2010年5月30日日曜日

アサギマダラに振り回されて

 女房が国東半島沖の姫島にアサギマダラを見にいくと、張り切っていた。
確か5時にはおきて、みんなと合流する伊美の漁港に行くといっていたのに、なかなか起きてこない。
 私はBSでPGAゴルフを見ていた。 
二階に寝ている女房を起こしに行くのは面倒なので、携帯電話を鳴らした。電話はすぐに切られ、二階からばたばたと転げ落ちてきた。「おかしいね、5時にアラームをかけといたのに、6時に鳴ったよ」と、私が携帯を鳴らしたのに気づいていない。
 あわてて準備をして、出かけていった。
午後3時すぎに帰ってきて、しばらくアサギマダラの講釈と食べ物の解説を聞かされた。いつもなら一万頭は立ち寄る時期なのだそうだが、今年は天候の影響かとても少なく、期間は長くなるかもとのこと。
 夕食は買ってきたタコの炊き込み飯で、これはとてもおいしかったのだが、「朝起こしたのはアラームじゃなくて、俺が電話したのだ」と主張しても、「ん?」でおしまいだった。
 ま、いいか!

2010年5月29日土曜日

木郷自然つりセンターを訪ねる

 三日ほど産山で遊んでいました。
天気はとてもよかったので、快適な三日間でした。サツマイモが枯れかかっている苗があったので、少し植え直しました。
 二日目に高森と高千穂の間くらいにある管理釣り場を訪ねてみました。行きは近道をしようと思って山道をナビをたよりにいこうとしたのですが、大変な誤算でした。途中に工事中の迂回道があったりして、まよってしまい、おまけにガス欠の心配まで出て、何とか高森の町まで出て給油したりと、二時間近くもかかってしまいました。
 「木郷滝自然つりセンター」、漁協が管理している釣り場です。自然の川を石で幾つかのプールを作り、えさ釣り場とルアー・フライ釣り場に分かれていて、10人くらいの人が楽しんでいました。
 対象魚は岩魚、山女、マスなどで、40センチ級のものもたくさんいます。
 これは近く挑戦しなくてはならないでしょう。川魚料理も食べられそうだし。
帰りは地理が頭に入ったので、50分で帰り着きました。ハア、ごくろうさん。

2010年5月24日月曜日

「シェルブールの雨傘」を観る

 月に一度「活動者会議」といういかめしい活動をしている。ただし、この「活動」は「活動写真」の「活動」で、何のことはない集まって会員の推薦する映画を観て、そのあとメシを食い酒を飲んで、勝手なことを言い合うというサークルである。
 先日の会合で、会員の一人から「シェルブールの雨傘」を借りてきた。かねてからお願いしていたものだ。この映画、私にとっては特別のものである。
 あれは忘れもしない高校3年生のとき、好きだった家庭科の女子を誘って、二人だけでは行けずに数人の助っ人を頼んで見に行った映画なのだ。だから、映画の中身はあまり覚えていない。何しろ隣に件の女子が座っていたのだから。手に怪しげな脂汗をじっとりとかいていたのは覚えている。
 で、その映画を昨夜見た。
 一人で見ていたつもりが、いつの間にか女房が後ろで見ていた。「どしたん?こげな映画」という。
「どげもこげも俺の青春のかたまりじゃ、後ろから現実に引き戻すな!」とはいえなかった。
 やはり映画はいいね。

2010年5月23日日曜日

草刈りおとこの時季


 3日ほど山小屋生活を楽しんでいた。猛烈な草の勢いと戦うためだ。だから正確に言うと楽しんでいたとはいえないが、そう思うことにしている。でないと、「俺はどうしてこんなことをしているのだろう」と言う疑問が頭を掠めるからだ。

 今回も草刈機を振り回して勇敢に戦った。そして半分くらいを制覇した。都合よく雨模様になったので、「今回はここまで」と早々に引き上げてきた。

 それにしても、畑だとそれなりに肥料を与えないと成長しないが、草は何にもなしに力強くぐんぐん成長する。すべてを刈り終えたころには、最初の部分がもう伸びてきている。戦いは永遠に続きそうに見える。

 畑も順調に育っていた。苦労して作った堆肥のおかげだと思っている。ラディッシュなど惚れ惚れする色合いと大きさになっていた。早速収穫してかえることにした。ミニトマトには昨年好結果を生んだ棚を作ってやった。これで今年もトマト長者は間違いない。

 ジャガイモは少し失敗したかもしれない。伸びすぎて、枝を整理するのが遅れたと思う。サツマイモは植えつけてから寒い日があって、げんなりしている。「また植えればいいのよ」と女房は簡単に言ってくれる。私はいとおしいのだ。女性はいつも現実的で、男はいつまでもイジイジしている。

