2013年12月27日金曜日

今年も良く遊び、良く遊んだなあ

クヌギ林はすっかり雪の中。
四駆にしたので何とかたどり着けた。時折落ちる雪の音を聞きながら一人さびしく三日ほど過ごし、ことしは最後になるであろうと思いつつ下山。

時々行く大分で一番美味しいと勝手に思っている喫茶店に行くと、そこへ建設会社を息子さんに譲ったばかりの元社長が姿を現す。
「おや、お久しぶりです」と、会話が弾んで、マスターが競馬にはまっていることにおよび、博打の話になった。
「「いねむり先生」と言う本を読みましたか。あれはアサダテツヤの実話ですよ。」と元社長。
「へー、あのアサダテツヤですか、又の名を色川武大。読んでません。著者は伊集院静でしょ。きらいなんです、夏目まさ子をたらしこんだ男でしょ、許せません。」とわけのわからないことを言う私。

でも、こっそり買って読んでいると、やくざのヤマちゃんから「お茶しよ」と電話。
いつもの本屋の喫茶店で会うと、「これ読んでみる?」と持ってきたのが、伊集院静の「男の流儀」。
私もじわーっと「いねむり先生」を出す。
あれー、と言う顔のヤマちゃん。そこで本の交換。
どちらの本も博打のことがいっぱい書いてある、主に競輪と麻雀。私のようなはぐれ者にはこたえられない。

今年も麻雀を腹いっぱいやってきた。
連れ合いは「いいかげんにしないと身体を壊すよ!」と厳しい視線を送ってくるが、長男は「ま、やれるうちはいいんじゃないの」と援護してくれる。

来る年もかわらず打ち続けることになるだろうなあ。

2013年12月14日土曜日

焼き芋と大根間引き菜の茶漬け

クヌギ林は寒い。一度は雪も降ったらしい。かっては小屋の中までツララが下がっていた。
今年はシイタケの出来が良くない。手入れがよくなかったのかと心配だが、ご近所も余りよくないようで、そんな年なのかなと納得させている。
過日、寒い中で焚き火を盛大にしながら隣人たちを呼んでコーヒーと焼き芋の雑談会となった。間食はしない、と宣言していた隣人たちも、寒いのと焼き芋のあの思い出に負けたのか、私の提案に迷わず賛成したのだった。
ぬらした新聞でくるんで焚き火の中に放り込んで20分くらい、もういかんべと言う私の動議に名古屋のじいさんも「良いでしょう」と同意して、焼け焦げた新聞紙のかたまりを掘り出して「あち」と口々に楽しみながら食いついたのだった。
美味い、実に美味い。が、わずかに芯がある。
「あと、5分でしたね」と名古屋のじいさん。
「でもやっぱり美味しいね。時間の目安もわかったしね」と東京からの逃亡者。
こんな時間が今は至高の時なのだ。
落ち葉たちがじゅうたんとなって、あたりの景色を一変させている中、わずかに畑の中では大根の葉がひときわ緑を際立たせている。
間引き菜の漬物で、さらさらと茶漬けを食べようと思うのだ。

2013年12月1日日曜日

悪文のノーベル賞作家

クヌギ林は霙模様。明日は雪が降るかもしれないという予報。
一ヶ月ぶりに会う隣人とコーヒーを飲みながら、四方山話。
「大江健三郎がなんだか新しい本を出しているよ」
「へえ、久しぶりだね、もう小説は書かないんじゃなかったの?」
「ぱらぱらとめくってみたが、読みやすそうなエッセイかな?」
下界に降りていつもの本屋で手にしたが、買って読もうとまでは行かなかった。
学生時代には大江は神様だった。
当時、大江を語らない学生はほとんどいなかったくらいに、バイブルのような存在だったと思う。
ところが、「万延元年のフットボール」くらいからなんだか読みにくいなあという感触が先に来て、しんどい小説になったと記憶している。

参議院候補になった大先生の本を編集した時、校正のたびに前より多くの書き込みが帰ってくるので、「先生、大江じゃないんだからこんなに書き換えられるといつまでも終わりませんよ!」と抗議したことがある。先生は「へえ、大江さんはそんなに校正のたびに書き換えるの」と、うれしそうに微笑んだことがある。何か勘違いしているのではと、少しばかりむっとしたのだが・・・。

大江夫人の証言によると、大江の作品の最初の読者は夫人だそうで、「お父さん、一度で良いから最初に書いた原稿のままで本にしたらどうですか。手が入るたびに読みにくくなっていくような気がするんですけど」と言ったことがあるとか。
大江の文章が下手な翻訳家のつぎはぎだらけの文章になっているのは、書き込み書き足しが多すぎる結果ではないかという我輩の予測は夫人の証言で裏づけられたと一人合点したものである。

しかし今でも大江は私にとって神様である。
たぶん今度の本も近いうちに手にすることになるだろう。

2013年11月24日日曜日

クヌギも脳細胞も初冬の産山

高村薫は好きな作家の一人だった。
ほとんどの小説は読んでいると思うのだが、私の特異な性格のせいかほとんど覚えていない。
だった、と過去形になっているのは「新リア王」を読んでからかなりしんどくなったからだ。
こんなめんどくさい小説を良く書くものだと思ったが、郷土史の先生は「これはまったく新しい小説だ」と絶賛していた。
先生の頭も少しおかしいのではないかと疑い始めたのはこの頃からだ。
そのあと出た「太陽を曳く馬」も「冷血」も手を出さずにいた。
ところが、いつものようにふらふらと図書館に行って、ふらふらと徘徊しているとき運悪く「太陽を曳く馬」が目に入ってしまった。
魅入られたように手に取り、操られように借り出し手続きをしてしまった。
まあいいか、クヌギ林に行って何もすることもなければもしかしたら読んでしまうかもしれない、と思いつつ産山へ。
シイタケが顔を出している。買い物袋一杯も取れた。
大根も順調に育っているように見える。
懸案だったサクランボの苗も思いがけなく手に入って、植えることができた。
しかし寒い。もうストーブなしでは過ごせない。
こうなると読書しかない、と本を開くが、貧弱な脳細胞が言うことを聞いてくれない。
そうだこういう時は何か料理をするのがいい、と豚ブロックと大根の煮物を作ることにした。これは案外に美味くできたと思う。
かくして、高村薫は克服できそうになく、風に舞う木の葉をながめつつ投げ首の初冬の一日。

2013年11月15日金曜日

無理やり初釜のご相伴

クヌギ林は落ち葉のじゅうたん。
さらさらと落ちていく葉たちが示し合わせたように、きれいに地面を覆っていく。
隣人たちを呼んでコーヒーで首脳会談だ。今日はバナナジュースつきだ。
議題は誰から出たのか「菌」についての考察となった。私が作っている堆肥を眺めながらの会談だったからか。
人間世界は「菌」なしでは成り立たないと言う結論が出た頃、「そういえば、Fさんが作っていたピザ釜はなかなか焼くまでにはならないね?」と東京からの移住者Sさんの緊急動議。
名古屋からの移住者Fさんは「あとは温度計をつければ何とかなるんですけど」といかにも人のいい顔で答弁。
お昼近くになったのでひとまず今回はこれまでとなり解散。
さーて、今日の昼飯はどうしたものか、と思案投げ首。
ややあって、Fさんから「ピザを焼きましたのでどうぞ」とメール。なぬ!もうでけたのか。
行くと、奥様がお茶を入れて「さあ?どうでしょうか」とニコニコ。
「初釜ですから、ぜひご相伴を」とわけのわからない挨拶をして釜を覗き込む。Sさんもホントかいなという顔つきでふらふらと歩いてくる。
焼きあがったピザはそこそこのでき。うまいねえ、と社交辞令を忘れず3切れもいただいた。これで今日の昼飯はOKかな。
この時季は山の仕事はあまりない。
小屋に帰って、葉室麟の「冬姫」を読む。最新の小説を求めて図書館に行ったのだが貸し出し中でないので仕方なく古い奴を借りてきたのだった。

2013年11月7日木曜日

今はもう秋、誰かいないか?

