2014年6月28日土曜日

「チョコレート・ドーナツ」と「春を背負って」

本格的な梅雨になったので山小屋に行く機会が少し減った。
こうなると映画で時間を過ごすことが多くなる。何しろその日をどうやって過ごすかが最近の課題なのだ。
一昨日は「チョコレート・ドーナツ」を観た。
これはゲイのダンサーと地方検事、それに薬中の母親にかまってもらえないダウン症の男の子が助けあって暮らしていこうとするが、さまざまな差別にあって共同生活を破壊されてしまうという物語。実話にもとづく話らしい。
身につまされる映画である。
昨日は「春を背負って」を観た。
山小屋を経営する父と、ふもとで民宿を営む母。その息子は都会で金融トレーダー。父が突然死に、息子があとを継ぐことを決意。一人前になるまで手伝うと現れる父の友人、身寄りのないアルバイトの娘、見事な景色の中で織り成す、ともに生きると言う詩のような世界。
なんとはないドラマなのだが不思議と涙が流れて仕方がない。(まだそれなりの感性は残っていたのかなと自分にびっくり)
でも、何か良いことをしたような気分で、となりの喫茶店で余韻を楽しむ。
山の隣人に「いい映画だったよ」とメールすると、となりの県から「いまから見るところ」と返信。これにも少し感動。
うれしくなって大好物の塩豆大福を買って郷土史の先生を訪ねる。
「もう足腰が言うことを利かなくてね、運転免許を返上することにした。」と寂しそう。
「梅雨が明けたら、また産山に山女を食べに行きましょうね」

2014年6月10日火曜日

ちりめん山椒を作ってしまった

梅雨の晴れ間、クヌギ林は過ごしやすい時季。
木陰に輪切りのテーブルを据え、盗んできたイスを並べてコーヒータイム。集まってくる住人もなにやらいつもより楽しそう。
話題は相変わらずどうでもいいこと。だがそれが不思議に弾んでしまうのは、季節のせいか。
名古屋の爺さんが「ここには山椒の木がたくさんあるねえ、少しもらってもいい?」と唐突。
「どうぞ、いっぱいあるよ。切ってあげようか。」と剪定鋏を持ち出すと、「いいよ、自分で必要な時に採るから」。
「でも、なんにするの?」
「いや、この前テレビを見ていたらいろんな料理に使えるんだよね。やってみようと思って!」
そうなんだ、以前は古い友人の奥方がよく採りに来ていたんだ。降りる時にとってかえろうっと。
友人の家に寄るつもりでいたのに、つれあいから「久住のハムを買ってきて」と言われていたのを思い出しいつもの道とは違う道を走ったために、古い友人の家に寄れずに大量の山椒を持って帰ってしまった。
別府に帰り「要る人が要れば近所に配れば」と少し威張って。
その日の夕食。なんと長男が「これがたまらんのだ」と、卵メシの醤油の代わりに自分で買ってきたちりめん山椒をたっぷり乗せてさくさくと美味そうに食べたのだ。
「そんなに美味いか?」と少し盗んで味見。確かに美味い、香りがいい、時々感じるぴりりがまたいい。
「よし、父ちゃんが明日死ぬほどちりめん山椒を作ってあげよう」と宣言。そして今日。
「これでいいか?」とつれあいに聞く。なんだか不満そう。「なにかな?」「塩分は十分よねえ」と言うので、「よし蜂蜜を出せ」と思いつく。
これで万事解決。思いのほかできのいいちりめん山椒となった。