2011年12月25日日曜日

山小屋は雪の季節です

随分長いことブログをサボっている。
 別段何か理由があって、サボっているわけではない。
 久々なので、この間読んだ本などを少し紹介してみようか。
 先ず黒崎裕一郎著「蘭と犬」、これは高野長英の伝記のようなもの。女房が持っていた物を取り上げて読んでみたのだが、それなりに面白かった。
 藤巻健史著「円を避難せよ」。これは、昔中核派(だったと思う)の活動家で、今は経営コンサルタントのようなことをしている友人に薦められて、おまけにこの本をもらって読んでみたもの。この人に言わせれば、円はドル=300円くらいに必ずなるのだそうな。やった、これで我輩のドル建て預金は倍増だ。しかし喜んでばかりも居られない。浜のりこ「通貨を知れば世界が読める」では、ドル=50円になることになっている。
 池波正太郎著「そうざい料理帖」。ご存知「剣客商売」には当時のそうざいが頻繁に出てくる。エッセイ風にこれらの料理とのかかわりを紹介し、レシピとイラストまでついている。
 「永遠のゼロ」著者は忘れた。やくざの山ちゃんから電話があって「あんた????は読んだか」という。「いやたぶん読んでねえ」というと「よっしゃ、持って行く」ともってきてくれた。
 亡き児玉清が推薦しているという触れ込みの新人作家のいわば処女作。太平洋戦争におけるゼロ戦の活躍と、ある海軍飛行士の話。結末が意外で、結構面白かった。
山ちゃんに「何であんたこんな本を読んだんか?」と聞くと「いやいや娘が読めといって持ってきたもんで」という。なるほど山ちゃんがマゲモノ以外の本を読むと思えない。
 続きはまた。クヌギ林は雪。山小屋はしんしんと冷え込む季節。

2011年10月17日月曜日

シイタケとツリガネニンジン

 どうしたことか、シイタケの狂い咲きである。
 隣人たちのホタギを視察すると、そんなには出ていない。何故か我が家だけにきびか吹き出物のように出てきている。
 こうなると始末が大変。連れ合いと義母に伝えると、飛んでいって収穫してきた。義母はj分の部屋の軒につるして乾燥シイタケを作り始めた。
 数日後一人で出かけ、昆布とシイタケで佃煮を作った。隣人に進呈したところ好評。何か他の料理法は無いものか。
 仕方ない、義母に習って干ししいたけを作ることにした。といってもこのところ雨模様、おまけに明日には山を降りるということになった日、わずかな軒下に紐でつるして干し柿のように並べておいた。
 さて、これでうまくいくのか知らん。

 隣人がコーヒーを飲みに来て、「カボスのそばに可愛い花が咲いているよ」というので、早速行ってみる。携帯で写真を野草博士に送って「これはなんじゃ?」と質問。「たぶんツリガネニンジン!」と返ってきた。

 明日にはまたクヌギ林に行く予定、シイタケの結果とツリガネニンジンのその後が気にかかる。

2011年10月2日日曜日

山女を求めてさ迷い歩く

 新しく買った靴がうれしくて、長い散歩をして山奥の川まで行った時、川の中に黒い影をみた、ような気がした。
 山小屋に帰って、隣人にその話をすると「おるんじゃ、あそこには」という。
 なに!、それは放っておくわけにはいかん。
 翌週、道具を少し買い足して勇躍クヌギ林へ。悪路を予想して、庭の木を切ってわざわざ丈夫な杖を作った。
 朝六時、まだ少し薄暗い中を出発。30分ほどで川につく。ところが予想以上に水量が多い。
 それでも何とかつりができそうな場所を探して川を上る。ようやくがけ下に適当な場所を見つけるが、そこまで下りるのが大変。降りたとしても、また上るのが可能か。そこで用意した丈夫な杖が役に立った。
 しかし降りてみると、木がせり出していて竿が振りにくい。工夫して振り出してみるが、やはりちと無理のようである。ここはあきらめる。
 山女はそう簡単には釣らせてくれないということか。
 結局この日は、歩き回っただけで、アブラメを数匹釣っただけで終わってしまった。  
 しかし、成果が無かったわけではない。ただ歩けといわれるといやになるだろうが、この日は2時間以上も山道を歩き回ったことになる。
 帰り着いてのコーヒーがいつもより美味かった。

2011年9月18日日曜日

遅まきながら、足腰を鍛える

 山の隣人が「どこかドライブしよう」というので、出かけた。
 高森、高千穂方面に車を走らせる。ところがこの隣人、何か標識のようなものがあると、「止めてくれ」といってカメラを片手にぐんぐん歩き出す。仕方が無いので私もテクテクついていく。
 誰かの古い墓だったり、由緒ありそうな神社だったり、きれいな花が咲いている草原だったりする。おかげでドライブでなくほとんどトレッキングに近い。
 しかも隣人は私より四歳も年長なのに疲れも見せずにぐんぐん歩く。ついていくのに大変である。
 足腰が弱っているのを実感する。こりゃいかんと思う。

 というわけで、アウトドアスポーツの店でトレッキングシューズ買うことにした。店員に相談すると、次々にそれようの靴を持ってきて解説しながらはかせてくれる。結局高い買い物になった。

 翌週、クヌギ林で早速試す。参勤交代道をずんずん降りていく。まあ快調。一般道まで降りて、かえりののぼり坂のことを考えて引き返すことにする。考えが甘かった。だらだらの上り坂は予想以上にきつい。途中落ちている枝を杖代わりにして、何度も休憩しながら何とか帰り着いた。

