2014年12月22日月曜日

久しぶりの山小屋はシンシンと

何かの本を読んでいて「浅草弾左衛門」なる小説があることを知り、早速図書館へ。
塩見鮮一郎という聞いたこともない人が書いている。書棚でようやく発見したが、この本は三巻ものなのだが一巻しかない。
そうか、誰かが借りているのだと納得し、隣に三巻でそろっている「車善七」を読んでみることに。この人は非人頭。そうあの江戸時代の士農工商えた(漢字が出てこない)非人(これも出てこない)の非人のこと。
実に読みごたえがある。
こうなると「弾左衛門」も読まずにはおれない。
走って図書館へ。(本当は車で)ところが相変わらず第一巻だけ。ついに司書さんに詰め寄った。
「ちょっとお嬢さん!この本はどうして揃ってないの?」
なんのことはない。あわてて一階の書庫のあると表示してあるのを見逃していただけのことだった。
いま二巻目を読んでいるが、この本もすごい。明治維新までつづくそうだから、白土三平の「カムイ伝」のようなものか。
しばらく行ってなかった山小屋へ三日程行ってきたがめちゃくちゃ寒かった。こちこちに凍ったシイタケと、凍土から掘り出した里芋をお土産に逃げて帰ってきたところ。


2014年12月10日水曜日

悪い政治家ともっと悪い政治家

「暇か?」と問われれば、暇にはちがいない。
「ならば、少し手伝ってほしい」と言われれば、嫌いな道ではないから「いいよ」となる。
というわけで、衆議院選挙の事務所に顔を出すはめになった。だから公示からこっち産山に行けていない。
隣人のメールではすでに雪が降っているようだ。ブログを覗くと、雪景色の写真がでている。
今年は少しはやいようだ。2月の大雪を思い出して対策を立てておこうと思い、タイアを山積みしたカーショップでスタッドレスタイアをお願いしたところ、この車に合うタイアはいまなくて、取り寄せても一週間程かかるという。
ビックリ仰天、「無いの?一週間なの?」としばしあぜん。
結局車を買ったメーカーに頼んだ。
それはまあいいとして、選挙だ。
自民党はそれ程大負けはしないだろうなとは思っていたが、マスコミの予想は大勝ちだそうで、ちょっとビックリ。私が手伝っている選挙区も自民の圧勝と出た。
冷静に考えると、なるほど国民は偉いかも。
民主党政権を任せますか、と問えば「それはこらえてくれ!」「もうフラフラのごちゃごちゃはいやだ」となるのだ。ましてや他の野党は当てにならない。
元外務省の佐藤優さんは、「日本には悪い政治家と、もっと悪い政治家と、どうしようもない政治家しかいない。国民は仕方なく悪い政治家を選んでいるのだ。」というようなことをいったが、言い得て妙だ。
さて、どんな悪い政治家が選ばれるのかな。

2014年11月24日月曜日

我ながら、良くやった!!!!

ここ数年刈ってなかった笹林を、何を思ってか綺麗にしてやろうと取り掛かった。
そして半分ほどすっかり綺麗にして、刈り取った笹も燃やしてしまって大満足したのだったが、
「ほう、すげえ、やるもんですねえ」などと褒められると、まんざらでもない。
今年はここまでと決めていたのに、ついちょうしにのって残り半分にも手を出してしまった。
刈るのに二日。一日乾かして、刈った草を集めながら燃やすのだが、これがオオゴト。集めては燃やし、一日かかって足を棒にして、一万二千歩歩いて、ようやく燃やし終えたときには、自分の行動力に感動したものだ。

しかし、今回の目的は堆肥の準備をすることだったのだ。そのために隣のお米屋さんから糠もらってきたのだし、途中のdlyで鶏糞も買ってきたのだ。
これがまた例年のことながら大変。もう書くのもいや。でも、始めなければ終わらない。と思って嫌々始め、タバコ休憩、コーヒータイム、ちよっと隣へ、などとさぼりながらなんとか終了。

東京からの逃亡者が「よくやるねえ」とほめてくれた。

2014年11月13日木曜日

久々に芥川仁を発見

岩波新書から芥川仁さんの「里の時間」と言う本が出版されたことを知って、いそいでいつもの本屋へ出かけ、わくわくしながら買い求めた。
芥川仁さんは写真家で、何を隠そう私の高校の後輩。ずーっと昔、友人の家で一度だけ会ったことがある。その時「写真はカメラしだいです。いい写真はカメラが良ければそこそこいい写真が撮れるものです。」と言った言葉が、彼の謙遜のように聞こえ好感を持ったのを覚えている。
彼はその頃「土呂久」に取り組んでいた頃だと思う。
記憶に間違いがなければ、大学の先輩の初任地がその近くの小学校で、一度遊びに行って授業をさせてもらったことがある。
そのあとだったろうか、新聞記者を辞めてトロクを追いかけていた人が「亜ヒ焼谷」と言う本をやはり岩波新書から出したのではなかったか。
仁さんは、水俣を取材して写真集「水俣~厳存する風景」や、大分の豆腐屋作家松下竜一の日常を撮って「世界」のグラビアを飾ったりして、そのたびに私は誇らしく思ったものだ。
さて今回の「里の時間」、なかなかの仕事。写真は少し点数が少ないし、何気ない平凡な写真なのだが、これまでの彼の仕事につながりを持ち、さらにこれからの行く道を暗示するような、人が何を価値として生きていけばいいのかを考えさせてくれるのである。
哲学者たちも、経済学者たちも、資本主義のどん詰まりに来ているように見える今日の、行くべき道を模索しているのだろうが、芥川仁もまたそのようなみちを模索しているように見える。