クヌギ林はすっかり秋の気配。
落ち葉や枯れ枝を集めて焚き火。誰もいない、さらさらと葉が落ちる音だけの静寂の中。
サトイモを掘る。今年は葉が貧弱だったわりには実がついている。
シイタケも少しだが顔を出している。
質素な夕食をとって、さて何をするか。

このところ雨宮処凛にはまっている。図書館で佐高信との対談「貧困と愛国」を見つけ、一気に読んだことからだ。
いつもの本屋で「いきさせろ」(ちくま文庫)を見つけ読んだ。それで自伝のような「生き地獄天国」があることを知り、探すがないので、これも図書館で探す。
これもまたすごい。右翼団体一水会の代表が「これは現代の聖書だ」と騒ぐのもうなずけるような気がする。
昨年だったか、山の首脳会議で「いまの政治は期待できない。これから期待できそうな人物はいないのか」と言う議論になったとき、湯浅誠や世田谷区長とともに複数の住民から雨宮処凛の名が挙がったことがある。
「処凛チャンは確かに期待できるが、政治家になる気は無いじゃろう?」と言う意見だったが、この本を読む限りではそんなこともなさそうだ。

来年用の手帳も買ったことだし、もう少し生きて何かに期待してみようか。

2013年10月27日日曜日

籾殻獲得の顛末

由布院のマー兄から「もみガラが倉庫に入れてあるからいつでも持っていけ!」とメールが入った。
事の起こりは、某党の党首選挙の会場で久しぶりにマー兄に会って「や、お前は生きちょったか?」と言う会話から始まった。
このところマー兄の主宰するゴルフコンペに欠場しているので、「あいつは悪いんじゃねえか?」といい振らしていたらしい。
「何とか生きちょる!、ところでまだ米は作りよるんか?」
「もう作らん、知人に作ってもろうち、米だけもらう」
「ほんならもみガラがあろうが。ちびっとくれんか!」
「何すっとか知らんが、準備して連絡するわい」となり、その返事である。

後日由布院のメインストリートにあるマー兄の家に行くが本人は不在。倉庫を覗くと4袋のもみガラがある。
とりあえず電話。「どきおっとか!2つも貰うちいくど!」
「こらえちくり、ぜんぶもっち行け。じゃまになっちこたえん。いまポスター貼りをしよる。」
そうか、由布市は今日が市議選の公示日だった。マー兄が熱烈に応援する女性候補のポスターを貼って歩いているのだ。
いい年をしてご苦労なことだ、いやたいしたものだ。
4袋の籾殻を積んで勇躍産山へ。これで今年もいい堆肥ができることだろう。

そして今日が由布市議会の投票日。そうだ由布市長選では3選を目指す候補は最初の選挙では小生がパンフレット類を作ったのだった。
二人の当選を祈るばかりだ。

2013年10月18日金曜日

怪奇俳優の演技ノートに誘われて

いつもの本屋の喫茶室に行く時気になっていた本があった。
先日ついにその本を買ってしまった。佐野四郎の「怪奇俳優の演技ノート」。唐十郎の弟子と言うだけあって、なかなか理屈っぽくて、シチ難しいことが書いてある。学生時代に演劇の経験がある小生でも良くわからないことばかりで、経験のない人にはもっと頭がいたい本だろうと思った。
その本の中に笠智衆の自伝「俳優になろうか」が何度も引用されている。およそ演技などはしていないように思える笠氏の何が佐野氏の琴線に触れているのだろうかと興味をそそる。朝日文庫と書いてあるから探すのだが見当たらない。本屋さんに注文したところ数日して「この本は絶版です」と返事があった。こうなると見つけ出さなければ落ち着かない。
図書館に行って、探すがどうしたわけか見つけられない。ついに司書さんに「この本をどうしても見つけきらん」と、たぶん泣き顔で聞いたと思う。
「はいこの本は職員が書庫からお持ちすることになっています」と笑顔。ほどなく薄い文庫本を持ってきてくれた。よほど大事な本なのだろうか、と今度はいぶかしげな顔だったと思う。
かくして、山小屋にこもって「俳優になろうか」と中島岳志の「リベラル保守宣言」を読んだ。朝夕はもうストーブをつけなければ過ごせない。
「俳優になろうか」は笠氏の経歴とエピソードが書かれているだけで、結局佐野氏の興味のありかを発見することはできなかったが、「リベラル保守宣言」はとてつもなく面白かった。

2013年10月4日金曜日

どんぐりの音を聞きながら

重信メイの「アラブの春の正体」を読んで、目からウロコ。
彼女はご存知日本赤軍の親玉重信房子の娘。レバノンで生まれ育ち、長じて日本国籍を取って帰国したあと、中東を専門にしているジャーナリスト。
リビア、エジプト、チュニジア、シリアなどに起こったいわゆる「アラブの春」と言われるものは本当に民衆革命か?それらの国の独裁者たちは欧米の言う「悪者」だったのか?これらの変革でいったい誰が得をしたのか?変革のあと民衆に「民主主義」はもたらされたのか?
なるほど、と改めて考えさせられることばかり。
私たちは報道されるホンの一面だけ知らされて、刷り込まれているのではないか。
などと、国際情勢を今日の晩飯の次に心配している小生としては、考え込んでしまうのです。
クヌギ林では、防衛網の成果でこれまでウサギ君の犠牲になっていた若芽たちが元気に健やかに育っていました。
シイタケも顔を出してくれそうな気配を示しています。早速手入れをして環境を整えてきました。
カボスはたくさん実をつけています。しばらくは鍋物がたのしみです。
例年の堆肥作りもがんばってきました。これは結構な重労働なのですが、隣人たちが「良くやるね」と冷やかしとも激励とも取れる発言をしてくれるので、調子に乗って汗を流しています。
落ち葉がさらさらと、どんぐりが時にはびっくりするくらいの音を立てて落ちてきます。しばらくはいい季節です。

2013年9月25日水曜日

政治に期待せず、自力で防衛力を構築

半藤一利の「幕末史」を読んだついでに、司馬遼太郎の「幕末」と言う短編集を読んでいる。
政治家になるのは運と成り行きが大きいようだ。優れた運動家が次々に倒れて、後ろからようやくついていっていたそれほどでもない活動家が、仕方なく押し出され大物政治家になってしまったと言う例が多いようだ。
なるほど、私の見るところでも納得できるところは大いにある。
常々「政治家ならばうそでもいいから、夢を語れ!」といってきたが、うそも夢も語れない政治家たちの多いこと。
今日の政治不毛を生み出しているのは「夢を語らない政治家」たちの責任だと思っている。
それはさておき、クヌギ林では大事件が起きていた。
わずかに、可憐に、けなげに大根たちが芽を出していたのに、見事に食いちぎられていたのである。
隣人たちの診断では、犯人はウサギに違いないと断定した。そうなのだここはウサギがとても多い。あちこちでひょいと顔を出しては駆け去っていく。可愛いなあと思っていたが、こうなるとはっきりと宣戦布告しなければなるまい。
「動物対策用のネットを張り巡らせねば仕方あるまい」と決断。早速竹田のホームワイドに行き、50メートルのネットを買ってきて汗を流して張り巡らせた。
カラス対策で水糸を上空に張って制空権を確保したのに加え、今回は地上防衛網も完成することができた。これでわが国の防衛対策は完璧のはずだ。
さあ、いつでも来いウサギ君、だ。

