2010年10月31日日曜日

最後の仕事と思って、しんどく楽しく

 郷土史家のN先生から呼び出しがあった。これまでたくさんの郷土史の著作がある。
 数日後お邪魔したら、どすんと原稿の束を出されて「これが最後じゃろう」といわれる。
 以前、まだ事務所を構えて編集をしていた頃先生の本を一冊編集・出版したことがある。今度の本は「大分県自由民権運動史」で先生の集大成である。編集・出版を任すとおっしゃる。
 私如きがせんせいの文章をあれこれ注文できるわけは無いが、私如きでも読んで理解できるようになっているかどうかはかろうじて判定できるのではないかと思う。
 というわけで、「ゆっくりでいいいよ、最後だからじっくりやろう」という先生のことばを真に受けて、じっくり読み始めたが、もう必要ないだろうと思って友人に貸していた大漢和辞典をあわてて返してもらった。
 実に面白い。だが難解なところもたくさんある。やはり私も最後の仕事と思ってじっくりやるしかないようだ。
 コーヒーやタバコの煙の中で、しんどいことをやるのは又たのしい時間でもある。

2010年10月29日金曜日

おばけのシイタケにひっくり返った

 ほんの数日なのに、シイタケが大変なことになっていた。なべのふたほどもあるものが数枚、これは大きいなといえるものが数枚、適当なものはほんの数枚、ひっくり返るような状態である。
 女房に「大変じゃ、どげえするか?」と電話。「ハハハ、とにかくもって帰りなさい」と笑って取り合ってくれない。ならばと生意気なお店に電話、「わたしゃそげんもんいらんよ!」「バカもん、誰がやるか。どうすればいいかを聞きよるんじゃ」「まあ、みりんと醤油で煮てみれば」ということになった。
 さっそく根気強く佃煮風にはなった。
 もって帰ったら、「あらいがいに美味しいじゃない」と女房と義母。褒められた。

2010年10月24日日曜日

白菜がメッシュ状態でしたが

 先々週植えつけたキャベツは順調に育っているが、白菜は無残な状態になっていた。福岡からの隣人は「うちのもまるでメッシュ状態です。虫がきれいに食べてくれます。」と苦笑する。
 それから一週間後、新しい葉が見事に出てきて白菜の形状をつくりつつある。とても考えられない再生力である。虫たちにも生きる事情があり、植物にもそれでも生きる力があるということだ。
 某県議会議員から「久しぶりに麦藁帽子さんの原稿が恋しいわ。わたしの通信に載せたいの」と連絡があった。快諾して、カラス騒動の顛末に少し味を添えて送っておいたが、さてどうするか知らん。読者から「こんなものを!」と抗議されるかもしれんよ、というと「歓迎よ、ちゃんと読んでくれているんだと思えばいいんでしょ」と、以前私が話したことを返された。
 彼女にも、わたし如きには無い再生力があるのだろう。

2010年10月16日土曜日

シイタケが咲き乱れる

 クヌギたちはハラハラと葉を落とし始めている。畑の中も落ち葉に埋もれ始めた。これから一気に紅葉が始まる。山里の一番いい季節になる。 
 先週、近くのシイタケ農家のおじちゃんに教えられたとおり、原木に水をかけハンマーでたたきまわした我が家のシイタケは見事に咲き誇っていた。少し大きくなりすぎているのが数枚、一番の食べごろが10枚くらい、3-4日後に収穫できそうなものになると数十枚。感嘆の声を上げたくなるような咲きようである。
 共同で買ったチェーンソウが動かなくなっていたので、分解して掃除したら機嫌よくうなり声をあげるようになったのに気をよくして、隣人に声をかけてコーヒーを淹れる事にした。
 大分で行きつけの喫茶店が焙煎した豆を昨日仕入れたばかりなので、ゆっくり挽いていつもより丁寧に淹れた。ふっくらと、坊主地獄のように豆たちがふくらみ、香りが広がる。
 こうして飲むコーヒーがやはり一番うまい。

2010年10月8日金曜日

シイタケの原木をたたきまわす

 めずらしく朝早くおきて草刈機を振り回していると、福岡から来ているKさんがコーヒーを淹れてくれた。
「今年はカラスにやられて大変だった」という話をしていると、大きなトラクターに乗った農夫らしき人が我が家に入り込んできた。  
 「何か御用ですか」と問いかけると、辺りを見回し「よかクヌギじゃな」という。「売ってもらえんじゃろか」というので「シイタケ農家な?」と聞くがそれには答えず、ぐんぐん辺りを見て回る。
 売る気は無いがためしにと思って「なんぼくらいな?」と聞いたら、にこっと笑って「350円くらい、一本」。「ありゃ、タバコ銭にもならんな」というと、さらににっこり笑ってくれた。
 「じつは一昨年少し木を切って、シイタケ作りのまねをしている」という話をすると、どれと遮光ネットをめくり爪で木を削って「こらいい、今年にゃでる」といって、「水をかけて頭をハンマーで小突くといい」と教えてくれた。
 結局残念そうにしながら、トラクターに乗って帰っていったが、私は急いで教えれらたとおりに原木をたたきまわした。刺激を与えるとびっくりしてたくさん出てくるのだそうな。本当だろうか。

2010年10月2日土曜日

独善者たちの国に未来はあるか

 高齢者の仲間入りを目前にして、どうでもいいことかもしれないが、「最近の若い奴にはあきれる」ばかりだ。
 政治家もいい加減な奴らばかりだし、巨大マスコミも提灯持ちで独りよがり、日本の正義を自認している検察庁までも腐りきっていることが明らかになってきた。
 愛する佐藤優によれば、権力は政府・マスコミ・検察が握っているそうだから、その権力機関そのものが機能不全に陥っていることになる。こうなると我々小市民は「どげんかせんといかん」と思う。しかし、私なぞはもうすぐ高齢者なのである。もうどうあがいても間に合わんという気がする。
 そうなると、ゴム銃でカラスと戦うのが関の山で、後は遠くから口汚くののしるくらいのことである。
 もうこの国は救いようが無い、と悲しくなるが、ちょっと待てこどもや孫が居る、と気を取り直す。だからほんちょっとだけやる気を探して、昔のように「体制を変えてやる」とつぶやいてみる。
 そうやって、昨日も過ごしてきた。