2014年5月25日日曜日

やっぱり博打は血がたぎる

久しぶりに戸無原の住人が勢ぞろいした。もしかして今年初めてか?したがって、集会も長い。つもる議題についてそれぞれがあれこれ報告し、それぞれがチャチャを入れる。
ちかくの建築屋が飛び入り参加するに及んでカメラの話題になって異常に盛り上がる。それぞれが持っているカメラの長所を言い募る。
「カメラの値段や新しさじゃあんめえ!要は撮った写真の出来じゃ。まあ腕前じゃな」と誰かが言うと、不満を残しつつも、うなずかざるを得ない。
久々に楽しい集会であった、と言うことにして散会。

下界に下りて、明日は映画にでも、と思っているところにやくざの山ちゃんからメール。「別府記念が始まったよ!!」
「明日の体調が良かったらいこうか?」
「了解!」と言うことで、交渉成立。
そして翌日、途中の喫茶店でコーヒー片手にスポーツ新聞とにらめっこをしているところにメール。
「体調が優れないので本日は休場です。」体調のことを言ったのは私のことなのに。
仕方ない、今日は独力で戦わなければならないと腹をくくっていざ戦場へ。さすがにS級選手が出場する記念競輪とあって客が多い。若い人が多いのに驚く。中にはベビーカーを押しながらのカップルもいる。ふむ、時代は変わりつつあるのか。
成果はまったくゼロ。一レースも中らない。
山ちゃんに「4コーナーまでは当たっているのに!!」と泣き言メール。「あせらずに、落ち着いて!1」と慰めメール。
「明日は頑張ろうね」と決意メールを送って、戦場をあとに。




2014年5月18日日曜日

中国という国をどう理解するか

最近、特に中国の言動がおかしい。まるで傍若無人だ。
橋爪大三郎の「ふしぎな中国」によれば、あの国は国家ではないのだそうだから(橋爪氏は必ずしも否定的には書いていないのだけれど)、国際法だのというものはないに等しいのだろう。
古い友人は(彼は確か中国生まれだったか)、「中国共産党は共産主義の政党とは考えないほうがいいんじゃないの。今や中華思想を体現する民族主義の塊じゃないのかね」とややこしいことを言う。
そうか、昔から「おらが国が世界の中心だ」と思い続けてきたのだった。それに経済力も軍事力も人口も「世界の中心」を主張するに充分になってきたので、当たり前のことを言い始めたと言うことにすぎないのだろうか。
とすれば、朝献外交で「親分、よろしく」と言う姿勢で臨めばうまくいくということか。もっともそれはずーっと昔のことで、今の中国を理解するのはかなりむつかしい。
と言うわけで、山小屋でも議題にはなるのだが、まったく盛り上がらないのですぐに「カラス害にどう対処するか」と言う侵略問題に移ってしまうのである。
ブルーべりーの花が咲いて、ヒヨドリがいたずらをする。モグラが縦横無尽に穴を掘って困る。すずめ蜂の女王らしき奴が飛び始めた。 おちぼち対策を講じなければ。と議題は多いものだから中国の歴史的解釈ばかりに時間をかけるわけにも行かないのだ。

2014年5月5日月曜日

ジャガイモの芽かきはどうするの?

その後スタップ細胞とやらの騒動はどうなってしまったのかな。なにやら、人間の欲望とか業のようなものが絡まっているような気がしてならないのだが、考えすぎか?
山の定期集会でも議題になったが、「あの子は若くて可愛いくて思わぬ成果を出したものだから、たぶん周りが足を引っ張っているのだと思うよ」と私が主張するのへ「なるほどそういう見方もあるね」と賛同してくれた村人もいたのだ。
さあて、どう転ぶかね。
それはさておき、タラの芽はてんぷらで、土筆は卵とじで美味しく食べましたが残念ながら蕗の薹は採りにいけませんでした。あのほろ苦いあじは記憶の中だけになりました。
先週、畑の手入れをしていたら、めったに話しかけてこない変わり者のお隣さんが近づいてきて「ジャガイモが元気よく芽を出していますねえ、うちなんかまだまだですよ」と声をかけてきた。
「おやそうですか。結構深植えをしたんですがねえ。もう少ししたら芽かきをしようとしようと思っているところです。」と言うと「いや、もうやっていいですよ。春は一本残し、夏は二本残しといいますよ」と言う。
「ええ!!そんなことはできません。一本ですか?できん!」これまでもそんなことはしていないのだ。
いったん去っていた変わり者の隣人が「ウドをたべますか?」と言ってきた。「もちろん食べます」と答えると、「蕗は?」と聞く。
そしてウドを数本と蕗を一抱えも持ってきてくれた。「たくさんできていますからいつでもとってください。」と過去数年分をいっぺんにしゃべって帰った。
ウドはてんぷらと酢味噌和えにして、蕗はイリコと煮てとても美味しくいただいた。
翌日、ジャガイモの芽かき。気が弱い私は頑張って二本のこしだ。