2013年9月15日日曜日

戸無が原はもう秋の気配

周りはクヌギ林。気がつくと、畑の周りのクヌギが随分大きくなって枝が畑の上までかぶさってきている。
隣人が「これじゃあね、何とかしなくちゃね」と忠告とも、冷やかしとも取れる発言をして、帰っていった。
なるほどこれは何とかしなくっちゃ。よし、高所恐怖症の私ではあるが、ここはがんばって買ったばかりの電動チェンソーを駆使して枝打ちに挑戦しようか。
ついでに、ブルーベリーやサクランボ、桃、梅、などの剪定にもチャレンジするとしよう。そういえば雀荘に良く来る薩摩示現流のおじさんも「果樹はちゃんと手入れしてあげなきゃだめですよ。植物は正直です。」と言っておった。
待てよ、さすらいの庭師が「秋になればやってあげますよ」といってなかったか?
だめだめ、ここはきっちり自分でやらなきゃ、少々失敗しても誰からしかられるわけでもないのだから、と思い直しているところ。
先々週植えた聖護院と大根は元気良く芽を出しすくすく育っているが、問題はニンジン君、雑草の間にわずかに芽らしき物が発見できる程度。
「おいおい大丈夫か!」と声をかけてやりたくなる。
参議院選挙の時久しぶりに会った元県議も「今年はニンジンに挑戦するんじゃ!」と言っておった。
負けてはいられない。
戸無が原はもう秋の気配。早いものだ。あと何年ここで遊んでいられるのかな、とセンチな気分にもなってくる。

2013年9月8日日曜日

ヤマちゃんお嬢さんのリサイタル

やくざのヤマちゃんのお嬢さんがソプラノリサイタルを開くと言う。いつもの本屋の喫茶店で会うたびに「チケット売りが大変じゃ、女房をしかりながら走り回っている」と言うのへ「そりゃ大変じゃ、ワシも経験があるが最後には金は自分が出すから誰か来てくれという気分になるよ」と、人事のように返事していた。
もちろん何枚かは買うつもりでいたが、ある日封筒を差し出して「良いかな?」とチケットを持ってきた。「いいよお!」とすぐに代金を払って、さてその当日。
少し早めに行って受付に行くと、芸術短大の生徒らしい女の子が受け付けているそのそばで、ばっちりスーツを着込んで山ちゃんと奥さんがやや緊張した表情でうろうろしている。
「あんたのせいで、今日は雨じゃ」と冷やかすと、「あ、お客さん、早く入らないと座るところがなくなりますよ」と、」表情が和らいだ。
なるほど、会場はほぼ満席。良かった、よかった。
でもお嬢ちゃんのソプラノは私にはまったく解らない。石川さゆりなら良かったのに、と申し訳ない感想を抱きながら帰途に着いたのだった。
産山は夜になるともう寒いくらい。毛布を2枚重ねて寝る。
先週植えた大根は小さな芽を出しているが、ニンジンはウンもスンもない。まったくこいつには毎年苦労している。少し時季が遅かったのかな、と不安になる。
まあいいや、出てこなければ、ほうれん草でも植えてやるから。

2013年9月1日日曜日

よーし、ノシバを植えるぞ!

クヌギ林はまだまだ暑い。
最後になるであろうブルーベリーを大量に収穫して、ジャムを作り4軒の隣人に配った。
その一人が「うちのブルーベリーには足長バチガたくさん来ていてもう無理ですね」と言うので行って見ると、なるほどハチ君がたくさん遊んでいる。熟れすぎて匂いを撒き散らし虫をあつめているのだと思った。
この隣人の果樹の下はノシバが生え揃って感じがいい。
そうだ我が家にも芝を植えよう、と決意した。
それからが大変だ。隅に積み上げてあったふるい材木を片付けねばならない。草や蔦が絡み付いて引っ張り出すだけで大仕事。中には重すぎて引き出せないものもある。
チェンソーで小さくきり、積み上げていく。途中で流れるような汗。何度も休憩をし、冷たい牛乳を飲みながら、(こういうときは牛乳がいいと何かの本に書いてあった)何とか片付けた。
次は果樹たちのしたの草退治。刈払い機で約1時間かけて刈り終えた。
ここで異変。なんだか体がだるい。あわてて小屋へ引き返し休憩。ところが一向に回復しない。
あとで女房殿の診断では軽い熱中症だったようだ。体が火照って寝ていても汗が出る。情けない状況だと思いながらも、現実だからどうしようもない。
麻雀屋のお兄ちゃんに頼んで取り寄せたもらったノシバの種も届いた。来週は程ほどにがんばって撒くことにしようと思う。

2013年8月25日日曜日

高齢女子が元気でいい

山小屋で、さて今日は何をしよう?と思い悩んでいるところへ電話。「いまどこ?なにしてる?」昔勤めていた事務所の同僚からであった。
「いま?産山で哲学中じゃ」と返事すると、「今ね、浜ちゃんと黒川の近くにいるのよ」と言う。
「なに、近くじゃねえか、お前さんは以前旦那と来ているから解るじゃろ、おいで」と誘う。浜ちゃんの運転だからわからんかも、と言うから、産山役場までナビで来れば迎えに行くよ、と言うことになって、すこし早めに役場に行ったら意外に早く来た。
なんと浜ちゃんの車はBMWである。すかさず車の下を覗いたら「お久しぶり!何してるの?」と浜ちゃん。
「山道を少し走るのでこんな高級車で大丈夫かなと思って、でも全然OKだな」
「旦那様たちは留守番か?」と聞く。二人とも旦那とは友人。若い頃は良くつるんで悪さをしたものだ。
「そう、完全にプータロー状態。遊びにはつれてまわれないわね」と口をそろえる。
そういえば、花を求めてやまを放浪する隣人の話でも、「出会うのは女性が圧倒的に多い、しかもみんな元気だ」そうだ。
山小屋でコーヒーを淹れ、四方山話をし、近くの道の駅で蕎麦をご馳走して、買い物を始めた浜ちゃんを待っていたら「付き合っていたら日が暮れると思うよ、とにかく店ごと買うんじゃないかというくらいだから」と言うので「ほんじゃ、又じゃな!」といって分かれた。
元気で遊びまわっている友人を見るのは悪くない。

2013年8月18日日曜日

ブルーベリージャムを作ったど!