 老化は足腰からくる、と自分でもよく言っている。そのくせ我が足腰は相当に弱体化していたのだ。まだ間に合うか知らん。

2011年9月12日月曜日

社青同の生き残りたち

  随分とブログをサボってしまった。
 別に、病気をしていたわけでもなければ、やる気をなくしていたわけでもない。

 由布院で貸し別荘を営んでいた先輩が、営業を休止することになって、そのお祝い?の会で「よい、これから季節季節にゴルフコンペでもやってお互いの体力測定をしては」と衆議一致。
 ずーと若い頃、労働運動で悪さをしてきた仲間たちだ。その後、経営者になった者もいれば、議員になった者もいるし、いまだに社民党の活動に情熱を燃やしているものも居る。

 第一回は二組、先日第二回を実施して三組が集まった。「よー、われ生きちょったか!」というなつかしい古い仲間も顔を見せ、何ともにぎやかなコンペとなった。

 それぞれに、残りの生を生きている姿を垣間見て、なんだか少し元気をもらった気がした。

2011年8月17日水曜日

ようやくキツネに出会う



 今年の狐は遅いね。という会話が二三度続きました。



 山の上では大狐は出ていたのに、というものも居ました。そして先週末、ようやくキツネのカミソリは姿を現しました。



 この花、不思議なことに春に一度シュンとした葉を伸ばしますが、すぐに枯れて、真夏になって花だけシュンとに伸びた茎に花を咲かせます。隣人の話では毒草なのだそうです。



 クヌギ林の中は今やキツネの乱舞という状態です。だからこの時季は草刈をしません。うっかり若芽を刈り取らないとも限りませんから。



 その代わり、小屋に大きく覆いかぶさっている枝をチェンソーで伐りました。冬になると沢山の枯葉を小屋の上に落して樋を詰まらせていたのです。おっかなびっくり木に登って、ロープをかけて倒れる方向をコントロールしてから切ったのですが、自分の方に落ちてきて随分腕をすりむきました。



 でもなんだか、やった!という感じです。

2011年8月8日月曜日

自費出版大賞その後

 全国から600冊の応募があった自費出版大賞で、入賞の知らせがあった筆者から、電話があった。
控えめに「実は、その後書き溜めた原稿があるのですが、一度読んでもらえないでしょうか。主人も何かお話があるといっておりますので。」
 というわけで、いつもの喫茶店で会った。
 彼女の原稿は前回よりも多いように思われる。「ゆっくり読ませてください。少し時間がかかるかの知れません。何度も読みますから。」
 旦那が横から俺の番だといわんばかりに、「この3年撮りためた写真から200枚ほど行きつけのカメラ店のご主人と相談して選びました。見てもらって編集とか何とか考えて物になるか判断してください。」という。
 彼女は全盲で、旦那は全盲に近い。
 彼女は盲人用のパソコンを使って自在に文章を作る。
 旦那はほとんどの場合タクシーを使ってどこにでも出かけ、写真撮影を楽しむ。実はシャッターを切ったときにはどのような写真を撮ったかは余り認識されていない。同行者の感動を聞きながら、方向を決め、想像でシャッターを切る。
 プリントされた写真に5センチくらい目を近づけてようやく自分がとった写真を見ることができる。
 そういうことが信じられないくらい見事な写真を撮る。
 2冊目の写真集なるか、これからの戦いにかかっている。

2011年7月30日土曜日

クワガタムシの饗宴に出会う

 セミの声が一段と暑さを増してくれます。
クヌギ林では主にヒグラシですが、アブラゼミ(と思う)の声も聞かれます。
子供の頃聞いたワシワーシと鳴くセミ、ツクツクホーシ、ミンミンゼミ、などの鳴き声を聞きません。
 時季が違うのでしょうか。
 隣人の桃の木には、カブトムシやクワガタムシが集団で訪れています。袋をかけるのが遅れて、傷ついた実を放っておいたら虫たちの饗宴になったそうです。
 近くの「道の駅」では、クワガタのつがいで3000円くらいで売っていますから、「よし、養殖して商売にするか」と、昨年も言っていました。
 今年は、比較的スズメバチが少ないようです。春に特製のジュースで捕獲したのが効果があったのかもしれません。
 モンシロチョウやカラスアゲハも心なしか少ないようです。
 山小屋で過ごす時間が多くなっているこの頃です。

2011年7月24日日曜日

今年も堆肥作りをやったど!

 台風6号のせいで高く伸びていた花は倒れていましたが、カラスアゲハは倒れた花に戯れていました。
 昨年からクヌギ林のあちこちにためていた落ち葉や刈り草の山を集めて、堆肥作りをします。耕運機でかき回してひろげ、米ぬか一斗、鶏糞一袋を混ぜてさらに耕運機でこれでもかというくらいかき回します。
 これからが大変、フォークを使って、小高く積み上げていきます。
ここまで一気に作業するわけではありません。途中何度も休憩を繰り返し、タバコをすいながらあたりの景色を眺め、コーヒーを入れて鳥の声に耳を傾けと傍目にはまるでゆっくりの作業です。
 積みあがったところで一応終了。ビニールシートをかけます。
 一週間後、そっと腕を突っ込むととても暖かいのを確認してにんまり。きっといい堆肥ができることでしょう。今度行く時長い温度計を買っていくことにします。何度くらいになっているのでしょうね。

