2014年11月24日月曜日

我ながら、良くやった!!!!

ここ数年刈ってなかった笹林を、何を思ってか綺麗にしてやろうと取り掛かった。
そして半分ほどすっかり綺麗にして、刈り取った笹も燃やしてしまって大満足したのだったが、
「ほう、すげえ、やるもんですねえ」などと褒められると、まんざらでもない。
今年はここまでと決めていたのに、ついちょうしにのって残り半分にも手を出してしまった。
刈るのに二日。一日乾かして、刈った草を集めながら燃やすのだが、これがオオゴト。集めては燃やし、一日かかって足を棒にして、一万二千歩歩いて、ようやく燃やし終えたときには、自分の行動力に感動したものだ。

しかし、今回の目的は堆肥の準備をすることだったのだ。そのために隣のお米屋さんから糠もらってきたのだし、途中のdlyで鶏糞も買ってきたのだ。
これがまた例年のことながら大変。もう書くのもいや。でも、始めなければ終わらない。と思って嫌々始め、タバコ休憩、コーヒータイム、ちよっと隣へ、などとさぼりながらなんとか終了。

東京からの逃亡者が「よくやるねえ」とほめてくれた。

2014年11月13日木曜日

久々に芥川仁を発見

岩波新書から芥川仁さんの「里の時間」と言う本が出版されたことを知って、いそいでいつもの本屋へ出かけ、わくわくしながら買い求めた。
芥川仁さんは写真家で、何を隠そう私の高校の後輩。ずーっと昔、友人の家で一度だけ会ったことがある。その時「写真はカメラしだいです。いい写真はカメラが良ければそこそこいい写真が撮れるものです。」と言った言葉が、彼の謙遜のように聞こえ好感を持ったのを覚えている。
彼はその頃「土呂久」に取り組んでいた頃だと思う。
記憶に間違いがなければ、大学の先輩の初任地がその近くの小学校で、一度遊びに行って授業をさせてもらったことがある。
そのあとだったろうか、新聞記者を辞めてトロクを追いかけていた人が「亜ヒ焼谷」と言う本をやはり岩波新書から出したのではなかったか。
仁さんは、水俣を取材して写真集「水俣~厳存する風景」や、大分の豆腐屋作家松下竜一の日常を撮って「世界」のグラビアを飾ったりして、そのたびに私は誇らしく思ったものだ。
さて今回の「里の時間」、なかなかの仕事。写真は少し点数が少ないし、何気ない平凡な写真なのだが、これまでの彼の仕事につながりを持ち、さらにこれからの行く道を暗示するような、人が何を価値として生きていけばいいのかを考えさせてくれるのである。
哲学者たちも、経済学者たちも、資本主義のどん詰まりに来ているように見える今日の、行くべき道を模索しているのだろうが、芥川仁もまたそのようなみちを模索しているように見える。

2014年11月2日日曜日

国民のレベルが政治家のレベル、なんだって

戸無ガ原は椎茸の時期になった。
六年もののホダギと二年もののホダギがあるが、二年ものが最盛期になったようでまさに鈴なり状態である。
ちなみに近所の住民もみんな作っているがポチポチで、我が家の出来具合を見て敵意をあらわに「どうして!?」と詰め寄って来るほど。

米原真理の読書日記のなかに山城新伍の「現代-河原コジキ考」という本のことが紹介されていて、その出版社が解放出版となっていて、山城新伍とどうつながっているのかという感想をもったのだった。
で、山小屋の帰り図書館に寄って借り出して一気に読んでしまった。
役者風情の割には結構良くかけている本で、(こういう表現を山城は好みかつ猛烈に反発するのだが、私は敬意を込めて役者風情と言う)出版社がこの本を出した意味も良く理解できる。
この人は本当に子供のようにまっすぐ、自分に正直に、差別や人間の悪意と闘って来た人なのだとよくわかる。

来年は統一地方選挙の年だ。
私の周りでもボチボチそれらしき動きが現れはじめた。
その国の国民の良識以上の政治家は生まれないのだそうだから、やっぱり国民市民がしっかりと自分の頭で考えて、政治家を選んでいく以外に新しい社会は望めないのでしょうね。