ブルーべりーが熟れ始めた。
しかしそれは我が家のブルーベリーではなく、隣人たちの庭。
久しぶりにさすらいの庭師が来ている。昼飯をご馳走して、さも思いついたように「そうだ、君は暇だろう」と決め付けて、「ブルーベリーを収穫しよう」とざるを持たせた。
いぶかる庭師を従えて、先ずとなりのとなりの庭へ。いつでも取っていいと言う免許はもらってある。持ち主も出てきて、一緒に収穫、ここはまだあまり熟れていない。
続いてとなりの庭へ。ここは10数本の木がたわわに実っている。二人でざる2杯、大収穫である。
大きなナベに移し、きれいに洗う。ゴミや茎を取り除いて、火にかける。
灰汁がものすごく出る。丁寧に灰汁をすくいながら、煮詰めていくこと約1時間。
頃はよし、と言うところで赤ワイン、ザラメを入れてさらに煮詰める。焦げ付かないように絶え間なくゆっくり混ぜていくと粘りが出てきて手に抵抗を感じるようになる。
水蒸気がほとんど出てこなくなると完成。
冷える間に、ビンの消毒。熱湯で煮ることう約10分、さらに焼酎で中を洗って、つめれば「戸無しが原印のブルーベリージャム」の完成。
収穫したのはまだほんの一部。しばらくはジャムの生産が続くかな。

2013年8月11日日曜日

花ともたちの夏は全開

戸無しが原に出かけても、この暑さでは仕事にならない。
小屋の中でボーっとしていると、隣人が覗いて「花を見に行こう」と言う。要するに、山道を行くので私の四駆を出してくれということ。
このての花キチは始末が悪い。目的のためにはどんなところにもいとわず出かける。道端を見ていて気になる植物があると、「お、止めて!」と叫んでずんずん行く。藪の中に飛び込んで、あちらの藪からひよっこり出てくる。そして手招き。車をここまでもってこい、と言うわけ。
かなり翻弄されることになる。
翌日には山を降りることになっている隣人に電話。花ともが明日秘密の花場所につれていけというらしい。「仕様がない、借りがあるから明日は案内人だ」とどこかうれしそう。その花とも、車には乗れないのでバスで移動してもっぱら足で移動してどこにでもでかけるのだという。
聴けば大分の人。やまなみハイウエイで拾って菊池水源あたりをつれまわるらしい。
その翌日、昼過ぎぼんやりしていると隣人から電話、「花ともがバスの時間を気にしているが大分まで乗せてくれるか?」と言うので「いいよ」と気軽に返事をしてしまった。
この花とも、隣人よりも強敵だった。
かなりの難聴者で、車の中ではほとんど怒鳴りあいになる。その怒鳴りあいで解ったことだが、その行動力だ。バスの時間を詳細に調べて、どこにでも出かける。平地なら一日中歩いても何ともない。九州の山はほとんど征服したようだ。
竹田の近くに芍薬で有名な寺がある。相当の辺地で四駆でなければ行こうとは思わない。そこへ電動アシスト自転車で大分市から行ったと言うのだ。頭がくらくらするような話だ。本人も「まさかそんな事を考える人はいないでしょうね。まして実行す人も」とけろりと言う。
家の近くで「ここで」というので車を止めると、「明日は久住に行くつもりです」とぺこりと頭を下げて、すたすた歩いていった。
なんと言う強靭な足と精神力だろう。歳はわずかに一歳した。おそれいりました。

2013年8月1日木曜日

イノシシとアキアカネの林で

猛暑から逃れるように戸無しが原へ。
ここも動けば暑いが、せっかく来たのだから何もしないと言うのも口惜しい。
夕刻のひと時、果樹の下にびっしり生えた草たちの退治をすることにした。
驚いたことに、誰かが耕したように掘り起こしてある。イノシシの仕業である。土の中のミミズを狙ってそこらじゅうを掘り返しているのだ。
昨年までは、となりの敷地までは出没していたが、私のところには来ていなかった。ついに我が家まで進出してきた。見れば倒木のしたまで丁寧に掘っている。これはたぶんクワガタやカブトムシの幼虫をねらってのことである。
ふと気がつくと、ブルーベリーの支えにしている気の頭に小さなトンボが止まっている。
体調は4センチくらい。近づいても逃げようとしない。これは始めて見るトンボだ。となりの野草博士のところに飛んでいって「めずらしいトンボがいる」と注進。博士はおっとり刀ならぬカメラを引っつかんで「どこじゃ!」と突進する。
顔をトンボの頭に引っ付くくらいに近づけてカメラを構え、「こりゃアキアカネじゃ」と断言。
さほど驚くような珍しいトンボではないようだ。
しかし、とても可愛いトンボである。

2013年7月25日木曜日

ももを育てる方法は?

クヌギ林の隣人に自慢の梅ジャムをおすそ分けしたら、すぐに桃のお返し。この人すっぱいものが苦手なのに義理堅いことです。
このももは自分で育てたもの。昨年はクワガタやかぶとにすっかりやられて、随分悔しがっていましたが、今年はしっかり袋をかけて育てたのでした。
これが意外に美味しいのです。まったく肥料も薬の類もやっていない桃は自然のおいしさを堪能させてくれました。
翌朝、名古屋からの移住者Fさんから「コーヒーにしませんか」と電話。なんと8時すぎにです。
コーヒーをいただきながら、昨日の桃の話をすると、「うちの桃も試してみますか」と桃の木のところまで連れて行かれて2個いただきました。
これも立派なものです。
ところが我が家の桃は袋に入ったままかたくなに成長しようとしません。中には袋の中に落ちているものがあります。おそらく食べるまでになるものはできないでしょう。
何でか!?と我が運勢を嘆きたくなります。と言うほど大げさなことではありませんが、それでもやはり、何でか!?と思うのです。
参議院選挙の結果はおおむね予想通りとはいえ、残念なものでした。大分の百姓候補はいわば惨敗でした。たぶんこれまでの選挙で最低の得票でしょう。これは候補の問題ではなく、支える側の体勢の問題でしょう。
直前にあるえらい人に言ったものです。「俺が出てもお前が出ても14万くらいはでる。あとをどうするかがお前たちの仕事じゃ」
ところが結果は13万でした。どうするんじゃ!!!

2013年7月13日土曜日

意外にいけるぞ、梅ジャム

ようやく梅が大きくなりました。かなり収穫して梅漬けにしたのが先週。
そして先週行くと、なんとたくさんの熟した梅が落ちています。あわててまだ木についている実を集めましたが、さてどうするか。
梅ジャムを作ることにしました。つれあいにメールで問い合わせると、砂糖はザラメがいい、と言う返事。仕方ありません、20分かけて一番近いスーパーまで買い物。
良く洗って、大きなナベに入れてぐつぐつ煮込みます。灰汁がたくさん出ます。根気良くあくを吸い取ります。
片足をもう一方の足に持たれかけさせて、左手を壁について、右手でたんねんに掬い取っていきます。これが結構な時間でした。
ザラメを入れて、味を見ながら、粘りが出るまで煮詰めます。ようやく完成。
冷えるまでに、つめるビンを消毒します。
「戸無しが原の梅ジャム」とラベルを貼って、初めての梅ジャムができました。
思いのほか美味しいのです。隣人とやくざのヤマちゃんにプレゼント。
持って帰ると家人からも好評でした。
下界に下りると、さっそく参議院候補者の事務所から「出ておいで」とラブコール。よっしゃ、生きているうちにもうひと暴れするか!!!