2011年7月17日日曜日

自費出版コンクールに入選

一昨年、盲学校の先生婦人のエッセイ集を編集出版したのでした。
その奥様から一月くらい前に電話。
「編集長、自費出版大賞とか言うコンクールがあって、出品しないかといわれているのですが、良いでしょうか?」
「そりゃあ、いい。」
という会話がありました。
数日前に電話。
「編集長、はがきが来まして、介助の人に読んでもらったら、一次審査を通ったようです。」
彼女は今全盲で、手紙類は読んでもらわなくてはならない。結婚した頃は少しは見えていた。その後手術を受けて見えるようになるが、ほどなく全盲になったという経緯がある。
そして昨日また電話。
「編集長、600百冊の応募の中から入選20冊に入ったと言う連絡がありました。東京の表彰式に来てくださいといわれています。」
「なんとそれはすごい。編集長は行かなくていいのか?」
「大丈夫です。旦那が行ってくれるそうですから。」
「あ、そうなの。でもおめでとう。だんなが悔しがっているだろうね。」
今年の春、だんなが書き溜めている原稿を読んで、書き直しを要求しているところだ。
「あの人は写真を撮っていますから」
さて、何かお土産が届くかな。

2011年7月3日日曜日

人間関係はホントに難しい

雨の中クヌギ林に行く。
することは無いので本でも読もうと思うが、何故かその気になれない。
隣人にメールを送って、お茶にする。すぐに「伺います」と返信。
翌朝、今度は隣人からメール「朝のコーヒーはいかがですか」とメール。「行きます」と返信して、かねて約束の隣家の梅の実をちぎって袋に一杯入れて、東屋へ。
話は人間関係に及ぶ。
この戸無しが原集落には東京や名古屋、福岡などさまざまな地から7・8家族が山小屋を作って遊んでいる。会うのは時々、週に一度か二度。それでも確執がおきる。
ほんとに人間という生き物は厄介な生き物だ。
みんなそれぞれ自己主張をする。それは当たり前のこと。「要は相手の主張をいったん受け入れることだ」と生意気にも私。
「みんなそれぞれ育った状況が違うし、生きてきた環境も違う。生活習慣も違うし考え方も違う。そんな人たちが突然同じ場所で生活し付き合うのだから、異質なものがあるのは仕方の無いこと」などとさらに私。
この日は、人間関係論に終始した。
小降りになったので、もう少し梅の実をもらって散会となった。

2011年6月29日水曜日

「ヤコブへの手紙」を観ました

「ヤコブへの手紙」という映画を見ました。
盲目の老牧師と、終身刑を恩赦で釈放された女性の話です。登場人物はほかに郵便配達だけ。
とても感動的な、私のようなやくざな生活をしているものには心洗われる映画でした。
月一度の「活動者会議」(活動写真を見ようというだけのこと)にもひさしぶりに行って、「バルタザールどこへ行く」という映画もみました。
この映画もなかなか哲学的で趣のある映画でした。
そうです、このところ私の生活は哲学的なのです。そもそも麻雀が哲学の世界ですから。
「吉本隆明と柄谷行人」という本を読んでいます。
まったく書いてあることが解りません。哲学者は頭が悪い人が多いようです。素人にわかるように書いてなければ、意味がありません。
柄谷行人の「世界共和国へ」(岩波新書)は少しだけ理解できたような気がします。もう一度読もうと思っているのですが、なかなかです。
もう少し麻雀と哲学の世界をさまよってみることにします。

2011年6月12日日曜日

博打いろいろ、まだまだやるど!

このところ梅雨のため山小屋に行っても作業ができない。
そうなると、自然に麻雀の回数が増える。これが不思議なもので行き始めると毎日でも行かなければならなくなる。
統一地方選挙の頃は3ヶ月以上もご無沙汰していたのに。
行くと当然ながら私よりも若い人が多い。だから、やわらかい脳細胞を駆使して手作りも早い。その間隙をかいくぐって戦わねばならない。いいボケ防止にはなるかもしれないが、結構疲れる。
それでも、「おい、小遣いをやるぞ。しっかりかかって来い」などと挑発しながら、若い世代と戦いを繰り広げるのは実に楽しい。
「このくそオヤジ、なんでそんげ突っ張るんか!」などといわれると、もうたまらない。
これまで麻雀に消費してきた時間とエネルギーは膨大なものだ。他の有効なものにつかっていれば、かなりの成果を残してきただろうに、と思わないことは無い。
競輪にも凝った時期がある。これは面白さは抜群だが、金銭的にも精神面でも時間も私にはロスが多かった。今ではよほど面白そうなときに、しかも時間的にいけそうなときだけそっと出かける程度にしている。
博打ごとには目のない私だが、一番面白いのはやはり選挙である。

2011年5月29日日曜日

喫茶店あれこれ

 暇なときは(毎日暇)図書館に行くか、いつもの本屋に行っていろいろ物色した挙句一冊だけ本を買って、コーヒーを飲みながら撫でなわすことになる。
 行きつけの喫茶店も沢山ある。この本屋さんの「m-cafe」。この店は「リトルソルト」というケーキ屋さんの親分がオーナーで、この女性が結構面白くて可愛い。そしてあの生意気な店「方寸」、ふらりと行くと「行くところが無いんじゃろ!」ときつい一発が来る。でも我慢する。生意気な小娘が居るから。その2軒隣の「フレンド」、ここが一番付き合いが古い。コーヒーだけで粘って本を読んでいるとママがお変わりをいれてくれる。一番コーヒーが美味しいと思うのは「すえのぶ」。おじさんが一人でやっていて、豆を直輸入して自分で焙煎して出している。もう30年以上の付き合いになると思う。3000円で10回分のコーヒーが飲める。昔はよく麻雀もした。
 会話を楽しむところ。コーヒーを味わうところ。ゆっくり本を読みたいとき。人と会うとき。それなりに使い分けている。

