2014年12月22日月曜日

久しぶりの山小屋はシンシンと

何かの本を読んでいて「浅草弾左衛門」なる小説があることを知り、早速図書館へ。
塩見鮮一郎という聞いたこともない人が書いている。書棚でようやく発見したが、この本は三巻ものなのだが一巻しかない。
そうか、誰かが借りているのだと納得し、隣に三巻でそろっている「車善七」を読んでみることに。この人は非人頭。そうあの江戸時代の士農工商えた(漢字が出てこない)非人(これも出てこない)の非人のこと。
実に読みごたえがある。
こうなると「弾左衛門」も読まずにはおれない。
走って図書館へ。(本当は車で)ところが相変わらず第一巻だけ。ついに司書さんに詰め寄った。
「ちょっとお嬢さん!この本はどうして揃ってないの?」
なんのことはない。あわてて一階の書庫のあると表示してあるのを見逃していただけのことだった。
いま二巻目を読んでいるが、この本もすごい。明治維新までつづくそうだから、白土三平の「カムイ伝」のようなものか。
しばらく行ってなかった山小屋へ三日程行ってきたがめちゃくちゃ寒かった。こちこちに凍ったシイタケと、凍土から掘り出した里芋をお土産に逃げて帰ってきたところ。


2014年12月10日水曜日

悪い政治家ともっと悪い政治家

「暇か?」と問われれば、暇にはちがいない。
「ならば、少し手伝ってほしい」と言われれば、嫌いな道ではないから「いいよ」となる。
というわけで、衆議院選挙の事務所に顔を出すはめになった。だから公示からこっち産山に行けていない。
隣人のメールではすでに雪が降っているようだ。ブログを覗くと、雪景色の写真がでている。
今年は少しはやいようだ。2月の大雪を思い出して対策を立てておこうと思い、タイアを山積みしたカーショップでスタッドレスタイアをお願いしたところ、この車に合うタイアはいまなくて、取り寄せても一週間程かかるという。
ビックリ仰天、「無いの?一週間なの?」としばしあぜん。
結局車を買ったメーカーに頼んだ。
それはまあいいとして、選挙だ。
自民党はそれ程大負けはしないだろうなとは思っていたが、マスコミの予想は大勝ちだそうで、ちょっとビックリ。私が手伝っている選挙区も自民の圧勝と出た。
冷静に考えると、なるほど国民は偉いかも。
民主党政権を任せますか、と問えば「それはこらえてくれ!」「もうフラフラのごちゃごちゃはいやだ」となるのだ。ましてや他の野党は当てにならない。
元外務省の佐藤優さんは、「日本には悪い政治家と、もっと悪い政治家と、どうしようもない政治家しかいない。国民は仕方なく悪い政治家を選んでいるのだ。」というようなことをいったが、言い得て妙だ。
さて、どんな悪い政治家が選ばれるのかな。

2014年11月24日月曜日

我ながら、良くやった!!!!

ここ数年刈ってなかった笹林を、何を思ってか綺麗にしてやろうと取り掛かった。
そして半分ほどすっかり綺麗にして、刈り取った笹も燃やしてしまって大満足したのだったが、
「ほう、すげえ、やるもんですねえ」などと褒められると、まんざらでもない。
今年はここまでと決めていたのに、ついちょうしにのって残り半分にも手を出してしまった。
刈るのに二日。一日乾かして、刈った草を集めながら燃やすのだが、これがオオゴト。集めては燃やし、一日かかって足を棒にして、一万二千歩歩いて、ようやく燃やし終えたときには、自分の行動力に感動したものだ。

しかし、今回の目的は堆肥の準備をすることだったのだ。そのために隣のお米屋さんから糠もらってきたのだし、途中のdlyで鶏糞も買ってきたのだ。
これがまた例年のことながら大変。もう書くのもいや。でも、始めなければ終わらない。と思って嫌々始め、タバコ休憩、コーヒータイム、ちよっと隣へ、などとさぼりながらなんとか終了。

東京からの逃亡者が「よくやるねえ」とほめてくれた。

2014年11月13日木曜日

久々に芥川仁を発見

岩波新書から芥川仁さんの「里の時間」と言う本が出版されたことを知って、いそいでいつもの本屋へ出かけ、わくわくしながら買い求めた。
芥川仁さんは写真家で、何を隠そう私の高校の後輩。ずーっと昔、友人の家で一度だけ会ったことがある。その時「写真はカメラしだいです。いい写真はカメラが良ければそこそこいい写真が撮れるものです。」と言った言葉が、彼の謙遜のように聞こえ好感を持ったのを覚えている。
彼はその頃「土呂久」に取り組んでいた頃だと思う。
記憶に間違いがなければ、大学の先輩の初任地がその近くの小学校で、一度遊びに行って授業をさせてもらったことがある。
そのあとだったろうか、新聞記者を辞めてトロクを追いかけていた人が「亜ヒ焼谷」と言う本をやはり岩波新書から出したのではなかったか。
仁さんは、水俣を取材して写真集「水俣~厳存する風景」や、大分の豆腐屋作家松下竜一の日常を撮って「世界」のグラビアを飾ったりして、そのたびに私は誇らしく思ったものだ。
さて今回の「里の時間」、なかなかの仕事。写真は少し点数が少ないし、何気ない平凡な写真なのだが、これまでの彼の仕事につながりを持ち、さらにこれからの行く道を暗示するような、人が何を価値として生きていけばいいのかを考えさせてくれるのである。
哲学者たちも、経済学者たちも、資本主義のどん詰まりに来ているように見える今日の、行くべき道を模索しているのだろうが、芥川仁もまたそのようなみちを模索しているように見える。

