2014年8月23日土曜日

何とかタブレットにクタクタ

次男坊の嫁さんから何とかタブレットは要るかと聞かれ、わけのわかからないまま、要る要ると返事していたら、怪しげな機械が贈られて来たのだった。こいつと格闘するものの我輩の脳細胞ではいかんともしがたく、悶え苦しんでいるうちに日は過ぎていくのであった。
聞けば、この機械を山小屋で使うには今のガラケイをスマホに変えなければならず、その費用とて馬鹿にならない上に、月々の使用料も一万円近くもかかるらしい。
どうしてもそうしなければ、日々の生活が成り立たないのであれば仕方ないが、我輩はまったくそのうな差し迫った事情はない。
しかしいまどきの若者はこれがなければ生きて行けないのだそうだから、同情に値するが、大変な時代にいきているのだなと、文明の進歩に文句の一つもいってやろうかとおもう。
我輩のような腐れかけた脳細胞の持ち主にしてみれば、全く価値観が違うから、今のガラケイにしても月々1500円の使用料さえも我慢ならんと感じるのに、二万三万は当たり前と言われるともう卒倒ものである。
山小屋でも使えるようになるよ、と言われてかなり誘惑されたが、どうにか踏ん張っている。
といいつつ、このblogはその何とかタブレットで書いてみた。

2014年8月10日日曜日

へんちくりん会議を提案する

紀元前から賢い人がたくさん出てきているのに、どうして戦争をやめさせることができないのだろう?と言うのが最近の疑問で、目下最大のテーマである。
その賢人たちのほとんどは「どうすれば世界の平和を実現できるか」を考えてきたのだから、もういいかげん戦争をなくしてもよさそうじゃないか、と思うのだ。
国家と言うものが戦争の原因になっているのなら、国家をなくしてしまえば良いだろうに。人間の欲望が争いごとを起こしているのなら、欲望を禁止してしまえば良いだろうに。
などとよからぬことを考えてしまうのだ。
と言うわけで、山小屋に竹林の七賢人ならぬ「へんちくりん会議」をいつでも開催できるように会議場を作ろうと思い立った。
名古屋の爺さんが、天文台を作ったらやることがなくなった、と嘆いているのを聞きつけ、「小屋のひさしの伸ばして集会所を作ろうと思っている、と持ちかけると「ぼくにやらせて!」といってくれた。
ぼくも少し手伝って5日ほどで2間3間ほどの立派な集会所ができた。
これで、世界の紛争問題に対する処方箋が描けるはずだ。
もう残り少ない人生なのだから、少しは人類に感謝される事業を残しておかねばならない、と強い決意で作った「少し大きめのひさし」である。