛成したのだった。
ぬらした新聞でくるんで焚き火の中に放り込んで20分くらい、もういかんべと言う私の動議に名古屋のじいさんも「良いでしょう」と同意して、焼け焦げた新聞紙のかたまりを掘り出して「あち」と口々に楽しみながら食いついたのだった。
美味い、実に美味い。が、わずかに芯がある。
「あと、5分でしたね」と名古屋のじいさん。
「でもやっぱり美味しいね。時間の目安もわかったしね」と東京からの逃亡者。
こんな時間が今は至高の時なのだ。
落ち葉たちがじゅうたんとなって、あたりの景色を一変させている中、わずかに畑の中では大根の葉がひときわ緑を際立たせている。
間引き菜の漬物で、さらさらと茶漬けを食べようと思うのだ。

2013年12月1日日曜日

悪文のノーベル賞作家

クヌギ林は霙模様。明日は雪が降るかもしれないという予報。
一ヶ月ぶりに会う隣人とコーヒーを飲みながら、四方山話。
「大江健三郎がなんだか新しい本を出しているよ」
「へえ、久しぶりだね、もう小説は書かないんじゃなかったの?」
「ぱらぱらとめくってみたが、読みやすそうなエッセイかな?」
下界に降りていつもの本屋で手にしたが、買って読もうとまでは行かなかった。
学生時代には大江は神様だった。
当時、大江を語らない学生はほとんどいなかったくらいに、バイブルのような存在だったと思う。
ところが、「万延元年のフットボール」くらいからなんだか読みにくいなあという感触が先に来て、しんどい小説になったと記憶している。

参議院候補になった大先生の本を編集した時、校正のたびに前より多くの書き込みが帰ってくるので、「先生、大江じゃないんだからこんなに書き換えられるといつまでも終わりませんよ!」と抗議したことがある。先生は「へえ、大江さんはそんなに校正のたびに書き換えるの」と、うれしそうに微笑んだことがある。何か勘違いしているのではと、少しばかりむっとしたのだが・・・。

大江夫人の証言によると、大江の作品の最初の読者は夫人だそうで、「お父さん、一度で良いから最初に書いた原稿のままで本にしたらどうですか。手が入るたびに読みにくくなっていくような気がするんですけど」と言ったことがあるとか。
大江の文章が下手な翻訳家のつぎはぎだらけの文章になっているのは、書き込み書き足しが多すぎる結果ではないかという我輩の予測は夫人の証言で裏づけられたと一人合点したものである。

しかし今でも大江は私にとって神様である。
たぶん今度の本も近いうちに手にすることになるだろう。