2011年5月22日日曜日

すずらんの群生地を訪ねる

 クヌギ林に行って、一仕事する予定だったのですが運よく雨。今日は読書の日と決めて、井上ひさしの「日本語教室」新潮新書を読む。前に「作文教室」という文庫本を読んだのですが、これはとても面白い本でわたしの作文作業に大変役立っています。
 この「日本語教室」も期待通り面白い本でした。
 翌日はうす曇。朝の間に少しばかり草刈り。10時頃になると、隣人から「コーヒーにするべえ」とメールがあり、いつものとおり世間話集会の開催となる。
 「ボチボチ隣村のすずらんが良いんじゃないかえ」「行ってみるべえ」と、早速15分ほど車を走らせて、「すずらんの自生南現地」を訪ねる。後数日後が盛りといわれたが、可愛いすずらんが丘一面に咲いていました。しゃしんも撮ったのですが、帰ってみて気づくとなんとメモリーが入っていませんでした。
 こんな時ほどがっかりすることはありません。
 その昔、といってもずーっとむかし、わたしが学生だった頃の北海道旅行で原生花園(だったかな)を訪ねすずらんの群生をみたのを思い出します。
 そう、その時はあのむっつり氏もいたと思います。

2011年5月15日日曜日

ブルーベリーの花を見ました



今年は竹の子も出来が良くないと、ゴルフに行った友人が言っていた。
先週産山に行き、波野の道の駅で買い物をした時、店員さんが「今年はすずらんの咲くのが遅れているんですよ。今からが時季になりますね」というのを聞いた。波野はすずらんの南限地で、自生地がある。残念ながらすぐ近くに居るのにまだ行った事がが無い。今年は行って見ることにしよう。
クヌギ林の果樹たちを見て回っている時、おおお!こんなところにすずらんがとびっくりしたが、そんなわけは無い。
初めて見るブルーベリーの花だった。そういえば花を見るのは初めてだ。なんとまあ可憐な花だこと。
今年の初め重い重いピートモスを抱えまわして、木の周りにしきつけてあげたご褒美に違いない。
この調子なら実も期待できそうだ。

2011年5月8日日曜日

カラス対策は完璧か

 少し忙しいことがあって、久しぶりにクヌギ林の山小屋に行った。
 ようやくジャガイモたちが芽を出していて、畑が少しにぎやかになっていて、安心する。
 しかし今年はいつもよりカラスの声が多い。すぐ近くにも寄ってきて何か悪さをすることはないかと様子を探っているように見える。
 宮崎のアニイから聞いて、昨年から準備していた水糸を取り出して、クヌギの木から木へと畑の上・果樹のうえに張り巡らせた。
 さあ、これで来るなら来い、である。
 隣人をコーヒーに呼んで、帰りに説明すると「あれ?来る時は気づかなかったよ」といいつつ、えらく感心してくれた。
 うまくいけば、今年はナスやトマトを植えても大丈夫かもしれない。

2011年4月25日月曜日

タラの芽に感謝の時季です

 この時季はなんと言っても、タラの芽だ。我が家の林を歩き回って、とりあえず見当をつける。
 だが今取れそうなのは少ない。仕方が無い。隣近所の林も盗み見て回る。するとすぐ隣の林にはこれ見よといわんばかりに林立している。ちっと早いかなと思うものが多いが、ちょうど良いものも少しある。
 これは我慢すべきでない、と言い聞かせる。我が家のものを数本、隣人のものを数本、神に感謝しながらへし折る。そして少しだけ良心が痛むので「ほんのすこしだけタラの芽をいただきました」とメールを打っておく。これでアリバイは完璧である。
 その夜、どんな夕食であったかは改めて書く必要も無いだろう。
 こんな姿のものをだれがいったい、こんなにおいしいと発見したのだろうと、言い合いながら食べたのです。

2011年4月22日金曜日

リヤカーの復活で「東電のバカやロー」

 クヌギ林で使っているリアカーのタイヤがパンクしていた。このリアカーが使えないと結構困ることがある。堆肥を作るための落ち葉や刈り草を集めるためには必要なものだし、果樹たちに肥料をまくのにも重宝している。
 そもそもリヤカーがほしいと思ってあちこちのDIYの店を回り見つけ出すことができず、大分にあるリヤカーのメーカーまでたずねてその価格にたじろいでしょげ返ったものだ。たまたま訪ねた店の一番高いところに小さなリヤカーの取っ手らしきものを発見した時には恋人を見つけたときのような興奮を覚えた。
 先日自転車のパンク修理キットを買って勇躍産山へ。昔やったことがある自転車の修理と同じ理屈だと思って取り掛かったが、どうしてもホイールからタイヤをはずせない。これがはずせないと中のチュウブが取り出せず修理ができないのだ。苦戦すること1時間余り、今日は日が悪いとあきらめた。
 翌日冷静になって取り掛かると、なんとホイールそのものを二つに分解するようになっていたのだ。チュウブを取り出し2箇所の穴を修理して恐る恐る空気を入れると、哀れ、すぐに空気が漏れていることがわかる。そうそう、バケツに水を汲んでつけてみるのだ。別に2箇所の穴を発見した。
 かくして見事に修理を終えて、わがリヤカーは復活した。
 どこかの電力会社のように、どこでもれているか、どれだけもれておるか解らず、いつ修理できるかも計画が成り立たないようでは、われわれの仕事はできないのだ。ふん。
 

2011年4月15日金曜日

パーマカルチャーってなあに?