2014年11月2日日曜日

国民のレベルが政治家のレベル、なんだって

戸無ガ原は椎茸の時期になった。
六年もののホダギと二年もののホダギがあるが、二年ものが最盛期になったようでまさに鈴なり状態である。
ちなみに近所の住民もみんな作っているがポチポチで、我が家の出来具合を見て敵意をあらわに「どうして!?」と詰め寄って来るほど。

米原真理の読書日記のなかに山城新伍の「現代-河原コジキ考」という本のことが紹介されていて、その出版社が解放出版となっていて、山城新伍とどうつながっているのかという感想をもったのだった。
で、山小屋の帰り図書館に寄って借り出して一気に読んでしまった。
役者風情の割には結構良くかけている本で、(こういう表現を山城は好みかつ猛烈に反発するのだが、私は敬意を込めて役者風情と言う)出版社がこの本を出した意味も良く理解できる。
この人は本当に子供のようにまっすぐ、自分に正直に、差別や人間の悪意と闘って来た人なのだとよくわかる。

来年は統一地方選挙の年だ。
私の周りでもボチボチそれらしき動きが現れはじめた。
その国の国民の良識以上の政治家は生まれないのだそうだから、やっぱり国民市民がしっかりと自分の頭で考えて、政治家を選んでいく以外に新しい社会は望めないのでしょうね。

2014年10月13日月曜日

吉永小百合を殺してはイケない

久しぶりにあった山小屋の隣人と夕食を取った後、映画の話しになって、隣人がいま話題になっている吉永小百合企画-主演の「不思議な岬の物語」を観なければ、とうれしそうにしているのを見て、
「あの女優は大根だからね」と言うと、
「でも、あの歳でいまだに可愛いからね!」と反論されて、納得してしまった。
それにしてもこの映画の宣伝はすごい。あらゆるメディアを使って広報に勤めているようだ。
それで、台風が近づいている土曜日、この映画の封切日、別府に帰る途中の映画館によってしまったのだ。
本編が始まるまでの宣伝や予告編が 長すぎたのが多いにイケなかったのかもしれない。もう頭に来て「いいかげんにしろ、こんなのもには金を払っていない。」と怒鳴ってやろうと思ったほどだ。
気が短くなっていけない。
この映画、要するに何を描きたいのか判然としない。カットがぶつぶつ切れていて私の脳細胞ではつなぎきれない。テーマらしきものは感じるがこれも盛り込み過ぎで消化できない。
それに吉永小百合の演技が良くない。最もこれはある程度織り込みずみではあったが、それでも良くない。
たとえば、佇んでいるだけでも役者はなにか「物を言う」。佇んでいる意味があるのだが、小百合ちゃんには何も感じない。表情が乏しいのだ。
台詞も心もとない。声が悪いのだと思う。
小百合ちゃんは峠三吉など反戦詩の朗読をしている。テレビで何度か聞かせてもらったが、はっきり言って下手だ。朗読にふかみがないのだ。こちらの心の中に染み込んでいかない。
吉永小百合という名声だけでこの映画を見せようと言うのであれば、少し悲しい。
もっといい女優がたくさんいる。企画が小百合ちゃんであれば企画力も怪しくなる。
本当の企画者はもっと考えないと。

2014年10月8日水曜日

世の中にはすごい奴もいるもんだ

運悪く、佐藤優の文庫本を手に取りパラパラとめくってみた、と思っていただきたい。
運悪く、目に留まったページが米原真理のことについて書いてある箇所だった。さらに、そこで紹介されている彼女の本の題名が「打ちのめされるようなすごい本」というのだ。
これだけで十分打ちのめされるが、さらに(よせばいいのに)この本を探して、買ってしまった。
もうこうなると怖いもの見たさに抗えず、読んでしまうのは自然の成り行きと言うものだ。
米原真理と佐藤優の関係がまた面白い。
方やロシア語の通訳、こなた外務省ロシアスクールで、共にロシアつながりで昔から交遊があったのかもしれない。佐藤が鈴木宗男事件に連座して逮捕されるというその前日、親しくしていた人々が連絡を控えている中、米原は「あなた、明日からまともなオマンマは食べられないでしょうから夕食でもどう?奢るわよ。」と電話してきたらしい。
「そう願いたいところですが、マスコミに張られていて身動きとれません。」とていねいにことわったそうだ。
さてその本、米原の読書日記のようなもので、誠に面白い。その読書量もさながら、読書力、批判力、楽しむ力、まさに打ちのめされる。
米原は確か数年前ガンでなくなったと思うが、小生もせっかくガンの仲間入りをしたのだから、すこしでも近づきたいものだと、打ちのめされつつも、そう願わずにいられない。
よせばいいのに、少し事情があって柄谷行人の「世界共和国へ」を読み直さねばならなくなって、交互にすこしづつ読んでいるところ。
不思議に山小屋にも抱えていくのだが、ここでは一向にすすまない。たぶん気候がいいせいだとおもう。

2014年9月16日火曜日

もうすっかり秋の気配です

朝夕は涼しさを超えて肌寒くなってきた。
隣の爺さんは、「ストーブを入れようかと思ったよ」と気の早いことを言っていたが、まんざら大袈裟でもない。
今年は天候不順のせいかブルーベリーのできがよくない。実はたくさん着いているのだが、うれきらないまま時期を過ぎてしまったようだ。
でもでも、毎年作っているジャムはなんとかして作りたい。我が家のベリーだけでは全く話しにならないので、隣家の気を狙う。隣家には10数本のベリーがあるがさいわいなことに本人は全く興味を失っているし、最近は山登りに異常に興味を覚えたらしく「今年は年齢の数々だけのぼるぞ」と、ほとんど小屋に寄り付かないのだ。
こっそりとではなく、公然と3日に一度くらい盗みに入り、すこしづつ冷凍庫にためこんでいったもので、かなりのジャムを作ることができた。
先日現れたとき夕食に呼んで、帰りに3つの瓶をわたし「プレゼント」と言うと「ほとんど俺ん家のだろ」と、もう少しほしそうなかおつきだった。
このところ円安が続いている。
「どうしてか」と元過激派の投資コンサルタントにきくが、いろいろ説明する割には全然理解できない。多分彼もわかっていないと思う。
資本主義の世界に住んでいるのだから、資本の論理で世の中は進んでいるのだろうが、人間の思惑や欲の皮のはりぐあいまでは論理の計算には入っていないのだろう。
まだ、競輪の目のほうが読みやすいかもしれない。

2014年9月3日水曜日

日本映画が頑張っているよ!!!