2013年6月30日日曜日

経済学は社会に有効か

株や為替の乱高下には驚かされる。何かの要因で動くのだろうが、私なんぞにはまったく解らない。要するに売り買いしている人たちの「気分」で動いているのだろうと感じてしまう。そうなると経済学は成り立たなくなるのではないかと心配する。
何かの「大きな思惑」で庶民の生活まで脅かされてはたまらない。
などと、世界の経済動向を気にしつつ、クヌギ林に向かう。梅雨の晴れ間を狙って一仕事できないかと考えてのことだが実際に行くとあまり仕事はしない。
でもひとつくらいは「した」と言うことにしないと気持ちがすっきりしないので、雨がやんだ時に3年前に作った堆肥と2年前に作った堆肥をひとつにまとめることにした。これは今年溜め込んである落ち葉を集めて新たな堆肥を作るスペースを作るためである。
これがいつもながら大変な労働である。休み休み、一服しながら、コーヒーを飲みながら、あたりを散策しながら「もうちょっとやろうかね」と言い聞かせつつ汗を流す。
とりあえず形にはした。
梅が異常なくらい実をつけていることは前に書いた。豊後梅だからかなり大きくなるはずだが、一向にそれらしくならない。ほんの数個ゴルフボールに近いくらいの大きさになっているが後はまだ収穫する状態ではない。気長に待つしかないのか、と思うが余り雨に打たれないほうがいいと言う話も聞くし「どうするの」と悩んでしまう。
とりあえず女房とやくざのヤマちゃんから注文のあった山椒の枝を数本切って下山。

2013年6月20日木曜日

早く梅干を作りた~い

参議院選挙が動き出した。
大分は社民党が若い農業者を擁立して戦うことを決め精力的に活動を始めた。山小屋から降りて、時々事務所に行くと、懐かしい顔に出会う。「おお、お前もまだいきちょったか」と言い合いながらひとしきり昔話。事実上自民党の現職との一騎打ち。
これは楽しい選挙になりそうだ。
ジャガイモを収穫した。あまりできはよくない。トマトはまだ青い小さな実をつけたまま。ナスも一向に成長していない。大根だけが元気良く延びているように見える。
大根の葉を一度ゆでて、小さく刻み、いためながら砂糖、味噌、出汁を加えてしばらく炒め、最後にすりゴマとごま油を加えてさっといためると実に美味しい。
ご飯に載せてもよし、キュウリにつけて食べてもよし。
梅が異常なくらい実をつけている。ただし収穫するほどの大きさになかなかならない。昨年は隣人たちの梅を盗んで梅干を作ったのだが今年はそれが期待できないので、何とか自前でと思っているのだが。

2013年6月6日木曜日

患者よ、癌と戦うな!

検査の何とかの数値がおかしいと言う。前立腺に異常があるのは間違いないので生体検査をするというのだ。
私が「・・・?」と言う表情でもしたのだろう、医者は「もともと前立腺で来たのでしたよ」と念を押す。
「生体検査は手術と同じですから、一日は入院してもらいます。経過しだいでは数日になるかもしれません。14箇所の検体を取って調べますが結果が出るのに1~2週間かかります。」
下半身麻酔をするのだが、これがとても痛い。前回よりも今回は百倍痛い。看護師に抱きついてもこらえられないくらい痛い。女性看護師も私に覆いかぶさり袈裟固めのように押さえつける。
そうか前回は別の医者だった。
看護師にも注射にうまい、下手が大いにある。医者にも得手不得手があるのに違いない。
時間は40分くらいで終わった。
結果は途中に医者の出張があるので2週間後となった。
悪いことにこのあと近藤誠の「患者よ、癌と戦うな」や「医者に騙されない癌治療」(?)などを読んだ。保険屋が進めてくれた先進医療の粒子線治療の資料や鳥栖にできたばかりの重粒子線のことも知った。
いざとなれば鳥栖にいくか、と家人たちには冗談交じりに言ったりもしていた。だが近藤誠を読んでからすっかり構えが違ってきた。
結果が「悪いものが見つかりました。手術しましょう」となったら、きっぱりと「様子を見てどんな治療をするかまた相談しましょう」と言うことにしよう、と決めた。
近藤誠は、どんな治療を選択するかは患者が選ぶべきだ、と書いている。大いにそうだ、と腑に落ちた。
そして判決の日、結果はシロだった。医者は不満そうだった。「今回出なかったからと言って安心と言うわけではありません。6回検査して出た人も居ます。」と脅すことを忘れない。
「良かったですね、でもこれからも良く注意しましょう」くらい言っても良いではないかと、あとで考える。
ルンルンで山小屋へ。
草を刈り、トマトや大根、ジャガイモの手入れ。桃にも初めて袋をかけてやった。

2013年5月23日木曜日

クヌギ林で「ひや汁」を作る

梅雨前に一通り草刈をしておきたい。
いつも思うのだが、草たちは肥料もやらないのに元気がいい。畑の野菜たちと違って自然の摂理の中で文字通り自然に振舞っているので、何の不自由もなく育っているのだろう。
でも、人間様の目には美しいとは見えない。
忍びないが、新しい草刈機の襲撃をお見舞いするしかない。
今年は梅の出来がいい。豊後梅なのでかなり大きくなるのだが、93歳の義母が「梅雨に当たらないうちに取ったほうがいい」と言うけれど、梅雨前に満足できる大きさになってくれるか疑問。
東京からの移住者S氏の梅も期待できる。「いつでも取っていいよ」と言うことになっているので、期待できる。
今年はいい梅干ができそうだと、おおいに胸を膨らませている。
ラデッシュを初めて収穫。そこそこ出来がいい。隣人も「これは美味い」と言ってバリバリ食べていた。持って帰ると、「美味しいね、お隣にも分けてあげよう」と持っていった。
鳥たちの声がいそがしい。いつものことで何の鳥かまったくわからないが、いろんな鳥がさえずっていることは解る。姿を見せてくれる鳥もたくさん居るがほとんど判別できない。
宮崎の郷土料理「ひや汁」を作った。
前夜、鰹節でだしをとってあるから、あとは簡単。お袋はイリコを使っていたが私は鯵を使う。今回は途中のスーパーで開きを買ってきて、焼いて身をほぐす。味噌も軽く焼いて、豆腐、きゅうり、大葉を刻んで入れれば完成。
これば実に美味い。隣人も「夏はやっぱりこれじゃね!」とお代わりをしてかきこんでいた。

2013年5月19日日曜日

新しい草刈機が快調

麻酔注射がやけに痛かった。
20年以上も前に坐骨神経痛で入院した時、なかなかよくならなくて最終的にブロック注射を打ってもらったが、あの時もびっくりするほど痛かった。
昨年、膀胱ガンの手術を受ける時も同じ麻酔注射をしたはずだが、今回のようには痛くなかったと思う。
看護師さんがまるで袈裟固めのように私を押さえつけ、動かないようにしていた。
とにかく死ぬほど痛かった。
生体検査と言うことで、前立腺の12箇所の組織をとって調べると言うまあ簡単な手術と言うことだった。一泊して翌日には退院することができたが、その日は自重して自宅で神妙に過ごした。
でも翌日になるともうじっとしていられない。
「行って来るよ」と言い残してクヌギ林へ。女房も「帰りに堆肥を少し持ってかえるのよ」と事態をあまり重くは受け止めては居ない。
クヌギ林は草がとても元気に伸びている。いつも不思議に思う。肥料もやらないのにどうして草たちはこんなに元気に伸びるのか。
前回来たときに買ってきていた新しい刈払い機の初仕事。排気量の少し大きい機種にしたので快調で楽。すいすいと雑草たちを始末していく。
ジャガイモの芽かきの時季でもある。残念ながら全部はやれなかった。なすとピーマン、パプリカ、唐辛子、などを新しく植えることができた。

2013年5月6日月曜日

今年のサクランボは?