 パーマカルチャーという言葉をはじめて知った。池澤夏樹の小説「光の指で触れよ」に出てきて、小説の中でも説明されていたが、ネットで調べておおよそのことはわかった。 要するに、福岡正信の自然農法の考え方に、できるだけお金を介在させない社会構造を作って、持続する生産可能な社会にしていこう、という考えだと理解した。(違うかもしれないけど) ポイントは「自然から何も奪わず、何も加えないこと」「自身は何も生産しない貨幣を関係の中心におかないこと」にあるようだ。 なるほど、と思いつつ、いつかどこかにあったような生産関係ではなかったかと、悩む。いっぽうで、そんなことがこれだけ消費文型がはびこった世の中で実現できるのだろうか、実現できたとしてもごく小さな集団の中でしか無理ではないか、とも考えてしまうのだ。 この年になって、悩むことが多いのだな。 でも面白い。

2011年4月6日水曜日

もしも東京電力の社長だったら

 東京電力の犯罪は明白となった。高濃度放射能汚染水を説明も無く垂れ流していたことに対して、今日の漁協会長の怒りに満ちた補償要求は東京電力社長を縮み上がらせていた。  この要求は同時に菅直人にも向けられるものである。「あなたたち何も信用できない。福島はもちろん、すべての原発を撤去してもらいたい」。 東京電力の経営陣の責任は逃れようも無い。 だが待てよ、と思う。もしも私が社長だったらどうか。どのような判断ができただろうか、と考えてしまう。いったい彼らにはなにがしかの判断をする権能があるのだろうか。何か大きな魔力に縛られているのではないか、彼らのたぶん有るであろう善意や正義など発揮できないような魔力に。 さてあなたが東京電力の社長だったら、どうしますか。

2011年3月27日日曜日

ようやく一輪、福寿草


 今年は桜が遅いようだ。久々に久住ルートでクヌギ林に行くことにした。途中に白丹(しらに)という集落があって、しだれ桜が見事なのだ。

 しかし今日見た限りではまだまだという感じだ。芽吹く気配はあるが、来週あたりまでは姿を見せてくれそうに無い。

 10時頃にクヌギ林に到着。さっそくジャガイモを植えるための畝作り。隣人の焚き火用のかまどから灰を拝借して二つに切った種芋たちに手当て。

 お昼は冷凍してあるご飯にレトルトのカレーをかけて簡単昼食。一杯立てのコーヒーでしばしゆっくり。やおらやる気を出して、ジャガイモの植え付け。70個の種芋を植えた。

 意外に早く終わったので、泊まるつもりでいたのを変更。準備を終えて、もう一度見ようと来た時真っ先に見た福寿草を観察。10時にはつぼみだったのが、一輪きれいな花をつけていた。来週の楽しみが増えた。

2011年3月24日木曜日

久しぶりにゴッドママに会う

 ゴッドママに「あそぼ」と電話。すかさず「あそぼ」と帰ってくる。車でお迎え。一時半から市民劇場に行くというので近くでお茶でもと思っていたが、「県庁にいこ」とおっしゃる。「議会塔の最上階に食堂があるのよ、行ったことが無いの?バイキングでコーヒーやケーキもついて600円よ。良いでしょ。」
 久々のゴッドママは相変わらず元気だった。たぶん70歳が近いと思うが、ゴルフもやるし、昨年まではマラソンもやっていて、指宿まで出かけていた。
 10年ほど前参議院選挙に担がれ、出馬発表前にマスコミにバレそうだと言うので某党の幹事長から「どこか隠しておけ、家にもおらんごと」と指示され、仕方なく友人を誘ってゴルフに行った。後で知った幹事長から「ゴルフ場に隠れたか!」と妙に感心された。残念ながら参議院選挙には敗れた。
 「あなた、山小屋の話は聞くけど、お姉さま一度行きませんか」とは言わないのね、という。「桜のいいときにいきましょうよ。」と約束したので、しだれ桜の時季を設定しようと思う。

2011年3月22日火曜日

単一が無ければ、単2で考えろ、てか

 懐中電灯に使う単一電池が無い、ということで、知人から「埼玉に送るから探してくれ」と連絡があった。「単一電池ぐらい何ぼでもあろうが」と答えて、早速ちかくのスーパーやコンビニを探したが、はたしてまったく無い。単2は一杯有るのに。
 コンビニのおじちゃんが「すべて関東に送った。しばらく入ってこんじゃろ。」という。
 他の用事で建築屋のナベちゃんを訪ねて何気なく事情を話すと、「あんたもたいがいバカじゃなあ、俺も同様の依頼があったから、単2が使える懐中電灯と単2電池をセットでたくさん送ってやたよ」という。
 なるほど私は単一・単一とお題目を唱えながら、無い無いと騒いでいただけ。何に使うかをしっかり聞いて、ある材料でその道具と一緒に送ってあげればいいのだ。損な簡単なことがどうして思いつかないのだろう。頭がすっかり硬直していて柔軟な対応力が失われているのだろう。
 知人に知らせたら「すごい、その通りだ」とえらく感心された。
 硬直したあたまの持ち主が多いのだ。