今年は日本映画が頑張っている。4月に観たのは、「そこのみにて光かがやく」。これは何と言っても池脇千鶴がよかった。
夜は怪しげなスナックで体を売る商売をして親兄弟を養う女を演じる。
女の強さと優しさをあますところなく表現し、こんな女ならどこまでもついていこうとおもう、男としては少し情けないところか。
6月には「春を背負って」がよかった。これは前に書いたかな。
8月には「私の男い」という桜庭一樹の小説を映画化した話題の映画が強烈。中年の男と少女の凄まじい恋と性の話。
主演の男役は浅野忠信、台本を読んで、この映画を他の役者で見る訳にはいかないと即決したとか。女役は二階堂ふみ、いま茶々役をしている可愛い娘。この組み合わせがたまらなくいい。16才の女の子が目茶苦茶大胆な演技をするし、中年の男が静かに受け止める。
つい先日は「ふたつめの窓」を観た。これは川瀬直美監督が自信いっぱいでカンヌに送り出した一品。
舞台は奄美大島。高校生で幼なじみの男と女の子が村の習俗のなかでやさしく強く大人になっていく、というようなお話。ややこしくいえば、現在改めて注目され見直されている共同体なるものの原初を体感するような物語、とでも言おうか。
邦画も馬鹿にならないのだ。

2014年8月23日土曜日

何とかタブレットにクタクタ

次男坊の嫁さんから何とかタブレットは要るかと聞かれ、わけのわかからないまま、要る要ると返事していたら、怪しげな機械が贈られて来たのだった。こいつと格闘するものの我輩の脳細胞ではいかんともしがたく、悶え苦しんでいるうちに日は過ぎていくのであった。
聞けば、この機械を山小屋で使うには今のガラケイをスマホに変えなければならず、その費用とて馬鹿にならない上に、月々の使用料も一万円近くもかかるらしい。
どうしてもそうしなければ、日々の生活が成り立たないのであれば仕方ないが、我輩はまったくそのうな差し迫った事情はない。
しかしいまどきの若者はこれがなければ生きて行けないのだそうだから、同情に値するが、大変な時代にいきているのだなと、文明の進歩に文句の一つもいってやろうかとおもう。
我輩のような腐れかけた脳細胞の持ち主にしてみれば、全く価値観が違うから、今のガラケイにしても月々1500円の使用料さえも我慢ならんと感じるのに、二万三万は当たり前と言われるともう卒倒ものである。
山小屋でも使えるようになるよ、と言われてかなり誘惑されたが、どうにか踏ん張っている。
といいつつ、このblogはその何とかタブレットで書いてみた。

2014年8月10日日曜日

へんちくりん会議を提案する

紀元前から賢い人がたくさん出てきているのに、どうして戦争をやめさせることができないのだろう?と言うのが最近の疑問で、目下最大のテーマである。
その賢人たちのほとんどは「どうすれば世界の平和を実現できるか」を考えてきたのだから、もういいかげん戦争をなくしてもよさそうじゃないか、と思うのだ。
国家と言うものが戦争の原因になっているのなら、国家をなくしてしまえば良いだろうに。人間の欲望が争いごとを起こしているのなら、欲望を禁止してしまえば良いだろうに。
などとよからぬことを考えてしまうのだ。
と言うわけで、山小屋に竹林の七賢人ならぬ「へんちくりん会議」をいつでも開催できるように会議場を作ろうと思い立った。
名古屋の爺さんが、天文台を作ったらやることがなくなった、と嘆いているのを聞きつけ、「小屋のひさしの伸ばして集会所を作ろうと思っている、と持ちかけると「ぼくにやらせて!」といってくれた。
ぼくも少し手伝って5日ほどで2間3間ほどの立派な集会所ができた。
これで、世界の紛争問題に対する処方箋が描けるはずだ。
もう残り少ない人生なのだから、少しは人類に感謝される事業を残しておかねばならない、と強い決意で作った「少し大きめのひさし」である。