今年は梅やサクランボの出来が良いような気がする。いつもよりたくさん実をつけている。隣人は「又小鳥たちが喜ぶことだろうね」といやなことを言う。
そういえば、隣人の小屋に大きなネットが置いてあった。「あれを貸せ」と言うと、あっさり「どうぞ」と言うので早速略奪してきて、サクランボの木にかけようと思ったが、何しろ大きくなりすぎている。
こりゃ無理だとあきらめたが、何とも悔しい。
聞けばこのネットはイノシシ対策用に買ってきたものらしい。目も粗い。
ブルーベリーは良く花をつけている木と、丸でつけていないものとはっきり分かれている。いったいどういう加減なのかわからない。一本は完全に枯れてしまった。これも実をつけ始めたら隣人の実を襲撃しなければなるまい。
女房の里からサトイモの種をもらってきていたので、植えつけた。毎年植えるのだがいまだ満足できる収穫を味わっていない。
トマトは欲張って5種類の苗を植えた。トマトは例年ある程度の収穫がある。支柱を立てて、竹ぐいで補強し、ネットを張ってほぼ完璧の体制。ただし、いつも居るわけではないので、かなりの数が落下の憂き目の会うのは申し訳ないのだが。
大根と二十日大根は順調に芽を出している。こいつには虫が寄り付くので要注意だが、それも自然の摂理かとほうっておくことにしている。ご近所は割り箸でひとつひとつつまんで退治するのだそうだが、それも大変だ。私の流儀に反している、と言うよりしんどい。
世間の連休も終わりになる。私の連休はまだまだ続く。

2013年4月21日日曜日

再逮捕の可能性をほのめかす

手術後2回目の検査を受けた。
「膀胱のほうはまったくきれいになっていますが、前立腺の数値がよくないですね。来月にも組織を取って調べることにしましょうね」と私の顔を覗きながら言う。
「一日だけ入院して組織をとります。その前に前回と同じように検査をしますが」

実はその翌々日ゴルフの予定が入っていた。「遊びの計画がいろいろありましてすぐと言うのはどうも」というと「そうですか、少し伸ばしますか?」とやさしいことを言う。いやなことは少しでも先がいい。
翌日ゴルフに行く仲間から「明日は雨ですね。体調はどうですか。無理しないでくださいよ」と電話。
いかにも自分も行きたくない様子。
「そうなんだ、お医者からは再逮捕状が出そうだし、雨のゴルフはいやだね」とコンペの参加をキャンセルすることにした。ドクターストップだと言えば納得するだろうと言うのが彼の意見だ。

当日はやはり雨、それにとても寒い。風邪でも引いたか、体が重い。お医者から再逮捕の可能性を示唆されたせいで気がめいっているのかもしれない。「病気」とはよく言ったものだ。
日曜日は一日中寝ていた。おまけに小便の出が悪い。最近になく悪い。これも気から来るものなのか。よくよく人間はデリケートにできているものだ。

2013年4月14日日曜日

「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞

 「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞になった。
 この本は、「64」を買ったとき目に付いて食指が動いたのだが、高いので買わずにいたのだった。
 やくざの山ちゃんとお茶をした帰り、「ホラこの前山ちゃんから借りて読んだ「永遠のゼロ」の著者の最新作だよ」と教えると。「お、買って読まにゃ」とすぐに買って、「あんた先に読むな?」と薦めてくれたが、「いやいや、あとでいい」と柄にもなく遠慮した。
 一週間くらい後のお茶の時持ってきてくれて、「おもしろいよ~」と貸してくれた。
 なるほど面白い。
 出光佐三の伝記のようなもので、戦後の日本の産業構造が良くわかる。
 93歳の義母も読んで「いい本でしたなあ、下巻はとくに涙が止まりませんでした」と感想を言った。
 この本が一位で「64」が2位だから、我輩の見る目も捨てたものではないか?
 昨年の本屋大賞は「船を編む」で、映画にもなったが、配役が私の予定と大幅に違うので見たものかどうか迷っている。せめて女性主人公が脇役になっている池脇千鶴ならいいのだが。

2013年4月7日日曜日

記憶にある映画、記憶にない映画

 今年になってみた映画は「砂漠でサーモンフィッシング」「カラカラ」「愛、アムール」「アルゴ」「千年の愉楽」「最終目的地」といったところ。
 「カラカラ」は沖縄が舞台。カナダ(だったと思う)から流れてきた老男性と生活に疲れた若い主婦が出会い、強烈なセックスとしっとり乾いた会話を重ねていくと言うお話。なかなか面白い映画だった。
 「千年の愉楽」は中上健二の小説の映画化。監督は若松孝二。この映画のあと亡くなってのでは?難解だが、面白いという厄介な映画。
 忘れていた。もうひとつ、ビン・ラデイン殺害にまつわるCIAの女性捜査官の行動を追ったお話。これはタイトルを忘れてしまったが、そこそこ面白かった。やくざの山ちゃんが「面白かったでえ」と教えてくれたので見に行った映画だった。
 問題はついこの前見た映画でも、ほとんど内容を覚えていないことが多い、と言うこと。何かワンシーンを思い出して、そこから次第に全体を思い出していくこともあるが、まったくどんな映画だったかを思い出さない映画もある。情けないことではあるが、記憶しないと言う選択もありかな、と都合のいい納得をすることにした。
 佐藤優の教えで、ややこしい本を読む時は鉛筆を片手に線を引きながら読むべしを実践しているが、映画はそれができない。もちろん本では実践しているものの効果はまったくない。

2013年3月22日金曜日

枝垂桜の偵察に行く

 「しだれ桜の様子を見に行こう」と隣人が言うので、「ではまだ行ったことがないところから行くかな」と出かけた。
 炭竈と言う地名の枝垂桜は見たことはないと隣人が言ったからだが、まだ少し早いと言う予感もあって、その途中の川床と言ういかにも谷底を思わせるところの吉野桜を見てから行くことにした。
 なんと昨年は谷川の両側に見事な桜の林を見せていたその川床は昨年の豪雨のせいであろう無残な姿に変わっていた。「何だコリャ!」と思わず叫んでしまった。今は重機が川の中に入り土手の修復をしていて桜はわずかに数本が残っているだけ。
 工事をしている監督らしい人は「あと3年はかかるかも」と言う。
 大いに落胆して目的の炭竈へ。
 ここはすでに八部の状態。しろ壁を背景に3本の見事な枝垂桜が咲き誇っている。はじめて見る隣人は言葉も出ない様子で自慢のカメラを構えてあちこち構図を探している。県外の車も集まっている。この週末はアマチュアカメラマンが大集結することだろう。
 白丹の枝垂れに行く途中稲葉ダムがある。横の茶屋によって饅頭を食べ、そこで得た情報で「ひょうたん島」なる場所を迂回して行くことにした。旧道のようだ。野焼きの跡に蕗の薹がたくさん出ている。「蕗味噌にすると美味しいぞ」と言うと「採ろう」と車を止めさせてさっさと登り、袋一杯の蕗の薹を集めてきた。
 白丹の枝垂れもほぼ満開状態。ここは毎年来るところでカメラの時間は比較的短い。
 偵察のつもりであったが、結構な花見になった。
 山小屋に帰り、早速蕗味噌を作って昼飯。「こりゃ美味い、これだけで飯が食える!」と隣人は感動の様子。
 ダム横の茶屋では日曜祭日には「薬膳料理」を出すと書いてあった。今度は是非挑戦してみたいと密かに決意している。

2013年3月17日日曜日

今年は桜が早いそうで

 リヤカーはようやく完成しました。杉の木で枠を作るつもりでしたが、DIYショップのお兄さんが「合板でも防腐処理すればいいですよ。作業が簡単ですし。」と言うので、結局言われるままにしました。
 女房が、蕗の薹が出ている頃だから取ってきて、と言うので我が屋の周りを探すのですがありません。隣人が来ていたので聞くと「うちにはたくさん出ているよ」と言うので早速偵察。
 落ち葉の中からたくさん出ています。少しだけ盗んで指令を果たすことができました。
 今年はキツネのカミソリが出てくるのが早いようです。やくざの山ちゃんも「もらったカミソリが今年はいっぱい出てきた」と言っていましたので、当たり年なのかもしれません。
 梅や桃たちもたくさんつぼみをつけています。期待できるかもしれません。ブルーベリーやサクランボも例年以上のつぼみです。鳥たちとの戦いに向けて対策を考えなければなりません。
 ジャガイモを植えました。篠田節子の「ブラックボックス」を読んですっかりスーパー野菜の恐怖症になった隣人も「畑を少し貸してくれ」と言って、自分用のジャガイモを植えておりました。
 シイタケも出てきていました。93歳の義母がしつこく「出てくる頃ですなあ」と言っていましたから、干しシイタケにする任務を忘れていないようです。
 