2011年3月18日金曜日

「英国王のスピーチ」が呼び起こす大切な本

 話題になっている「英国王のスピーチ」という映画を見た。幼児の時から吃音のある王子様、幸い次男坊なので国民の前で話すような事態にはならないと思われるが、著名な医師についてなんども矯正しようとしては失敗の連続であった。
 ところが兄が王の継承権を放棄する。仕方なく英国王となった。町の吃音矯正をするおじさんについてさまざまな苦難を乗り越えて、時には離れ、怒り、不信を持ちしながら克服を目指す。
 ときあたかもナチスドイツとの戦いを前に、国民を鼓舞するスピーチをしなければならなくなった。おじさんの指導を受けながら、みごとな演説することができる、というお話。
 私が興味を持ったのは、どのように王様の心と身体を開いて吃音を矯正していくのかということであった。
 昔、竹内敏晴という演出家が居て、彼自身も子供の頃吃音で、演劇の道に入って訓練し俳優・演出家となった。この人に「言葉がひらかれるとき」という著作がある。長い間私の大切な本だった。今ちくま文庫になっているようである。「ひらく」は難しい漢字で「引き裂く」というような意味だったと記憶している。もう一度読んでみたいという気分になった。
 

2011年3月15日火曜日

大地震に政府も企業も思考停止か

 政府とNHKは「東北。・関東大地震」と呼び、民放と新聞は「東日本大地震」と呼ぶ今回の地震と津波は表現する言葉も無い。誰かを批判することもできないと思う。
 だが福島原発問題は少し違う気持ちになるのは私だけだろうか。確かに地震と津波による被害のためにさまざまな障害が生じ、計画通りの回復措置が取れないことは、ありうることとして受け入れてもいい。しかし、たとえば海水を入れることはもう少し早く決断しても良かったのではないか、海水を使うと回復後(回復したとして)の原発が使えなくなる、あるいは大きな経費がかかるなどの問題があってそのことを先ず心配したのではないかという疑念がよぎる。
 ここでもこんな事態でも企業は先ず企業の利益を優先して行動するという資本制社会は生き延びていけるのだろうか。いろんなことを考えさせる事件である。

2011年3月9日水曜日

梅はまだか、腰がちと痛いぞ!

 風が強い日で、外で作業するのが億劫です。ようやく久しぶりにクヌギ林に来たのに、日陰ではまだ地面が凍っています。でも今回は畑を起こして自慢の堆肥と石灰をまいて植え付けの準備をしようと思ってきたのですから、残り少ないやる気を総動員してがんばるしかありません。
 耕運機にガソリンを入れて、スタートのロープを引っ張ると一発でかかりました。これで少し気分が良くなります。鼻水をすすりながら、よたよたと耕運機を操って何とか耕し、堆肥と石灰をまいてもう一度耕しました。これで2時間くらいかな。後の時間は恒例のコーヒー集会。
 これを鍬を持って手作業となると、まず3日はかかります。このところ少し肉体労働をすると息切れが激しく30分も持ちません。だましだまし、休み休み作業をしますから3日か」4日はかかることになるのです。
 昨年耕運機を買ったのは大正解ですが、年に数日しか使いませんから、どうなんでしょうね。
 翌日は果樹たちに堆肥と油粕を根の周りに敷いてやりました。われながら良く働いたと思います。少し腰が痛いのは、充実の証でしょうか。
 まだ梅は固いつぼみです。今度来る時には咲いてくれることでしょう。

2011年2月26日土曜日

「酔いがさめたら、うちに帰ろう」

 この映画は実はスルーしようと思っていた。ところがNHKのつり番組で西原親子が出演する放送を見て気が変わった。
 漫画家の西原理恵子と戦場カメラマンの旦那と家族の物語。旦那は極端なアルコール依存症。入退院を繰り返し、ついには自ら決意して精神病院に入り家族に支えられて社会に復帰しようと戦う。もうすぐ退院ができるというある日癌を宣告され余命は無いと告げられる。
 この夫婦すでに離婚しているが、西原は子供たちの父親を何とか立ち直らせようと支え続けるのだ。
 この映画は旦那が書いた同名実話小説を基にしているらしい。
NHK「日本つりの旅」で沖縄の南洋チヌつりに挑戦しながら、西原は連れて行った男の子に「男はやっぱりつりでしょう」と言い聞かせる。死んだカメラマンはつりが得意だったのだろうか。まだ結婚する前、彼につれられ初めて行ったつりの記憶とそこに居るカメラマンの素敵な姿が、いつまでも彼女の脳裏に焼きついているのだろうか。
 男の子は見事にチヌを釣り上げ、「こんなにモチベーションがあがるとは思わなかった」と興奮していた。
 一ヶ月ぶりに生意気な店を訪ね「いい映画だったよ」というとコーヒーがただになった。

2011年2月23日水曜日

春よ来い、と叫んでみるか

 菅内閣もどうやら終末が近くなってきたようだ。さきの16人の会派離脱騒動に続いて、内閣政務官からも見放されるにいたった。
 幸い政治家たちがドタバタしていてもわが国はそれなりに動いていくが、実力の無い人間が指導的立場に立ってなにかの成果を出そうと背伸びすると悲惨な結果となる。身の回りにも肩書きで威張り散らしてヒンシュクを買っているひとを見ることがある。肩書きをなくしたとたんに影が薄くなって、哀れさえ誘う。
 岩波新書シリーズ日本古代史全6冊(2冊刊行)の第一分冊「農耕社会の成立」を少し読んだ。これは面白い。弥生時代になると、身分の上下ができて、指導者らしき人が出てきたようだ。このころの指導者は実力が無ければ勤まらないだろうと思うが、どうだろうか。
 3日ほどクヌギ林で過ごし、ピートモスをブルーべりーの根元に敷き詰めた。今年は少しは実をつけてくれるだろうか。