2014年11月2日日曜日

国民のレベルが政治家のレベル、なんだって

戸無ガ原は椎茸の時期になった。
六年もののホダギと二年もののホダギがあるが、二年ものが最盛期になったようでまさに鈴なり状態である。
ちなみに近所の住民もみんな作っているがポチポチで、我が家の出来具合を見て敵意をあらわに「どうして!?」と詰め寄って来るほど。

米原真理の読書日記のなかに山城新伍の「現代-河原コジキ考」という本のことが紹介されていて、その出版社が解放出版となっていて、山城新伍とどうつながっているのかという感想をもったのだった。
で、山小屋の帰り図書館に寄って借り出して一気に読んでしまった。
役者風情の割には結構良くかけている本で、(こういう表現を山城は好みかつ猛烈に反発するのだが、私は敬意を込めて役者風情と言う)出版社がこの本を出した意味も良く理解できる。
この人は本当に子供のようにまっすぐ、自分に正直に、差別や人間の悪意と闘って来た人なのだとよくわかる。

来年は統一地方選挙の年だ。
私の周りでもボチボチそれらしき動きが現れはじめた。
その国の国民の良識以上の政治家は生まれないのだそうだから、やっぱり国民市民がしっかりと自分の頭で考えて、政治家を選んでいく以外に新しい社会は望めないのでしょうね。

2014年10月13日月曜日

吉永小百合を殺してはイケない

久しぶりにあった山小屋の隣人と夕食を取った後、映画の話しになって、隣人がいま話題になっている吉永小百合企画-主演の「不思議な岬の物語」を観なければ、とうれしそうにしているのを見て、
「あの女優は大根だからね」と言うと、
「でも、あの歳でいまだに可愛いからね!」と反論されて、納得してしまった。
それにしてもこの映画の宣伝はすごい。あらゆるメディアを使って広報に勤めているようだ。
それで、台風が近づいている土曜日、この映画の封切日、別府に帰る途中の映画館によってしまったのだ。
本編が始まるまでの宣伝や予告編が 長すぎたのが多いにイケなかったのかもしれない。もう頭に来て「いいかげんにしろ、こんなのもには金を払っていない。」と怒鳴ってやろうと思ったほどだ。
気が短くなっていけない。
この映画、要するに何を描きたいのか判然としない。カットがぶつぶつ切れていて私の脳細胞ではつなぎきれない。テーマらしきものは感じるがこれも盛り込み過ぎで消化できない。
それに吉永小百合の演技が良くない。最もこれはある程度織り込みずみではあったが、それでも良くない。
たとえば、佇んでいるだけでも役者はなにか「物を言う」。佇んでいる意味があるのだが、小百合ちゃんには何も感じない。表情が乏しいのだ。
台詞も心もとない。声が悪いのだと思う。
小百合ちゃんは峠三吉など反戦詩の朗読をしている。テレビで何度か聞かせてもらったが、はっきり言って下手だ。朗読にふかみがないのだ。こちらの心の中に染み込んでいかない。
吉永小百合という名声だけでこの映画を見せようと言うのであれば、少し悲しい。
もっといい女優がたくさんいる。企画が小百合ちゃんであれば企画力も怪しくなる。
本当の企画者はもっと考えないと。

2014年10月8日水曜日

世の中にはすごい奴もいるもんだ

運悪く、佐藤優の文庫本を手に取りパラパラとめくってみた、と思っていただきたい。
運悪く、目に留まったページが米原真理のことについて書いてある箇所だった。さらに、そこで紹介されている彼女の本の題名が「打ちのめされるようなすごい本」というのだ。
これだけで十分打ちのめされるが、さらに(よせばいいのに)この本を探して、買ってしまった。
もうこうなると怖いもの見たさに抗えず、読んでしまうのは自然の成り行きと言うものだ。
米原真理と佐藤優の関係がまた面白い。
方やロシア語の通訳、こなた外務省ロシアスクールで、共にロシアつながりで昔から交遊があったのかもしれない。佐藤が鈴木宗男事件に連座して逮捕されるというその前日、親しくしていた人々が連絡を控えている中、米原は「あなた、明日からまともなオマンマは食べられないでしょうから夕食でもどう?奢るわよ。」と電話してきたらしい。
「そう願いたいところですが、マスコミに張られていて身動きとれません。」とていねいにことわったそうだ。
さてその本、米原の読書日記のようなもので、誠に面白い。その読書量もさながら、読書力、批判力、楽しむ力、まさに打ちのめされる。
米原は確か数年前ガンでなくなったと思うが、小生もせっかくガンの仲間入りをしたのだから、すこしでも近づきたいものだと、打ちのめされつつも、そう願わずにいられない。
よせばいいのに、少し事情があって柄谷行人の「世界共和国へ」を読み直さねばならなくなって、交互にすこしづつ読んでいるところ。
不思議に山小屋にも抱えていくのだが、ここでは一向にすすまない。たぶん気候がいいせいだとおもう。