2014年7月13日日曜日

一念発起、読書ノートを作る

佐伯泰英の「吉原裏同心」と言う小説をNHKがドラマにすることを知って、「山ちゃん!あんた
持っておろうが!貸しておくれ!」と電話。
「あるで、いま21巻まででちょる。」
「なぬ、そんげや、ならとりあえず10巻まででいい」
「いいよ、いつもの喫茶店にもって行くよ。」となり、いま猛読中。面白い。
山にも持って行って読んでいると、一癖ある隣人いわく「佐伯泰英は藤沢周平の模倣じゃ。おもしりいかええ?」といつもの調子。
「そうかねえ、周平のチャンバラはこんな奇抜な剣を使うというだけのことで、それはそれなりに面白いけど時代や社会を描いていないよ。その点佐伯は面白いけどなあ。」とやんわり反論。
「・・・・・」再反論はなかった。
それにしてもこの佐伯さんちょっと書きすぎ。現在進行中の続き物だけでも4~5本はあるんじゃないか。儲かりすぎて、熱海にある超有名な人の別荘を買い取って住んでいるとか。
枯れなきゃ良いけど。
しかし、山ちゃんには文句を言った。
「他の読みかけの本が読めなくて困る。どうしても手元にあると面白いチャンバラに手が行ってしまう。どうしてくれる。」
たとえば「国際秩序」細谷雄一著(中公新書)、「地球進化~46億年の物語」ロバート・ヘイゼン著(bruebacks)、などはもう数週間も持ち歩いている。
このパターンはあまりよくない。経験では、最後まで読み通すことがあまりないからだ。
そこで一念発起。読書ノートを作ることにした。買った本は先ずこのノートに題や著者、出版社を書く。そして必ず1ページはメモなり感想を書くことを自分に課したのだ。
しかし、まだ始めて1週間くらいだからきれいなもんだ。

2014年6月28日土曜日

「チョコレート・ドーナツ」と「春を背負って」

本格的な梅雨になったので山小屋に行く機会が少し減った。
こうなると映画で時間を過ごすことが多くなる。何しろその日をどうやって過ごすかが最近の課題なのだ。
一昨日は「チョコレート・ドーナツ」を観た。
これはゲイのダンサーと地方検事、それに薬中の母親にかまってもらえないダウン症の男の子が助けあって暮らしていこうとするが、さまざまな差別にあって共同生活を破壊されてしまうという物語。実話にもとづく話らしい。
身につまされる映画である。
昨日は「春を背負って」を観た。
山小屋を経営する父と、ふもとで民宿を営む母。その息子は都会で金融トレーダー。父が突然死に、息子があとを継ぐことを決意。一人前になるまで手伝うと現れる父の友人、身寄りのないアルバイトの娘、見事な景色の中で織り成す、ともに生きると言う詩のような世界。
なんとはないドラマなのだが不思議と涙が流れて仕方がない。(まだそれなりの感性は残っていたのかなと自分にびっくり)
でも、何か良いことをしたような気分で、となりの喫茶店で余韻を楽しむ。
山の隣人に「いい映画だったよ」とメールすると、となりの県から「いまから見るところ」と返信。これにも少し感動。
うれしくなって大好物の塩豆大福を買って郷土史の先生を訪ねる。
「もう足腰が言うことを利かなくてね、運転免許を返上することにした。」と寂しそう。
「梅雨が明けたら、また産山に山女を食べに行きましょうね」

2014年6月10日火曜日

ちりめん山椒を作ってしまった

梅雨の晴れ間、クヌギ林は過ごしやすい時季。
木陰に輪切りのテーブルを据え、盗んできたイスを並べてコーヒータイム。集まってくる住人もなにやらいつもより楽しそう。
話題は相変わらずどうでもいいこと。だがそれが不思議に弾んでしまうのは、季節のせいか。
名古屋の爺さんが「ここには山椒の木がたくさんあるねえ、少しもらってもいい?」と唐突。
「どうぞ、いっぱいあるよ。切ってあげようか。」と剪定鋏を持ち出すと、「いいよ、自分で必要な時に採るから」。
「でも、なんにするの?」
「いや、この前テレビを見ていたらいろんな料理に使えるんだよね。やってみようと思って!」
そうなんだ、以前は古い友人の奥方がよく採りに来ていたんだ。降りる時にとってかえろうっと。
友人の家に寄るつもりでいたのに、つれあいから「久住のハムを買ってきて」と言われていたのを思い出しいつもの道とは違う道を走ったために、古い友人の家に寄れずに大量の山椒を持って帰ってしまった。
別府に帰り「要る人が要れば近所に配れば」と少し威張って。
その日の夕食。なんと長男が「これがたまらんのだ」と、卵メシの醤油の代わりに自分で買ってきたちりめん山椒をたっぷり乗せてさくさくと美味そうに食べたのだ。
「そんなに美味いか?」と少し盗んで味見。確かに美味い、香りがいい、時々感じるぴりりがまたいい。
「よし、父ちゃんが明日死ぬほどちりめん山椒を作ってあげよう」と宣言。そして今日。
「これでいいか?」とつれあいに聞く。なんだか不満そう。「なにかな?」「塩分は十分よねえ」と言うので、「よし蜂蜜を出せ」と思いつく。
これで万事解決。思いのほかできのいいちりめん山椒となった。

2014年5月25日日曜日

やっぱり博打は血がたぎる

久しぶりに戸無原の住人が勢ぞろいした。もしかして今年初めてか?したがって、集会も長い。つもる議題についてそれぞれがあれこれ報告し、それぞれがチャチャを入れる。
ちかくの建築屋が飛び入り参加するに及んでカメラの話題になって異常に盛り上がる。それぞれが持っているカメラの長所を言い募る。
「カメラの値段や新しさじゃあんめえ!要は撮った写真の出来じゃ。まあ腕前じゃな」と誰かが言うと、不満を残しつつも、うなずかざるを得ない。
久々に楽しい集会であった、と言うことにして散会。

下界に下りて、明日は映画にでも、と思っているところにやくざの山ちゃんからメール。「別府記念が始まったよ!!」
「明日の体調が良かったらいこうか?」
「了解!」と言うことで、交渉成立。
そして翌日、途中の喫茶店でコーヒー片手にスポーツ新聞とにらめっこをしているところにメール。
「体調が優れないので本日は休場です。」体調のことを言ったのは私のことなのに。
仕方ない、今日は独力で戦わなければならないと腹をくくっていざ戦場へ。さすがにS級選手が出場する記念競輪とあって客が多い。若い人が多いのに驚く。中にはベビーカーを押しながらのカップルもいる。ふむ、時代は変わりつつあるのか。
成果はまったくゼロ。一レースも中らない。
山ちゃんに「4コーナーまでは当たっているのに!!」と泣き言メール。「あせらずに、落ち着いて!1」と慰めメール。
「明日は頑張ろうね」と決意メールを送って、戦場をあとに。