 来週もまた、晴れ間を狙って戦いにいくのだ。

2010年5月19日水曜日

別府路地裏散策

 年金生活者の日常はさしたる変化はない。
今日やらなければならないことなど、ほとんどない。だから、外出しなければしなくてもすむ。
 まして雨など降っていれば、家にじっとしてテレビの番をするとか、よくて読みかけの本を手にすることになる。これでは心身によくない。
 産山村にいるときにはやることは山ほどある。わざわざ足腰を鍛えることなど考える必要はない。
 だが、別府に居るときは注意を要する。
 だから必ず一度は外出することを心がけている。
 一番近いのは港である。10分も歩けば海辺に出る。たいてい防波堤の上に釣り人が居て、覗き込み、話しかけてぶらりと帰ってくれば30分コースである。
 裏山コースは約1時間。「ぜんざい」を食べるコースである。200段の石段もある。
 最近は駅前コースが多い。歩く道の選び方で90分から2時間のコースになる。本屋によってもよし、喫茶店で油を売ってもよし、カメラを下げて路地裏散策もいい。
 今日は路地裏を縫って駅前に出たところで空模様が気になり、引き返したが少し降られてしまった。

2010年5月17日月曜日

人肌も土肌も、いいねえ!

 産山村の片隅で、百姓の真似事をしている。
今年はジャガイモ、サトイモ、サツマイモ、春大根、ラディッシュ、ミニトマト、きゅうり、なす、ゴーヤ、ピーマン、などを植えた。
 昨年までは、鍬で畑を起こして畝を作っていたが、どうにも作業がしんどくなった。そこで、あれこれ迷った挙句、小さな耕運機を買った。だが、実際に使ったのは2~3日で、後はやはり鍬に頼った作業になった。
 ほんとに小さな畑だが、作業をしてみると結構しんどい。先日遊びに来た「奥目のアニー」は、勤めの傍ら3・5反もの畑を作っていると言うから驚きである。しかも自然農法を志向しているらしいから、苦労はなおさらだろう。
 私も堆肥を自分で作っている。何とか使える(と自分で思う)堆肥になるのに3年はかかった。それでも昨年はあまりいい出来ではなかった。まだ堆肥のことがわかっていないのだと思う。
 土に触れる作業は心が休まる。まいた種が芽を出すだけで、喜びにあふれる。なんだかこれだけで、
「いいよ、すべてOK]と言う気分になる。
 人は死に近づくにつれ、大地が恋しくなるのだと思う。人肌と土肌が同じに思えてくる。

2010年5月16日日曜日

マディソン郡の橋?を行く


 波野から高森方面へ車を走らせる。

途中深い谷の下にいくつもの小さな川があるが、ほとんど枯れた状態か申し訳のように水が流れているだけだ。

 いちいち車を止めて、耳をそばだて目を凝らして川の様子をさぐる。

 突然どこかで見たような屋根つきの大きな橋が現れる。やり過ごして、車を止められるところから、ほとんど車の通りのない不釣合いな場所の立派な橋をしばし眺めた。

 まるで『マディソン郡の橋』だ。

 今NHKBSでクリント・イーストウッドの特集をしていて、この前映画を見たばかりだ。イーストウッドの映画はほとんど見ている。「ミリオンダラーベイビー」以外はとても面白く見た。 

 それはさておきどうしてこんなところに、このような立派な屋根橋を作ったのか解らない。

『阿蘇望橋』と書いてある。「あそぼうばし」と読むようだ。

 意外なところに、意外なものがあるのは楽しい面もある。「これはいらんじゃろう」とも思う。

 

2010年5月14日金曜日

建築屋のナベちゃんに会う


 ナベちゃんに会ったのは30年近く前。別府の自宅を建ててくれたのだった。

そのころから商売は下手だったが、家作りは上手だった。私の家も通し柱が気に入らないと棟梁に取替えを命じ、「そんなことはできない」『この段階で取替えは聞いたことがない」とつぶやいたのを聞きつけ、ハンマーを持って次々に傷つけ、「傷がついたから取り替えてくれ」といったものだ。

 それからじっくりと「俺が気に入らないものをお客さんに渡せるか?ここの施主に会うたびに俺は後悔することになる。時間も経費もかかるが、ぜひやってくれ」と言ったそうである。

 だから、いまだに一度だけ少し下がった梁を持ち上げてもらっただけで、何の故障もない。一度大型台風で近所のかわらがたくさん飛んだとき、保険金が出たと言う話を聞いて、「他所の瓦がほとんど飛ぶときはうちも飛ぶようにしとかな」と言って、ひんしゅくを買った。

