2011年4月25日月曜日

タラの芽に感謝の時季です

 この時季はなんと言っても、タラの芽だ。我が家の林を歩き回って、とりあえず見当をつける。
 だが今取れそうなのは少ない。仕方が無い。隣近所の林も盗み見て回る。するとすぐ隣の林にはこれ見よといわんばかりに林立している。ちっと早いかなと思うものが多いが、ちょうど良いものも少しある。
 これは我慢すべきでない、と言い聞かせる。我が家のものを数本、隣人のものを数本、神に感謝しながらへし折る。そして少しだけ良心が痛むので「ほんのすこしだけタラの芽をいただきました」とメールを打っておく。これでアリバイは完璧である。
 その夜、どんな夕食であったかは改めて書く必要も無いだろう。
 こんな姿のものをだれがいったい、こんなにおいしいと発見したのだろうと、言い合いながら食べたのです。

2011年4月22日金曜日

リヤカーの復活で「東電のバカやロー」

 クヌギ林で使っているリアカーのタイヤがパンクしていた。このリアカーが使えないと結構困ることがある。堆肥を作るための落ち葉や刈り草を集めるためには必要なものだし、果樹たちに肥料をまくのにも重宝している。
 そもそもリヤカーがほしいと思ってあちこちのDIYの店を回り見つけ出すことができず、大分にあるリヤカーのメーカーまでたずねてその価格にたじろいでしょげ返ったものだ。たまたま訪ねた店の一番高いところに小さなリヤカーの取っ手らしきものを発見した時には恋人を見つけたときのような興奮を覚えた。
 先日自転車のパンク修理キットを買って勇躍産山へ。昔やったことがある自転車の修理と同じ理屈だと思って取り掛かったが、どうしてもホイールからタイヤをはずせない。これがはずせないと中のチュウブが取り出せず修理ができないのだ。苦戦すること1時間余り、今日は日が悪いとあきらめた。
 翌日冷静になって取り掛かると、なんとホイールそのものを二つに分解するようになっていたのだ。チュウブを取り出し2箇所の穴を修理して恐る恐る空気を入れると、哀れ、すぐに空気が漏れていることがわかる。そうそう、バケツに水を汲んでつけてみるのだ。別に2箇所の穴を発見した。
 かくして見事に修理を終えて、わがリヤカーは復活した。
 どこかの電力会社のように、どこでもれているか、どれだけもれておるか解らず、いつ修理できるかも計画が成り立たないようでは、われわれの仕事はできないのだ。ふん。
 

2011年4月15日金曜日

パーマカルチャーってなあに?

 パーマカルチャーという言葉をはじめて知った。池澤夏樹の小説「光の指で触れよ」に出てきて、小説の中でも説明されていたが、ネットで調べておおよそのことはわかった。 要するに、福岡正信の自然農法の考え方に、できるだけお金を介在させない社会構造を作って、持続する生産可能な社会にしていこう、という考えだと理解した。(違うかもしれないけど) ポイントは「自然から何も奪わず、何も加えないこと」「自身は何も生産しない貨幣を関係の中心におかないこと」にあるようだ。 なるほど、と思いつつ、いつかどこかにあったような生産関係ではなかったかと、悩む。いっぽうで、そんなことがこれだけ消費文型がはびこった世の中で実現できるのだろうか、実現できたとしてもごく小さな集団の中でしか無理ではないか、とも考えてしまうのだ。 この年になって、悩むことが多いのだな。 でも面白い。

2011年4月6日水曜日

もしも東京電力の社長だったら

 東京電力の犯罪は明白となった。高濃度放射能汚染水を説明も無く垂れ流していたことに対して、今日の漁協会長の怒りに満ちた補償要求は東京電力社長を縮み上がらせていた。  この要求は同時に菅直人にも向けられるものである。「あなたたち何も信用できない。福島はもちろん、すべての原発を撤去してもらいたい」。 東京電力の経営陣の責任は逃れようも無い。 だが待てよ、と思う。もしも私が社長だったらどうか。どのような判断ができただろうか、と考えてしまう。いったい彼らにはなにがしかの判断をする権能があるのだろうか。何か大きな魔力に縛られているのではないか、彼らのたぶん有るであろう善意や正義など発揮できないような魔力に。 さてあなたが東京電力の社長だったら、どうしますか。