2014年5月18日日曜日

中国という国をどう理解するか

最近、特に中国の言動がおかしい。まるで傍若無人だ。
橋爪大三郎の「ふしぎな中国」によれば、あの国は国家ではないのだそうだから(橋爪氏は必ずしも否定的には書いていないのだけれど)、国際法だのというものはないに等しいのだろう。
古い友人は(彼は確か中国生まれだったか)、「中国共産党は共産主義の政党とは考えないほうがいいんじゃないの。今や中華思想を体現する民族主義の塊じゃないのかね」とややこしいことを言う。
そうか、昔から「おらが国が世界の中心だ」と思い続けてきたのだった。それに経済力も軍事力も人口も「世界の中心」を主張するに充分になってきたので、当たり前のことを言い始めたと言うことにすぎないのだろうか。
とすれば、朝献外交で「親分、よろしく」と言う姿勢で臨めばうまくいくということか。もっともそれはずーっと昔のことで、今の中国を理解するのはかなりむつかしい。
と言うわけで、山小屋でも議題にはなるのだが、まったく盛り上がらないのですぐに「カラス害にどう対処するか」と言う侵略問題に移ってしまうのである。
ブルーべりーの花が咲いて、ヒヨドリがいたずらをする。モグラが縦横無尽に穴を掘って困る。すずめ蜂の女王らしき奴が飛び始めた。 おちぼち対策を講じなければ。と議題は多いものだから中国の歴史的解釈ばかりに時間をかけるわけにも行かないのだ。

2014年5月5日月曜日

ジャガイモの芽かきはどうするの?

その後スタップ細胞とやらの騒動はどうなってしまったのかな。なにやら、人間の欲望とか業のようなものが絡まっているような気がしてならないのだが、考えすぎか?
山の定期集会でも議題になったが、「あの子は若くて可愛いくて思わぬ成果を出したものだから、たぶん周りが足を引っ張っているのだと思うよ」と私が主張するのへ「なるほどそういう見方もあるね」と賛同してくれた村人もいたのだ。
さあて、どう転ぶかね。
それはさておき、タラの芽はてんぷらで、土筆は卵とじで美味しく食べましたが残念ながら蕗の薹は採りにいけませんでした。あのほろ苦いあじは記憶の中だけになりました。
先週、畑の手入れをしていたら、めったに話しかけてこない変わり者のお隣さんが近づいてきて「ジャガイモが元気よく芽を出していますねえ、うちなんかまだまだですよ」と声をかけてきた。
「おやそうですか。結構深植えをしたんですがねえ。もう少ししたら芽かきをしようとしようと思っているところです。」と言うと「いや、もうやっていいですよ。春は一本残し、夏は二本残しといいますよ」と言う。
「ええ!!そんなことはできません。一本ですか?できん!」これまでもそんなことはしていないのだ。
いったん去っていた変わり者の隣人が「ウドをたべますか?」と言ってきた。「もちろん食べます」と答えると、「蕗は?」と聞く。
そしてウドを数本と蕗を一抱えも持ってきてくれた。「たくさんできていますからいつでもとってください。」と過去数年分をいっぺんにしゃべって帰った。
ウドはてんぷらと酢味噌和えにして、蕗はイリコと煮てとても美味しくいただいた。
翌日、ジャガイモの芽かき。気が弱い私は頑張って二本のこしだ。

2014年4月26日土曜日

さすらいの庭師にまた助けられた

ドラム缶焼却炉の威力を楽しみながら小さなクヌギの腐食した山を制覇した。
しかしこれに満足してはいられない。物置の横には数倍もある雑木の山があり、その下には大きな木の株が埋まっているのだから。
制覇した山にはバケツ4杯もの幼虫たちが住んでいたのだから、ここにはいったいどれくらいの住人がいるのだろうと恐ろしくなる。
雑木は私の怪しげな腰つきでも容易に運び出せる。湿っているので広いところに放り投げて乾かすことにする。
不思議なことに、カブトムシの幼虫たちはほとんどいない。どうしてそうなのかはまるで解らない。
問題は下に埋まっているクヌギの株だ。
悪戦苦闘して5本の株は掘り出したが、大物数本はどうしても動かない。だめだ、コーヒーにでもしよう。あきらめ気分を漂わせながら、少しふてくされながら、一人寂しくコーヒーを飲み外に出るとなんとさすらいの庭師の車が来ているではないか。
さりげなく「お、どうした!今日は休みか?」と近づく。
「ええ、相棒が沖縄に行ったのでしばらく休みです。今日は祖母山に登ってきました。」と言う。結構、結構、大変結構。
「じゃあ、晩飯うちで食う?」これは、彼を見かけたときのいつものせりふ。
「はい、いただきます」これもいつもの答え。
「木の株を掘り起こしているんだけど、動かないのがあってね・・・」と、これもさりげなく。
すぐ食いついてくるのが彼のいいところ。「やりましょうか!」とすばやく地下足袋をはく。
何のことはない、彼らにかかれば朝飯前ならぬ晩飯前だ。あっさり片付けて、「ついでに割っときましょう」と大きな斧を持ってきて割り始めた。
さすがに割れない株があったらしく、「これは異常に硬いですね。」と言うので「少し乾いてからチェンソーで切るよ」となぐさめて、「晩飯は6時ね!ありがとう」と感謝。
本当にタイミングよく現れる庭師である。