 今年は桜も早いそうです。枝垂桜の時季になるといろんな人を名所に連れて行くことになっています。

2013年3月10日日曜日

だらだら読書もいいかな

 原則小説は買わないことにしているが、横山秀夫の「64」をつい買ってしまった。
 山の隣人が「図書館で申し込んだら21人待ちだ」と言われたと聞いたからだった。ぼくが読んで、義母が読んで、(面白いですなあ、と内容を話したがるが、ばあちゃんこれから女房が読むんじゃからあまり話したらいなんよ、と我慢させた)女房が読んで、山の隣人が読んで、今はやくざの山ちゃんが読んでいるから、まあ元は充分取ることになるか。
 篠田節子の「ブラックボックス」は、そこそこ面白い小説だった。スーパーで売っている「カット野菜」がどれほどいかがわしいものかと言う啓発小説と言うべきか。これも93歳の義母が自分の部屋に持ち込んで読んでいるようだ。
 橋爪大三郎の「おどろきの中国」もとても面白い。もともと中国は国か?という発想で中国の過去と現在を解剖していく。目からうろこの解説がたくさんあってなるほどと感心するばかり。
 カナダのマクニールの「世界の歴史」は面白いが遅々として進まない。まあそれほど急ぐ人生でもないからボチボチ読むことにする。もう一ヶ月近くも持ち歩いている。
 そんなこんなで、読書にも気合が全然入っていない。

2013年3月4日月曜日

リアカーの修復に取り組む

 ボチボチあちこちに小積みあげた落ち葉たちを集めて、堆肥作りの準備をしなければとリアカーを引っ張り出したのは良いが、なんとあちこちがさび付いていて見る影もない。
 このリアカーはあちこちのDIYショップを渡り歩き、どうしても見つからず、一度なんかは市内のメーカーまで訪ねて「8万円くらいかかります」と言われ、びっくりして逃げ帰ったその帰り、しょげ返って何気なく寄ったお店の一番高いところに取ってのところだけわずかに見えている「らしきもの」を店員におろしてもらい、目指す獲物に限りなく近いものであることを発見して、1万7千円で買い求めた記念すべきリアカーなのだ。
 数日後ペンキとハケ、ワイヤーブラシ、などを買って修復にかかるが、すでに腐って穴が開いている部分さえある。
 隣人たちは「買い換えたほうが早いんじゃないの?」と無責任に言い放つ。
 ところが世の中捨てたもんじゃない。
 いつものようにクヌギ林のコーヒー集会をぼくの小屋で開いたとき、名古屋の爺さんが「見てみましょう。」と気軽に発言。
 そうだこの爺さん工具は何でも持っている。電気溶接機も持っていると聞いた。「ああこれなら何とかなるでしょう」と期待をふくらます。
 翌日すぐとなりの隣人と近くの探索に出かけ帰ってみたら、リアカーがない。名古屋の爺さんの小屋に行くと「ああ、もうすぐですよ」と、電気溶接機でビリビリやってくれている。
 出来上がったリアカーを担いで帰りながら(意外に小さくて骨組みだけになっているからぼくでも担げる)このあとの作業工程を頭の中で組み立てる。
 篠田節子の「ブラックボックス」が面白いよ、と言う隣人の声を思い出しながら、帰途についたが、そのまま雀荘にしけこんでしまった。




 

2013年2月24日日曜日

春の植え付けの準備をしながら

今日は大分市議会議員選挙の投票日。社民党からは5人が出ているがみんな当選してくれると良いが。
クヌギ林はまだ寒い。
過日、麻雀の帰りに思い立って山小屋に行った。もうすぐ到着と言う頃雀荘のマスターから電話。
「今どちらですか?」
「山じゃ、もうすぐ小屋に着く」
「財布を忘れていますよ。別府なら持って行こうと思っていたのですが・・・」
「別府もここも変わらん。1時間と少しで来れるよ」
「ええっ、道も解らないし、別府なら20分ですよ」
「道はわかりやすい。国道57号線をずーっと来て、道の駅「波野」まで来るとすぐじゃ」
「分かりました、解らなかったら電話します。一度山小屋も見たかったし」
と言うわけで、彼が道の駅に着いたのは夜中の2時近く。
「やあやあご苦労さん。夜中のドライブも悪くないじゃろ?」とねぎらいにもならないことを言いつつ小屋に行きコーヒーを出すが、そこそこに帰りますと言う。
「帰り道は分かるよね!」と言うが、何か自信なさそう。「でも、つけたばかりのナビがありますから大丈夫です。」と健気に言う。
途中2度ほど「ここからどう行けばいいのですか?」と電話があり、「ええっ、大丈夫かいな?」と思ったが何とか帰り着いたようだ。
ところが翌朝「野津原をとおって帰り着きました」とメールが来て「ん?どうして野津原を通るの?」と考え込む。
とんでもない道を通ったようだ。
畑にクド石灰を撒き、耕運機で引っかきまわして春の植え付けの準備をしながら、「彼のナビはちいと頭が悪いのかもしれん」と心配をしてしまう。

2013年2月19日火曜日

世の中うまくいかんことが多い

携帯電話を換えようと思って、KDDI に持って行ったら「この電話は法人契約になっていますから、法人の印鑑を持ってきてください」と言うではないか。
事の起こりはやまの隣人が「DOKOMO に変えたら4万円もろたど!」といばっていたのを聞いたのがキッカケ。
よしほんなら俺もといじましく考えたわけであった。
いまさら法人の印鑑などどこにあるか解らん。
数日後、経理事務所に勤めていて今はコンサルタントをしている元過激派から電話、「ちょっとあえる?」と言う。
何じゃろかいな?といつもの喫茶店で会うと、「ドルの運用は何とか持ち直してきていますよ」と言う報告。ガタガタになっていたのだ。
そして、「そうそう貴方の会社の社印などは僕のところにありますがどうします?法人閉鎖した時のまま預かっています」と言う。なんとタイミングのいいことか。
勇躍電話会社に持っていったことは言うまでもない。
個人の電話に変更したのは良いが、今度は「メールは今のままでは使えませんよ」と言うではないか。なんと!使えん?そこを何とか!と言う顔をしたのだと思う。
「ちょっとお待ちください。このふるい機種なら良いようですね。もし使えなくなったら、元のアドレスを登録してください。」と一件落着。
しかしそううまくは運ばない。「12月までは他社への乗り換えはしないほうが良いですよ。かなりのご負担金が発生します。」とこちらの腹を見透かしたようにいう。
「アソウ?ま、今すぐそんな計画はないから」と涙顔で言ったと思う。
くそ、なんと言う資本主義の謀略だ。としみじみ思う。

