2014年2月23日日曜日

幽閉生活からの脱出作戦

何気なく雪の状況を見てみよう、と思って出かけたのがいけなかった。
くぬぎばやしの山小屋にたどり着くと、20センチほど積もっている。これくらいなら何とかなる。わが愛車がわけもなく突き進み、小屋についた。
ところがその夜から大雪になったのである。翌日も降り続き、なんと積雪は60センチほどにもなってしまった。
それでも、どこかで高をくくっていた。食料はあるし、水は出るし、灯油も数日分は大丈夫だもんね、と言う感じ。
ところが、それから3日も降ったりやんだりで、一向に雪が解ける気配はない。
山小屋に来て5日、ついに食料や灯油が心配になってきた。
近くにいる陶芸家が県道まで車で迎えに来てくれて、竹田まで買い物に行くことができて何とか当面の苦難は回避したが、どうにかして脱出を考えねばならないことを認識することとなった。
翌日から、果敢にも除雪がしてある村道まで車が通れる状態にまで雪堀をしようと決意し、実行に踏み切ったのである。
何しろ肉体労働にはまったく向いていない体質なのだ。
除雪用のスコップが幸い隣人の倉庫に転がっていたのを見たことがある。こっそり(といっても誰もいない)借りて、2メートルくらいの幅で40センチくらいのふかさを掘り進んでいくのだが、これはきつい。1メートルも進まないのにすぐに息が切れる。ぜーぜーハアハア呼吸困難になる。腰も痛い。それでも初日は50メートルほども進んだか。
2日目、何を始めたかと見学に来た東京からの移住者は「きゃー、すごいことを始めたね」と傍観者のごとく関心してくれたが、さっさと引き返した。この日はイスとコーヒーを用意して効率よく休憩できるようにしたので、60メートル近くは進んだと思う。
しかし、移住者も自分の車の掘り出しとその周囲の雪堀を始めていたのだった。
3日目、なんとしてもこの日で開通させようと頑張っていると、移住者も「ほんとにやるの?」と出口のほうを少し手伝ってくれた。
「実は早めに病院に行かないと薬が切れているの。ぼくの車ではまだ動けないしね」と情けないような顔。
「明日は土曜日だけど診てくれるか電話してみて。連れて行くから」
かくして、阿蘇の病院まで移住者を連れて行き、無事クヌギ林を脱出してきたのだった。
なんと10日間の幽閉生活だったことになる。

2014年2月9日日曜日

生意気な店の弁当を食べてみた

 生意気な店の生意気な女将から「ついでの時にでも寄ってください」とガラにもなくしおらしいメールが入っていたのは、昨年のこと。
 数日後ふらりと訪ねると、仏様にでも会ったような迎え振り。又何かやらかしたのか(以前やらかして弁護士を紹介して片付けたことがある)といやな感じ。
「実は今度九州を走る豪華列車の食事を担当することになって、・・・」
「なぬ、お前がか。どうして?立派なレストランやホテルもあろうし!!!」
「ある方の紹介でコンペのようなものに参加したら最終的にうちになったんです。」
「へえー、それはすごい。それでどげえしたんじゃ??」
「ほとんどメニューは考えてあるのですが、そのしおりに私のおもてなしの気持ちをさりげなく乗せたいんです。これから私のコンセプトを話しますから文章にしてくださいな」
「知らん、知らん」とはいったものの、結局書かされて、後日出来上がったしおりを見ると元の文章は見る影もなく改ざんされていてまったく別物になっていた。
 この生意気な女は!と怒りを感じないこともなかったが、そこは大人の流儀で「なかなか良くできたね」と抑えたのだった。

 膨大病院の院長秘書から電話が入ったの一月の末。。新聞に出ていた豪華列車の食事を出しているお店は弁当も作っているそうで、その豪華弁当を食べてみたい、近く主宰する会議で使ってみたいとのたまっていると言う。私が昔その店で時々千円定食を食べていたことを彼は知っていた。
 院長先生は昔本を編集させてもらっているから良く知っているし、気難しさも充分解っている。
 新聞には「できるだけ人が来ないような店作りをしている」などと紹介してあるものだから、聞いてもらえないか、と言うのが用件。

 試食のための弁当は幸いにも私も相伴させてもらった。会議でも好評だったそうで何よりではあった。
 それ以来、コーヒーを飲みに行ってもデザートがついてくるし、「御代はいただけません」としおらしいことがいえるようになった。
 しかし、生意気でなくなるのはよくないなあ、と心配もしている。

2014年2月5日水曜日

玄米食は見事なウンチを生む、かな

 このところ山小屋では玄米ご飯を食べている。何かの本で「完全栄養食品」と言う言葉を知り、玄米、牛乳、卵、サツマイモなどがそれであると書いてあったからだ。
 昔何度か試したことがあるし、大分の隣町の農園は自然農法を実践していて現代医学では対応できずに苦しんでいる人たちに支持されているのだが、付属の小さな食堂では「玄米定食」を出していて何度かたべにいったことがある。
 宮沢賢治は「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」たそうだが、私などは四合の玄米を炊けば先ず三日は食べなければならない。彼は大変な大メシくらいだったようだ。
 最近の電気炊飯器は玄米も炊ける機能がついているが、私の炊飯器はそんな機能がついてないし、日ごろは土鍋で炊いているのだが、幸い古い圧力鍋があるのでそれで炊くことになる。
時間は倍以上かかるが、ごま塩をかけてゆっくり食べると結構美味しい。
 ついでにごま塩も自分で作った。
 何よりうれしいのは、ウンチがすばらしいことだ。バナナ状の、いわゆる一本糞がするりと出てくる。これは快感である。
 どこかの大学の細菌学の先生によれば、「腸内細菌は繊維質を好み、ウンチの大半はこれらの細菌が占めている」のだそうで、善玉、悪玉によらず腸内細菌が多種大量にすんでいることが大切なのだそうで、玄米の繊維質がいい効果を果たしているのではないかと愚考するのである。
 山小屋の隣人に話したところ、大変興味を示したので少し分けてあげたら、早速友人から定期的に供給してもらうことにしたと報告に来た。