2014年4月18日金曜日

カブトムシの幼虫がうじゃうじゃ

6年位前シイタケのホダギにした残りのクヌギを、隣人が薪にしたいというので輪切りにして積み上げていたのがそのままになっていて、ほとんど腐ってしまっていたのを片付けたいと思っていた。
近くのガソリンスタンドに頼んでドラム缶焼却炉を作ってもらい、掘り返して燃やしてしまおうとしたところ、なんと中はカブトムシやクワガタの幼虫の楽園になっていた。
出るわ、出るわ、バケツで4杯の幼虫がすんでいた。
さて、こいつらをどうしたものか?
以前、堆肥に入りこんだときには、雑木林に穴を掘って埋めてやったのだったが、今回はあまりにも多いし何しろよだきい。
結局選んだのは、クヌギ林に撒き散らすこと。
東京からの移住者が「大丈夫?」と疑問を呈するが、「何匹かは生き残るでしょう?下は腐葉土になっているし」と自分に言い聞かせるように答えたのでした。
これで彼らの産卵場所が減ってしまったことに、少しばかりの申し訳なさを感じますが、果樹たちには結構悪さをするので「ハーフハーフ?」かなと慰めています。
ドラム缶焼却炉は見事に役割を発揮してくれました。半ば腐り湿っているクヌギの丸太を2日ですっかり片付けてくれました。
願わくば、あの幼虫たちが成虫になってくれるようにと祈るばかりです。

2014年4月4日金曜日

炭竈はさくらも人も満開

竹田の白丹、炭竈のしだれ桜を見てきた。
途中、川床と言うところには見事な桜並木があったのだが、おととしの水害ですっかり流され見る影もなくなっていた。昨年隣人を連れて行ったとき、改修工事をやっていてなーんにもなくなっていていそがしく行きかうダンプの砂埃に追い立てられるように逃げてきたのだった。
その川床は、悲しいほど見事に立派なコンクリートに囲われた川に変貌していた。
やはり川は、自然のままの川がいい。

はっきりと思い出すのは、時折風に吹かれて舞い落ちる桜並木の下を若いお母さんが乳母車を押しながらゆっくりと散歩する姿だ。こんな山奥の里山には似つかわしくないほどカラフルでまるで絵の中から出てきたような景色に見とれたのだった。
橋の上からカメラを構えてフレームに収めようと試みたがどうにもうまくいかない。石段を降りてさりげなく撮ろうとしたのだが、そのときすでに若い母親は向こうのほうへ向き直っていて、その姿をカメラに納めたのかどうかすら忘れてしまった。

「炭竈の枝垂れが満開だよ」と隣人にメールで知らせると、「そうだ、満開だ、いま見てきた」と返信。何のことはない、ほとんどすれ違いで見に来ていたようだ。

2014年3月27日木曜日

春の足音が早いねえ

ようやく梅の花が咲いた。
昨年は初めて相当の梅を収穫して、梅干と梅ジャムを作った。今年も期待できそうだ。
サクランボも3分ほど花をつけている。
名古屋の爺さんに言われて、ナポレオン種をうえたばかりでこれには花をつけていないので今年も結実は見込めない。
福寿草はまだ固いつぼみをつけた状態で頑張っている。
「どうやって株が増えるのかねえ?」と昨年だったか隣人に質問したとき、「アリンコが種を運ぶらしいぞ」という答えだったが、ほんとかな?
連れ合いが数年前撒き散らしたクロッカスがあちこちで咲き誇っている。
村人は野の花がいいと言うが、この花もなかなか可憐でいい。
キツネのカミソリがたくさん新しい葉を出している。いきよい良く伸びていったん枯れ、9月頃になるとにょきにょきと花を咲かせる。
シイタケは全盛。不思議と隣人たちの棚はおとなしいが我が家のシイタケたちは騒々しい。
近所の陶芸家から茗荷の苗をもらったので、昨年いったん壊した畑を起こして丁寧に植えた。
ラディッシュも、残り物2種、新たに買ったもの1種を植えた。これはあまり失敗がない。
ついこの前、雪に閉じ込められて悲鳴を上げていたのに、と思うとうそのようだ。

2014年3月18日火曜日

いやー、腰がいたいよお~

まだ雪だまりが残っている山道を抜けて、山小屋へ。四日ほど遊んできました。
お蔭で少し腰痛気味です。何しろ80個以上のジャガイモの種を植えてきたため、虚弱体質の私には重労働です。
おまけに、サトイモも欲を張って植えてきました。これは、昨年とても美味しかったので、夢よもう一度と言うわけです。
  
クヌギ林は静寂に包まれていました。
東京からの逃亡者はどういうわけか「用事ができた」といって、東京にお出かけ。名古屋の爺さんは「親戚の結婚式が近くあるので」といってお出かけ、一ヶ月くらい遊んでくるそうだ。そのほかの村人も姿を見せず、結局4日間誰にも会わず、誰とも会話せずという状態。
冷やかしに来るカラスにも何か話しかける按配で、少し寂しい里山でした。

行く時に、暇に読むものをと思ってもって行った数冊の本も開かないままでした。腰が痛くて、長椅子にゆっくり座って相撲を観戦するのがやっとで、やはり歳かなあと一人ごちです。
でも、この前の雪堀のときはもっとハードな仕事をこなし、一晩寝れば翌日はまた頑張れたのですからあながち歳のせいではないはずだと思ってみたりしています。
先々週は一年半ぶりにゴルフにも行けたし、足腰を鍛えればまだ何とかなると励ましています。

