2013年1月27日日曜日

いつもの喫茶店で癌談義

やくざの山ちゃんもぼくの執行猶予をとても喜んでくれた。聞けば山ちゃんは三度も膀胱ガンを手術したのだそうだ。それで「まだまだあんたは経験不足だ」ということになるようだ。
彼は他にも癌の手術をしているからいわば大ベテランだ。
いつものように本屋の喫茶店で「お茶」をしたとき、「俺もやってしまった」と言う。
何のことかと思ったら、以前ぼくが山ちゃん家の塀に車をぶつけたことがあって、その時見ていた奥さんが、笑いをこらえて「あらまあ」をいったのを「あんたかたの塀はしつけが悪い」と笑いながら抗議したのを覚えていたらしい。
俺には、「自分家の塀にぶつけるなんてバカじゃないの?」とあきれていたらしい。
「ばかたれ、塀のほうがぶつかってきたんじゃと言うてやった。」と威張って見せるが、説得力はない。
今車は入院中らしいから、「ほんなら今日は奥さんの車で来たの」と聞くと「それがあんた、カカの車で来ようと思ったら鍵を持ってどこかに出かけておって、どうしようもないんじゃ」と憮然としている。
「え、もしかして歩いてきたの?」聞くと、にんまり笑って「自転車!」と嬉しそうに答える。
「ほんで何時に集合な?」と言う。久しぶりに麻雀をやろう、と言うことだ。
こちらは久しぶりではないから、「何時でも良いよ、又お小遣いをいただきます」と言いつつ「5時にいつものところで」と話は早い。
この結果については、山ちゃんの名誉のために詳細は控えるが、ぼくが「ごっちゃんです」と言って帰ったことだけは記憶にある。

2013年1月20日日曜日

執行猶予だ、車を変えよう

手術から2ヶ月半経って、初めての検査が先日ありました。
若い看護婦さんがぼくのしなびたポコチンをつまんで、「はい、消毒しま~す」「ますいをいれますよ~」と慣れたてつきで進めます。
このお嬢ちゃんはたぶんまだ独身だろうに、毎日いろんなポコチンをこねくり回して大変だな、大丈夫だろうか、と余計な心配をしてしまう。
自称30台の女医が、「それでは診察します」と内視鏡を差し込んでモニターを見ながらくるくる回す。そういえばこの別嬪の女医も未婚だと言っていたなあ。
そこへ、担当のX医師が現れフムフムとなにやら女医と話しながらモニターを見ている様子。
「きれいですね」と言う女医の声が聞こえる。
「はい、終わりましたよ」という可愛い看護婦の声に救われる。
しばらく待って、Xi医師と面談。「経過はいいようです」と写真を見せてくれる。「もうしばらく今の薬を続けて様子を見ましょうか!前立腺はそのあと検討しましょうね」と半分は脅し。

とりあえず執行猶予。
何かお祝いをしよう。そうだ、かねてから車を四駆に変えようと思っていたからこの際やってしまおう、と決意。
あれこれ迷った挙句、軽の人気車種に決めた。そうなると早い。早速ルンルンとお買い物。これで雪のクヌギ林のも行けるぞ。

契約した帰り、インフルエンザがはやっていると言うニュースを思い出し、最初にぼくの異常を警告してくれた医師のクリニックへ。「ワクチンを!」と言う前に「あら大丈夫ですか」と受付の女性。良く覚えているもんだ。
ワクチンの注射をしながら、「手術前に大変な知恵熱が出たんですって?」と冷やかすように中年女医。何でそこまで知っちょとか!と叫ばない。「何しろ知恵の塊なもんで」と受け流す。
この中年女医、結構可愛いんだ!

2013年1月13日日曜日

二人の睦夫氏から

 クヌギ林はとても寒かった。
 昼ごろついたのに水道の水が出ない。一瞬とまどいながら考える。どうにかなるか。となりの住人は来ていないが、水道は出る可能性がある。そうだ、夏の集中豪雨のときに村が配ってくれた20リットルの水が2個倉庫にある。使用期限は過ぎているが大丈夫だろう。
 昨年同じような事態でやむなく断念して降りたことがある。
 とりあえず20リットルの水をひとつ運び込む。ストーブをつけ、すべての蛇口を開けておく。
湯を少し沸かしコーヒーを淹れて、さてどうしようかと思案。
 そこで、わずかな水の流れる音がし始め、やがてすべての蛇口から勢い良く水が出始めた。
一件落着。落ち葉を集めて小さな山をあちこちにつくり、堆肥作りの材料をこしらえた。
 三日ほど過ごし、少し満足して下山。
 今日夕食前に高千穂の睦夫氏から電話。「蕎麦は食うか」と言うので「食う、食う」とあわてて返事。
 近くの農家と共同で蕎麦作りを始めた、少し送る、とのこと。ありがたい。
 夕食後、大分の睦夫氏から電話。彼は労働・政治運動の師匠のような人。「新聞は何を取っているか」と言うので、「毎日」と答える。「朝日に前立腺のことが連載されている。大いに参考になるので読むといい。」とのこと。又ありがたい。

2013年1月2日水曜日

新しい手帳を開いて考える

あけましておめでとうございます。
今年もそこそこにお付き合いください。

孫一家が帰り、急に静かになった家の中で漠然とテレビの番をしております。
ふるーい友人から「年賀状を見てびっくりした。生きているか」と電話。聞けば彼も数年前同じ病気で入院手術をしていた由。「いやー、軽くてよかったのお」と喜んでくれるが、私もかれの病気がそのようなものとはついぞ知らなかった。
なるほどこの歳になると、似たような疾患に陥るようだ。意外に同病の士が多いのかも。

びっくりするのは、高校時代の恩師。
4年前から定時制高校に入りなおし、ついにこの春には卒業にこぎつけるのらしい。私が高校1年生の時初任だったから、7つ年上として73歳なるはず。
身体もさることながら、その精神の若さと持続力にただただ脱帽。私が卒業してからすぐに教職を辞め、面白そうな職業を転々されていたと思うが、会ったのは2~3回だと記憶する。
鹿児島の人で、まさに示現流の使い手のようなはっきりした先生だった。

さて今年はどんな一年になるのか。新しい手帳兼日記帳を開いて考える。