2014年4月26日土曜日

さすらいの庭師にまた助けられた

ドラム缶焼却炉の威力を楽しみながら小さなクヌギの腐食した山を制覇した。
しかしこれに満足してはいられない。物置の横には数倍もある雑木の山があり、その下には大きな木の株が埋まっているのだから。
制覇した山にはバケツ4杯もの幼虫たちが住んでいたのだから、ここにはいったいどれくらいの住人がいるのだろうと恐ろしくなる。
雑木は私の怪しげな腰つきでも容易に運び出せる。湿っているので広いところに放り投げて乾かすことにする。
不思議なことに、カブトムシの幼虫たちはほとんどいない。どうしてそうなのかはまるで解らない。
問題は下に埋まっているクヌギの株だ。
悪戦苦闘して5本の株は掘り出したが、大物数本はどうしても動かない。だめだ、コーヒーにでもしよう。あきらめ気分を漂わせながら、少しふてくされながら、一人寂しくコーヒーを飲み外に出るとなんとさすらいの庭師の車が来ているではないか。
さりげなく「お、どうした!今日は休みか?」と近づく。
「ええ、相棒が沖縄に行ったのでしばらく休みです。今日は祖母山に登ってきました。」と言う。結構、結構、大変結構。
「じゃあ、晩飯うちで食う?」これは、彼を見かけたときのいつものせりふ。
「はい、いただきます」これもいつもの答え。
「木の株を掘り起こしているんだけど、動かないのがあってね・・・」と、これもさりげなく。
すぐ食いついてくるのが彼のいいところ。「やりましょうか!」とすばやく地下足袋をはく。
何のことはない、彼らにかかれば朝飯前ならぬ晩飯前だ。あっさり片付けて、「ついでに割っときましょう」と大きな斧を持ってきて割り始めた。
さすがに割れない株があったらしく、「これは異常に硬いですね。」と言うので「少し乾いてからチェンソーで切るよ」となぐさめて、「晩飯は6時ね!ありがとう」と感謝。
本当にタイミングよく現れる庭師である。

2014年4月18日金曜日

カブトムシの幼虫がうじゃうじゃ

6年位前シイタケのホダギにした残りのクヌギを、隣人が薪にしたいというので輪切りにして積み上げていたのがそのままになっていて、ほとんど腐ってしまっていたのを片付けたいと思っていた。
近くのガソリンスタンドに頼んでドラム缶焼却炉を作ってもらい、掘り返して燃やしてしまおうとしたところ、なんと中はカブトムシやクワガタの幼虫の楽園になっていた。
出るわ、出るわ、バケツで4杯の幼虫がすんでいた。
さて、こいつらをどうしたものか?
以前、堆肥に入りこんだときには、雑木林に穴を掘って埋めてやったのだったが、今回はあまりにも多いし何しろよだきい。
結局選んだのは、クヌギ林に撒き散らすこと。
東京からの移住者が「大丈夫?」と疑問を呈するが、「何匹かは生き残るでしょう?下は腐葉土になっているし」と自分に言い聞かせるように答えたのでした。
これで彼らの産卵場所が減ってしまったことに、少しばかりの申し訳なさを感じますが、果樹たちには結構悪さをするので「ハーフハーフ?」かなと慰めています。
ドラム缶焼却炉は見事に役割を発揮してくれました。半ば腐り湿っているクヌギの丸太を2日ですっかり片付けてくれました。
願わくば、あの幼虫たちが成虫になってくれるようにと祈るばかりです。

2014年4月4日金曜日

炭竈はさくらも人も満開

竹田の白丹、炭竈のしだれ桜を見てきた。
途中、川床と言うところには見事な桜並木があったのだが、おととしの水害ですっかり流され見る影もなくなっていた。昨年隣人を連れて行ったとき、改修工事をやっていてなーんにもなくなっていていそがしく行きかうダンプの砂埃に追い立てられるように逃げてきたのだった。
その川床は、悲しいほど見事に立派なコンクリートに囲われた川に変貌していた。
やはり川は、自然のままの川がいい。

はっきりと思い出すのは、時折風に吹かれて舞い落ちる桜並木の下を若いお母さんが乳母車を押しながらゆっくりと散歩する姿だ。こんな山奥の里山には似つかわしくないほどカラフルでまるで絵の中から出てきたような景色に見とれたのだった。
橋の上からカメラを構えてフレームに収めようと試みたがどうにもうまくいかない。石段を降りてさりげなく撮ろうとしたのだが、そのときすでに若い母親は向こうのほうへ向き直っていて、その姿をカメラに納めたのかどうかすら忘れてしまった。

「炭竈の枝垂れが満開だよ」と隣人にメールで知らせると、「そうだ、満開だ、いま見てきた」と返信。何のことはない、ほとんどすれ違いで見に来ていたようだ。