2014年3月12日水曜日

蕗の薹を採りに行くぞ

ようやく雪が解けた。
といっても、一昨日朝起きたら一面真っ白になっていてびっくりしたが、これは午前中に解けたので一安心。
さあ、畑を起こさなきゃ。小型耕運機を引っ張り出して耕していく。宮崎のアニーが言っていたように雑草も一緒に鋤きこんでいく。快調だ。今年はジャガイモを多めに植えるつもりだ。
隣人は「いろんな種類を植えるといいね」と、人の畑のことをよく心配してくれる。昨年も、少しここらを貸してくれといって、アンデス種らしき種芋を植えてご満悦だった。
堆肥と石灰を入れて、もう一度引っ掻き回してとりあえず終了。来週には植え付けだ。

福寿草はまだ小さな葉が出てきたばかりで、こころもとない按配。でも今年もとりあえず芽を出してくれたので良いとしよう。近くのダムの辺りでは昨年たくさんのふきのとうを採ったのだったが、あれは枝垂桜の時季だったか、少しその前だったか、これも偵察に出かけてみなければ。
梅はまだ硬い芽を少し赤くしているだけでなかなかガードが固そうだ。
雪で倒れたヤマモモの木は、いつの間にかさすらいの庭師が植えなおしてしっかり支えもしてくれていた。さすがにみごとな仕事ぶりだ。
姿を見かけると「おおーい、めしを食うか!」と養っているので、こういうときは便利だ。

五木寛之の「風の王国」を読んだ。サンカをテーマにした物語。柄谷行人なんかが、共同体のあるべき姿のひとつにサンカやジプシーを注目しているらしいことに刺激されてのせつな的な行動だ。
少し追いかけてみようと思っているところ。
ようやく春めいてきた。少し蠢いてみるかな。

2014年3月1日土曜日

「凡庸の罪」か!?、大変だ

豪雪に幽閉されて、10日目に脱出してから、立て続けに映画を4本も見てしまった。まるで、今見ておかないといつ観れるか解らないという脅迫でもされているように。
「オンリー・ラバーズ レフト・アライブ」これは、何百年も生きている吸血鬼が生きにくくなった現代を嘆きながら、地球の将来を考えると言うお話。
「鑑定士」これは、超有名な古美術鑑定士と、世間から隠れて生きている女性との異様な愛のはぐくみを描いたもの。
「ハンナ・アーレント」これは、ドイツ系ユダヤ人の女性哲学者が、ナチス親衛隊の生き残りアイヒマンの裁判を傍聴して、哲学者の立場から人間の行動をレポートするが、それがアイヒマンを擁護しているとしてユダヤ各界から非難される、と言う実話に基づいたお話。
特に私の印象に残ったのは彼女の言う「凡庸の罪」と言うこと。アイヒマンの罪は紛れもなく死に値するが、ナチス下でユダヤ人たちをたばねていた世話役(彼らもユダヤ人)たちは無為のうちにナチスに協力していたのではないかという問題提起だったのだが、「お前はそれでもユダヤ人か!」と的外れの大合唱に苦しめられる。なかなかの考えさせられる映画だった。
もう一本は「ちいさいおうち」。主演の女の子がどこかの映画祭で賞をもらったと言う山田ようじ監督の作品。
やくざのヤマちゃんが、「映画をみたで!」と電話してきて「何の映画?」と聞くと「忘れた、評判の映画!」と言うから「もしかして、ちいさいおうち?」と言うと「お、それそれ」と言うものだから、翌日見に行った。
これもなかなかの映画だった。
クヌギ林はまだ30センチも雪が残っているらしい。もう少し様子を見るとしようか。

2014年2月23日日曜日

幽閉生活からの脱出作戦

何気なく雪の状況を見てみよう、と思って出かけたのがいけなかった。
くぬぎばやしの山小屋にたどり着くと、20センチほど積もっている。これくらいなら何とかなる。わが愛車がわけもなく突き進み、小屋についた。
ところがその夜から大雪になったのである。翌日も降り続き、なんと積雪は60センチほどにもなってしまった。
それでも、どこかで高をくくっていた。食料はあるし、水は出るし、灯油も数日分は大丈夫だもんね、と言う感じ。
ところが、それから3日も降ったりやんだりで、一向に雪が解ける気配はない。
山小屋に来て5日、ついに食料や灯油が心配になってきた。
近くにいる陶芸家が県道まで車で迎えに来てくれて、竹田まで買い物に行くことができて何とか当面の苦難は回避したが、どうにかして脱出を考えねばならないことを認識することとなった。
翌日から、果敢にも除雪がしてある村道まで車が通れる状態にまで雪堀をしようと決意し、実行に踏み切ったのである。
何しろ肉体労働にはまったく向いていない体質なのだ。
除雪用のスコップが幸い隣人の倉庫に転がっていたのを見たことがある。こっそり(といっても誰もいない)借りて、2メートルくらいの幅で40センチくらいのふかさを掘り進んでいくのだが、これはきつい。1メートルも進まないのにすぐに息が切れる。ぜーぜーハアハア呼吸困難になる。腰も痛い。それでも初日は50メートルほども進んだか。
2日目、何を始めたかと見学に来た東京からの移住者は「きゃー、すごいことを始めたね」と傍観者のごとく関心してくれたが、さっさと引き返した。この日はイスとコーヒーを用意して効率よく休憩できるようにしたので、60メートル近くは進んだと思う。
しかし、移住者も自分の車の掘り出しとその周囲の雪堀を始めていたのだった。
3日目、なんとしてもこの日で開通させようと頑張っていると、移住者も「ほんとにやるの?」と出口のほうを少し手伝ってくれた。
「実は早めに病院に行かないと薬が切れているの。ぼくの車ではまだ動けないしね」と情けないような顔。
「明日は土曜日だけど診てくれるか電話してみて。連れて行くから」
かくして、阿蘇の病院まで移住者を連れて行き、無事クヌギ林を脱出してきたのだった。
なんと10日間の幽閉生活だったことになる。