2011年2月15日火曜日

雪のクヌギ林も悪くない


 今週も山は雪マークばかり。

 今年になって初めて産山に行ったのは一月中旬。ところが国道を曲がるととたんに雪道。山小屋近くになると道が凍っている。うかつなことにチェーンを持って行ってなかったため、最後の坂道を登ることができず断念。

 翌週国道から入ったところでしっかりチェーンを装着して、何とか行き着いた。ところが水が出ない。せっかくたどり着いたのに何とも残念。あたりは一面の雪。畑も雪に覆われている。よく見るとあちこちに動物の足跡がある。隣人が「イノシシが出る」といっていて、「うちは出ないよ」と威張っていたが、これはイノシシに違いない。

 そうか、ようやく我が家にも現れたかと妙に安心する。

 夕暮れ時、とても静かな時間が流れる。寒さを忘れ、しばしクヌギ林を歩き、水の出ない山小屋をあきらめてゆっくりと帰路につく。

2011年2月11日金曜日

佐藤優の「宗教論」に異議あり?

 佐藤優の「初めての宗教論・右卷」が出たのは、随分前。昨年の早い時期ではなかったか。ところが続編の「左卷」がなかなかでない。本屋をのぞくたびに「まだか!」とイライラした。
 山の隣人にも「出ないねえ、もともとこの問題で本を出すのが早かったのかねえ。大体本を出しすぎのきらいもあるね」と不満を漏らしていた。
 その左卷がようやく出版された。
 山の隣人に「左卷が出たぞ」とメールを打つと「もう読んだ、けど解らん」と返事が来た。
 なるほどよくわからない。飛躍があるし、どうも自分に都合のいい論理を駆使していると感じる。
 郷土史のN先生にそういうと「もともと宗教論はそういうものではありませんか」とおっしゃる。まあ、そういえばそうかもしれないが、なにかしら釈然としない。
 もう一度「右卷」から読み直してみるしかないか。暇は充分あるんだから。

2011年2月7日月曜日

竹田のひな祭り


 厳しい寒さが和らいだ先週の末、久々に山小屋に出かけた。
隣人が「竹田の町のひな祭りを見に行こうか」と誘ってくれたので、一緒に出かけた。思えば竹田のまちをゆっくり散策したことが無い。
 駅前の駐車場に車を止めて、2時間ほど路地を縫うように街中を散歩。古い店はほとんどそれぞれに伝わるお雛様を飾り、あるいは新しい「新作雛」を展示していた。
 こうして歩き回ってみると、竹田の町も悪くない。城下町であったことを残す武家屋敷のあともあるし、由緒あるお寺やおみせも残っている。「いろいろ工夫してがんばっているようだがなかなか成果が出ていない」と隣人は解説してくれた。
 山小屋に帰って、いつものように隣人b氏も加わってドラム缶の焚き火を囲んでコーヒータイム。静かなおしゃべりの時間。

2011年1月30日日曜日

万年筆を撫で回して楽しむ

 筆記用具には結構な愛着を持っている。
 日常は、三色ボールペンを使って、本の気に入って部分には赤線、書き込むときは青線、ノートに写すときは黒と使い分けて重宝している。
 撫で回して喜んでいるのは万年筆。
 初めて気に入った万年筆を手にしたのは、今から40年位前。当時付き合っていた今の女房からもらったペリカン。いつの間にかなくしてしまって、いまだに冷たい目で見られる。
 次は地区労の事務局長をしていた(今は県議会議員)友人が持っていたモンブランを「お前が持っておくより俺が持ったほうが似合う」といって取り上げたもの。これは大いに活躍した。癌になって余命いくばくも無い友人がインクの出が悪い万年筆を使って「闘病記」を書いているのを見て「これで書け」とあげてしまった。友人はまもなく先立ち、「闘病記」を出版した後、奥さんが「これはやはりお返しします」と帰ってきた。その後随分使ったが、次男坊に譲った。
 次はドイツに旅行した友人が最新のモンブランも買ってきてくれた。編集事務所をやっていた頃、主にこの万年筆が活躍したが、キャップが悪くなって机の奥にしまったままになっていた。
 編集事務所をやめた時、友人の奥さんが「長い間ミニ通信を送ってくれたお礼」といってセーラーをプレゼントしてくれた。今はこの万年筆を使っている。
 先日机の中のモンブランを引っ張り出して、文具店にもって行き「修理ができるか」を聞いた。可能かどうかメーカーに送って3週間くらいかかるというので、頼んでいたがようやく返事があり、1万3千円程かかるという。仕方が無い、せっかく出会った万年筆だ、もう一度日の目を見せることにしよう。
 それぞれの筆記具に思い出が一杯ある。

2011年1月23日日曜日

綿矢りさにめろめろ

 作家の綿矢りさが久しぶりに小説を書いたと言うので、NHKの「週間ブックレビュウ」に登場した。
記憶では、「けりたい背中」で芥川賞を受賞したのは19歳だった。あれから6~7年は経っていると思うが、この間ほとんど発表していないと思う。
 すっかり女ぶりをあげているのにびっくり。吉永小百合を知的にしたような別嬪である。とりこになってしまった。新作「勝手にふるえてろ」を読まねばなるまい。 
 西大分に大きな本屋さんがあって、喫茶室も有るし、広い店内のあちこちにイスやソファーがおいてある。立ち読みならぬすわり読みができるようにしてある粋な計らいである。
 小説の類は2度読むことはまず無いので余り買わない。りさちゃんの「勝手にふるえてろ」はここで2回に分けて座り読みで読ませてもらった。
 なかなかである。「けりたい背中」からすると確実にいい。これからも注目しておこう。
(しばらくパソコンの調子が悪かったので更新できませんでした)