 産山の山小屋もナベちゃんが建てた。来る人がみな褒めてくれるので、「自分で一生懸命考えた」と言う事にしている。「建てたのは建築屋のナベちゃんだけど」と。

 ひさしぶりのナベちゃん事務所の一階部分は、娘さんが始めたインテリア小物のおしゃれなお店になっていた。ここも面白くなりそうだ。

2010年5月13日木曜日

山ちゃんと本屋でデート

 久しぶりにやくざの山ちゃん(本職は知らない)とデート。
最近はほとんど喫茶店のある本屋さんだ。山ちゃんは読書家で、ここでデートするといつも数冊の本を買って帰る。この喫茶店はケーキが美味しいし、おひるのおにぎり定食は絶品だ。
 山ちゃんと今日の政治経済状況について論じていると、弁当屋がニコニコして現れた。
『昨日ゴルフに行って100も打っちゃった」「今日はどうするの、マージャンする?」とご機嫌。
 とにかく遊びの名人で、いつも山ちゃんを誘って遊んでいる。今日もマージャンに行くことが決まったようだ。数年前なら、わたしも参戦したところだが、今は「いってらっしゃい」となる。
 もう一生分、パイを握ってきたし、戦闘意欲を失っている。こんな気分のときは博打はしないほうがいい。またいずれ、戦いに出かけることもあろう、と刃を研いでいる。
 今日も山ちゃんは、本をさがして、戦いにでかけていった。
 

2010年5月12日水曜日

渓流釣りの記憶

 子供のころ、夏休みのほとんどを祖父の住む宮崎県田野町の山奥で過ごした。
村の子供たちについて回って川遊びを、時々祖父に連れられ渓流釣りを覚えた。
 60年近くもたった今でもあの頃の記憶は薄れることはない。山道を走っていて、小さな川を発見すると思わず車を止めて川の様子を探ってしまう。

 産山にも渓流はある。何度か出かけたが、釣果はいまいちであった。白ハエがいない。アブラメばかりである。エノハねらいの県外車も多く見かけるが、さしたる成果は挙げていないようである。

 隣町の荻町には大野川上流のいい川がある。30分ほどでいけるので何度か出かけたが、弁当がおいしかったという感想だけである。
 高森方面は五か瀬川上流のねらい目の川があるようだ。探索することにしようか。

2010年5月9日日曜日

山小屋で哲学者になる

 人間、死ななくていいとなったらどうするか?ということを女房と話し合ったことがある。
はて、それはそれで困ったことになるだろう、と思う。
 いずれ死ぬと判っているから、あれをやっておこう、これも今のうちにやろう、と考えるのだと思う。
それが死なないとなると、これからの計画や、いつまでにやっておこうなどという思う入れなどもなくなってしまうのではないか。生きる目的そのものを失ってしまうのではないか、と。
 年に3万人いじょうの自殺者がいるということが社会問題になって久しい。しかし、間違えてはならないのは、3万人の人が自殺に成功したということであって、その何倍かの人が自殺に失敗し、あるいは断念せざるを得なかったということではないか。
 死ななくてもいい、生きなくてもいい、なんだかよくわからん。

2010年5月8日土曜日

緒方拳さんのルーツ?


 大分県豊後大野市に緒方町がある。

 俳優の緒方拳さんは、自分の緒方姓のルーツをこの地に決めたそうだ。亡くなる前、この地に何度も訪れ、緒方神社を御自分の守り神のように思っていたらしい。NHKでそういう番組が放映されたことがある。癌に侵され、おそらく余命も長くはないと悟っていた時期のものだと思う。

 緒方神社の鳥居は川の中にある。そのすぐ下は、有名な「原尻の滝」である。

 この場に立つと、滝のスケールと流れる水が描くさまざまな線の美しさに、その背後に立つ鳥居も注意しなければ見つけられない緒方神社も、いかにもひっそりとしている。

 

2010年5月6日木曜日

友あり遠方より来る


 連休の間産山の山小屋にこもっていました。
宮崎から、40年前に一緒に悪さをした友人や大学の先輩が尋ねてくれました。
 近くの「参勤交代道路」や周辺を散策しながら、昔のあれこれ、今の暮らしぶりなど話題はつきません。夕方の早い時間から、早速酒盛りが始まります。私は下戸ですから、もっぱら料理番をしながら、話しに茶々を入れます。みんな今を精一杯楽しんで、これからの生活も貪欲に楽しむ工夫をしている姿を頼もしく思ったものです。
 消息の知れない友人たちのこともずいぶん話題になって、彼らの状況を思いやって、ゆっくりと寄り添っていくことも大切だろうという結論も気に入りました。
 「女性たちの話題が出てこんな?」と不思議がりましたが、それは次回ということになり、また楽しみをつなぎました。
 楽しい時間でした。