2014年2月9日日曜日

生意気な店の弁当を食べてみた

 生意気な店の生意気な女将から「ついでの時にでも寄ってください」とガラにもなくしおらしいメールが入っていたのは、昨年のこと。
 数日後ふらりと訪ねると、仏様にでも会ったような迎え振り。又何かやらかしたのか(以前やらかして弁護士を紹介して片付けたことがある)といやな感じ。
「実は今度九州を走る豪華列車の食事を担当することになって、・・・」
「なぬ、お前がか。どうして?立派なレストランやホテルもあろうし!!!」
「ある方の紹介でコンペのようなものに参加したら最終的にうちになったんです。」
「へえー、それはすごい。それでどげえしたんじゃ??」
「ほとんどメニューは考えてあるのですが、そのしおりに私のおもてなしの気持ちをさりげなく乗せたいんです。これから私のコンセプトを話しますから文章にしてくださいな」
「知らん、知らん」とはいったものの、結局書かされて、後日出来上がったしおりを見ると元の文章は見る影もなく改ざんされていてまったく別物になっていた。
 この生意気な女は!と怒りを感じないこともなかったが、そこは大人の流儀で「なかなか良くできたね」と抑えたのだった。

 膨大病院の院長秘書から電話が入ったの一月の末。。新聞に出ていた豪華列車の食事を出しているお店は弁当も作っているそうで、その豪華弁当を食べてみたい、近く主宰する会議で使ってみたいとのたまっていると言う。私が昔その店で時々千円定食を食べていたことを彼は知っていた。
 院長先生は昔本を編集させてもらっているから良く知っているし、気難しさも充分解っている。
 新聞には「できるだけ人が来ないような店作りをしている」などと紹介してあるものだから、聞いてもらえないか、と言うのが用件。

 試食のための弁当は幸いにも私も相伴させてもらった。会議でも好評だったそうで何よりではあった。
 それ以来、コーヒーを飲みに行ってもデザートがついてくるし、「御代はいただけません」としおらしいことがいえるようになった。
 しかし、生意気でなくなるのはよくないなあ、と心配もしている。

2014年2月5日水曜日

玄米食は見事なウンチを生む、かな

 このところ山小屋では玄米ご飯を食べている。何かの本で「完全栄養食品」と言う言葉を知り、玄米、牛乳、卵、サツマイモなどがそれであると書いてあったからだ。
 昔何度か試したことがあるし、大分の隣町の農園は自然農法を実践していて現代医学では対応できずに苦しんでいる人たちに支持されているのだが、付属の小さな食堂では「玄米定食」を出していて何度かたべにいったことがある。
 宮沢賢治は「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」たそうだが、私などは四合の玄米を炊けば先ず三日は食べなければならない。彼は大変な大メシくらいだったようだ。
 最近の電気炊飯器は玄米も炊ける機能がついているが、私の炊飯器はそんな機能がついてないし、日ごろは土鍋で炊いているのだが、幸い古い圧力鍋があるのでそれで炊くことになる。
時間は倍以上かかるが、ごま塩をかけてゆっくり食べると結構美味しい。
 ついでにごま塩も自分で作った。
 何よりうれしいのは、ウンチがすばらしいことだ。バナナ状の、いわゆる一本糞がするりと出てくる。これは快感である。
 どこかの大学の細菌学の先生によれば、「腸内細菌は繊維質を好み、ウンチの大半はこれらの細菌が占めている」のだそうで、善玉、悪玉によらず腸内細菌が多種大量にすんでいることが大切なのだそうで、玄米の繊維質がいい効果を果たしているのではないかと愚考するのである。
 山小屋の隣人に話したところ、大変興味を示したので少し分けてあげたら、早速友人から定期的に供給してもらうことにしたと報告に来た。

2014年1月17日金曜日

狸と山鳩とキンカン

気がつくと、山小屋の庭に2匹の狸がうろうろしている。見るのも忍びないほどやつれて、あのふさふさしていた毛が抜け落ちていかにも寒そうだ。
落ち葉を掻き分けてえさでも探しているのだろうか。
昨年の夏、むくむくとした親狸が小狸をくわえてお尻をふりふり引越しをしていた姿を見かけたが、あの親子だろうか。
しばらく徘徊して、下の石畳に続く、私が作った道をよろよろと帰っていった。
翌朝、今度は3羽の山鳩がえさをつついている。こちらは丸々としていかにも美味しそうである。
子供の頃、祖父が朝早く鳩撃ちに出かけ、祖母がその鳩を使ってバラ寿司にしてくれたのを思い出したのだ。

その午後、村の住人を呼んでコーヒー会議を開いて報告していると、名古屋の爺さんが「ほれ何か動いているよ、狸じゃないの?」と庭を指差す。
東京の爺さんが足音を忍ばせて窓によって覗くと、今日は子狸らしい固体が昨日えさを探していた場所で落ち葉に鼻を突っ込んでいる。
「かわいそうなくらいにやせているね」とほぼ同時に感想を漏らす。
「この時季食べるものがないのでしょうねえ!」と私。

「こんなものを食べますか?」とキンカンの砂糖煮を出すと、東京のじいさんが「すっぱいんでしょ!」と早くも警戒態勢。名古屋の爺さんが楊枝でつついて食べて「こりゃあ、美味い」と叫ぶとようやく食べて「いかん、止まらなくなる」とにらむ。
「このキンカンは宮崎産です。この時季になるとお袋が必ず作ってくれたものです。懐かしいふるさとの味です」とウンチク。
二人とも始めての味に感嘆しきり。小さなタッパに入れてお土産にした。