2011年1月15日土曜日

初ゴルフは寒かった

 湯布院の兄貴から(といっても血はつながってはいない)「よーいゴルフにいくど」とでんわがあった。
「えー、雪がふっちょるが、でけやせんど」
「せわねえ、ちゃんと調べちょる」というので、「ほんならいこかい」となった。
前日、麻雀をしていたら、客の一人が「別府の北のほうは雪が降っていた」といって入ってきた。
言わんこっちゃねえ、と思って「別府の森ゴルフクラブ」に電話。「雪は大丈夫かえ」「全然大丈夫ですよ」という返事。良かったと残念の気持ちが半分。
 久しぶりに湯布院の兄貴に会った。腰は少し良くなったというが、足はまだ良くないようだ。歩き方がぎこちない。それでも週一のゴルフは欠かさないというから、元気の元かもしれない。
 それにしても寒い。手の先が感覚を失うほど。だから、スコアも良くない。何とか二桁に収まったのはよしとしよう。年々下手になる。

2011年1月10日月曜日

「ぼくのエリ~200歳の少女」を観た

 シネマ5で今年初めての映画「ぼくのエリ~200歳の少女」を観た。
 世の中の善意と悪意、そしてその中間の普通の人々。普通の人々は悪意に流され、社会は悪意に支配されていく。
 少年は予断を持たない無垢な存在。学校ではいじめられっこだが、ある日エリに会う。エリは人の血をすって生きているバンパイア。少年はエリに恋心を抱くようになる。
 残酷で人々を殺して生きているバンパイアのエリ、実は神のような存在。少年を勇気付け、不条理と戦うことを教え、窮地では助け舟を出す。
 かつて、イラン映画の「亀も空を飛ぶ」という映画を観たが、この映画も残酷で悲しいクルド族を描いたものだが救われたような気持ちになったことを思い出した、その気分を味わうことができた。
 いきなり今年一押しの映画に出会ったかもしれない。
 

2011年1月7日金曜日

文字の大きさに悩む

 「ようやく校正があがったぞ」という連絡を受けて、N先生のお宅に伺った。
 こういっては何だが、自分で書いた原稿なのにものすごい量の手直しである。付箋が一杯ついているし、新たに紙を貼り付けて挿入も一杯ある。
「先生大変でしたね。やはり読むたびに欲が出てくるのですね」というと、黙ってこくりとうなずくだけ。となりで奥様が「ほんとうにごめんなさいね。もうきりがないのよ」とおっしゃる。
 「ところで、文字の大きさだがね、これくらいの大きさにならないかね」と、ほかの歴史書を示して、かなり強い口調で言われる。「先生はまだ目がいいのですね。私なんかこの大きさでは読みづらいですね」というと、又奥様が「そうですよ、自分でも読むのに苦労してるんですよ」と暴露。
 「失礼ですが、文字を大きくすると安っぽくなると思っているのですか」というと、又奥様が「その通り。かっこつけているんです」とずばり。
「うーん、でも他のこの手の本は字が他の本より小さいんだよなあ」と悩ましげである。
 奥様がお茶を入れ替えにたって戻ってきた時に「お母さん勝ちましたよ、この大きさで行きます」と報告すると、「ああ良かった。」と喜んでくださった。
 30年位前、この奥様がサイホンで淹れてくださったコーヒーがとても美味しかったのを思い出した。

2011年1月1日土曜日

今年もまた「はんせい」 の日々かな

 新しい年になった。といっても何も変わったわけではない。
 「朝まで生テレビ」を朝まで見ていた。今日のは結構面白かったが、司会者を変えるか、佐藤優と佐高信をコメンテーターに入れるかしないとこれいじょうは深まらないと感じた。
 ブリはさしみ、しゃぶしゃぶ、照り焼き、昆布巻き、荒炊き、と食べたが、少々飽きての頃はづけにした。こうしておけば、お茶漬けにしても良いし、焼き物にしてもいい。食べつくしてしまいそうである。
 今年は統一地方選挙の年である。なにか起こりそうな気がする。いや起こってほしいと期待している。民主党は分裂するのかもしれない。それもいひとつのエネルギーである。かならずほかの政治勢力にも影響を及ぼし、何がしかの動きを促す。
 自分の政治信条を持っていない政治家が余りにも多い。「おれはこれをやりたい」というものを持って議員バッチうをつけている人が地方政治かも含めてどれくらい居るのか。
 仕事柄政治家や政治家を目指す人にたくさん会う。「何がしたいの?」と問うことにしている。ぼんやりとでも「こういうことをしたい」と目標をもっているひとは驚くほど少ない。頭にきたときには怒鳴りつける。相手は議員先生かその卵である。だがその時の私には関係ない。仕事を頂いているなどというかんけいも吹っ飛んでいる。「二度とこないで」といわれてもぜんぜん平気。「お前は有権者に何を語りかけるのか!」とやってしまう。
 又やってしまった、と反省する。でもまあ、いいっかと思ってしまう。ことしもまだ直っていないと思う。