2013年2月10日日曜日

クヌギ林の畑を起こす

新しい車でクヌギ林へ。
荒れ果てて、落ち葉だらけになっている小さな畑を手入れしようと思ってきたのだが、なんだか気が入らない。
だが、高千穂の睦夫氏が「今んうちに起こしちょくと雑草の根を切ってあとの仕事が楽じゃ」と言ってくれたのと、郷土史のせんせいの奥様がぼくにくれる梅干を包みながら「ようやく畑を起こしました。植え付けが楽しみです」と言っていたのを思いだし、思い腰を上げる。
落ち葉の量が半端ではない。かきだすだけで一時間もかかった。
ここで隣人から「コーヒーだぞ!」と声がかかる。
ヤレヤレ救われた、と思いながらみんなで最近の国際情勢について分析。
いつもは一時間以上討論するのだが、「仕事がありますので」と退席。
「ん?」と怪訝な顔で見送る面々の顔が後ろから追いかける。
久しぶりに眠っている耕運機を引っ張り出して、ガソリンをいれエンジンをかけてみる。てこずるかと覚悟していたが、2回ひっぱっただけで気持ちよくかかかってくれた。
一面に生えている藻のような雑草を巻き込みながら、よたよたと耕していく。何度も刃に巻きついた草を取り除きながら何とか一渡り起こした。
これで今回の目的は果たしたかな、とひとまず納得。
となりの隣人が「おお、新車か」と顔を見せて「よし近くをドライブしよう」と誘う。
30分くらいのところにある白丹温泉に決め、「あれが有名なしだれ桜じゃのう」などと言いつつ、温泉につかり快適なドライブ。
まあまあのクヌギ林行であった。

2013年1月27日日曜日

いつもの喫茶店で癌談義

やくざの山ちゃんもぼくの執行猶予をとても喜んでくれた。聞けば山ちゃんは三度も膀胱ガンを手術したのだそうだ。それで「まだまだあんたは経験不足だ」ということになるようだ。
彼は他にも癌の手術をしているからいわば大ベテランだ。
いつものように本屋の喫茶店で「お茶」をしたとき、「俺もやってしまった」と言う。
何のことかと思ったら、以前ぼくが山ちゃん家の塀に車をぶつけたことがあって、その時見ていた奥さんが、笑いをこらえて「あらまあ」をいったのを「あんたかたの塀はしつけが悪い」と笑いながら抗議したのを覚えていたらしい。
俺には、「自分家の塀にぶつけるなんてバカじゃないの?」とあきれていたらしい。
「ばかたれ、塀のほうがぶつかってきたんじゃと言うてやった。」と威張って見せるが、説得力はない。
今車は入院中らしいから、「ほんなら今日は奥さんの車で来たの」と聞くと「それがあんた、カカの車で来ようと思ったら鍵を持ってどこかに出かけておって、どうしようもないんじゃ」と憮然としている。
「え、もしかして歩いてきたの?」聞くと、にんまり笑って「自転車!」と嬉しそうに答える。
「ほんで何時に集合な?」と言う。久しぶりに麻雀をやろう、と言うことだ。
こちらは久しぶりではないから、「何時でも良いよ、又お小遣いをいただきます」と言いつつ「5時にいつものところで」と話は早い。
この結果については、山ちゃんの名誉のために詳細は控えるが、ぼくが「ごっちゃんです」と言って帰ったことだけは記憶にある。

2013年1月20日日曜日

執行猶予だ、車を変えよう

手術から2ヶ月半経って、初めての検査が先日ありました。
若い看護婦さんがぼくのしなびたポコチンをつまんで、「はい、消毒しま~す」「ますいをいれますよ~」と慣れたてつきで進めます。
このお嬢ちゃんはたぶんまだ独身だろうに、毎日いろんなポコチンをこねくり回して大変だな、大丈夫だろうか、と余計な心配をしてしまう。
自称30台の女医が、「それでは診察します」と内視鏡を差し込んでモニターを見ながらくるくる回す。そういえばこの別嬪の女医も未婚だと言っていたなあ。
そこへ、担当のX医師が現れフムフムとなにやら女医と話しながらモニターを見ている様子。
「きれいですね」と言う女医の声が聞こえる。
「はい、終わりましたよ」という可愛い看護婦の声に救われる。
しばらく待って、Xi医師と面談。「経過はいいようです」と写真を見せてくれる。「もうしばらく今の薬を続けて様子を見ましょうか!前立腺はそのあと検討しましょうね」と半分は脅し。

とりあえず執行猶予。
何かお祝いをしよう。そうだ、かねてから車を四駆に変えようと思っていたからこの際やってしまおう、と決意。
あれこれ迷った挙句、軽の人気車種に決めた。そうなると早い。早速ルンルンとお買い物。これで雪のクヌギ林のも行けるぞ。

契約した帰り、インフルエンザがはやっていると言うニュースを思い出し、最初にぼくの異常を警告してくれた医師のクリニックへ。「ワクチンを!」と言う前に「あら大丈夫ですか」と受付の女性。良く覚えているもんだ。
ワクチンの注射をしながら、「手術前に大変な知恵熱が出たんですって?」と冷やかすように中年女医。何でそこまで知っちょとか!と叫ばない。「何しろ知恵の塊なもんで」と受け流す。
この中年女医、結構可愛いんだ!

2013年1月13日日曜日

二人の睦夫氏から

 クヌギ林はとても寒かった。
 昼ごろついたのに水道の水が出ない。一瞬とまどいながら考える。どうにかなるか。となりの住人は来ていないが、水道は出る可能性がある。そうだ、夏の集中豪雨のときに村が配ってくれた20リットルの水が2個倉庫にある。使用期限は過ぎているが大丈夫だろう。
 昨年同じような事態でやむなく断念して降りたことがある。
 とりあえず20リットルの水をひとつ運び込む。ストーブをつけ、すべての蛇口を開けておく。
湯を少し沸かしコーヒーを淹れて、さてどうしようかと思案。
 そこで、わずかな水の流れる音がし始め、やがてすべての蛇口から勢い良く水が出始めた。
一件落着。落ち葉を集めて小さな山をあちこちにつくり、堆肥作りの材料をこしらえた。
 三日ほど過ごし、少し満足して下山。
 今日夕食前に高千穂の睦夫氏から電話。「蕎麦は食うか」と言うので「食う、食う」とあわてて返事。
 近くの農家と共同で蕎麦作りを始めた、少し送る、とのこと。ありがたい。
 夕食後、大分の睦夫氏から電話。彼は労働・政治運動の師匠のような人。「新聞は何を取っているか」と言うので、「毎日」と答える。「朝日に前立腺のことが連載されている。大いに参考になるので読むといい。」とのこと。又ありがたい。

2013年1月2日水曜日

新しい手帳を開いて考える

あけましておめでとうございます。
今年もそこそこにお付き合いください。

孫一家が帰り、急に静かになった家の中で漠然とテレビの番をしております。
ふるーい友人から「年賀状を見てびっくりした。生きているか」と電話。聞けば彼も数年前同じ病気で入院手術をしていた由。「いやー、軽くてよかったのお」と喜んでくれるが、私もかれの病気がそのようなものとはついぞ知らなかった。
なるほどこの歳になると、似たような疾患に陥るようだ。意外に同病の士が多いのかも。

びっくりするのは、高校時代の恩師。
4年前から定時制高校に入りなおし、ついにこの春には卒業にこぎつけるのらしい。私が高校1年生の時初任だったから、7つ年上として73歳なるはず。
身体もさることながら、その精神の若さと持続力にただただ脱帽。私が卒業してからすぐに教職を辞め、面白そうな職業を転々されていたと思うが、会ったのは2~3回だと記憶する。
鹿児島の人で、まさに示現流の使い手のようなはっきりした先生だった。

さて今年はどんな一年になるのか。新しい手帳兼日記帳を開いて考える。