2011年3月27日日曜日

ようやく一輪、福寿草


 今年は桜が遅いようだ。久々に久住ルートでクヌギ林に行くことにした。途中に白丹(しらに)という集落があって、しだれ桜が見事なのだ。

 しかし今日見た限りではまだまだという感じだ。芽吹く気配はあるが、来週あたりまでは姿を見せてくれそうに無い。

 10時頃にクヌギ林に到着。さっそくジャガイモを植えるための畝作り。隣人の焚き火用のかまどから灰を拝借して二つに切った種芋たちに手当て。

 お昼は冷凍してあるご飯にレトルトのカレーをかけて簡単昼食。一杯立てのコーヒーでしばしゆっくり。やおらやる気を出して、ジャガイモの植え付け。70個の種芋を植えた。

 意外に早く終わったので、泊まるつもりでいたのを変更。準備を終えて、もう一度見ようと来た時真っ先に見た福寿草を観察。10時にはつぼみだったのが、一輪きれいな花をつけていた。来週の楽しみが増えた。

2011年3月24日木曜日

久しぶりにゴッドママに会う

 ゴッドママに「あそぼ」と電話。すかさず「あそぼ」と帰ってくる。車でお迎え。一時半から市民劇場に行くというので近くでお茶でもと思っていたが、「県庁にいこ」とおっしゃる。「議会塔の最上階に食堂があるのよ、行ったことが無いの?バイキングでコーヒーやケーキもついて600円よ。良いでしょ。」
 久々のゴッドママは相変わらず元気だった。たぶん70歳が近いと思うが、ゴルフもやるし、昨年まではマラソンもやっていて、指宿まで出かけていた。
 10年ほど前参議院選挙に担がれ、出馬発表前にマスコミにバレそうだと言うので某党の幹事長から「どこか隠しておけ、家にもおらんごと」と指示され、仕方なく友人を誘ってゴルフに行った。後で知った幹事長から「ゴルフ場に隠れたか!」と妙に感心された。残念ながら参議院選挙には敗れた。
 「あなた、山小屋の話は聞くけど、お姉さま一度行きませんか」とは言わないのね、という。「桜のいいときにいきましょうよ。」と約束したので、しだれ桜の時季を設定しようと思う。

2011年3月22日火曜日

単一が無ければ、単2で考えろ、てか

 懐中電灯に使う単一電池が無い、ということで、知人から「埼玉に送るから探してくれ」と連絡があった。「単一電池ぐらい何ぼでもあろうが」と答えて、早速ちかくのスーパーやコンビニを探したが、はたしてまったく無い。単2は一杯有るのに。
 コンビニのおじちゃんが「すべて関東に送った。しばらく入ってこんじゃろ。」という。
 他の用事で建築屋のナベちゃんを訪ねて何気なく事情を話すと、「あんたもたいがいバカじゃなあ、俺も同様の依頼があったから、単2が使える懐中電灯と単2電池をセットでたくさん送ってやたよ」という。
 なるほど私は単一・単一とお題目を唱えながら、無い無いと騒いでいただけ。何に使うかをしっかり聞いて、ある材料でその道具と一緒に送ってあげればいいのだ。損な簡単なことがどうして思いつかないのだろう。頭がすっかり硬直していて柔軟な対応力が失われているのだろう。
 知人に知らせたら「すごい、その通りだ」とえらく感心された。
 硬直したあたまの持ち主が多いのだ。

2011年3月18日金曜日

「英国王のスピーチ」が呼び起こす大切な本

 話題になっている「英国王のスピーチ」という映画を見た。幼児の時から吃音のある王子様、幸い次男坊なので国民の前で話すような事態にはならないと思われるが、著名な医師についてなんども矯正しようとしては失敗の連続であった。
 ところが兄が王の継承権を放棄する。仕方なく英国王となった。町の吃音矯正をするおじさんについてさまざまな苦難を乗り越えて、時には離れ、怒り、不信を持ちしながら克服を目指す。
 ときあたかもナチスドイツとの戦いを前に、国民を鼓舞するスピーチをしなければならなくなった。おじさんの指導を受けながら、みごとな演説することができる、というお話。
 私が興味を持ったのは、どのように王様の心と身体を開いて吃音を矯正していくのかということであった。
 昔、竹内敏晴という演出家が居て、彼自身も子供の頃吃音で、演劇の道に入って訓練し俳優・演出家となった。この人に「言葉がひらかれるとき」という著作がある。長い間私の大切な本だった。今ちくま文庫になっているようである。「ひらく」は難しい漢字で「引き裂く」というような意味だったと記憶している。もう一度読んでみたいという気分になった。
 

2011年3月15日火曜日

大地震に政府も企業も思考停止か

 政府とNHKは「東北。・関東大地震」と呼び、民放と新聞は「東日本大地震」と呼ぶ今回の地震と津波は表現する言葉も無い。誰かを批判することもできないと思う。
 だが福島原発問題は少し違う気持ちになるのは私だけだろうか。確かに地震と津波による被害のためにさまざまな障害が生じ、計画通りの回復措置が取れないことは、ありうることとして受け入れてもいい。しかし、たとえば海水を入れることはもう少し早く決断しても良かったのではないか、海水を使うと回復後(回復したとして)の原発が使えなくなる、あるいは大きな経費がかかるなどの問題があってそのことを先ず心配したのではないかという疑念がよぎる。
 ここでもこんな事態でも企業は先ず企業の利益を優先して行動するという資本制社会は生き延びていけるのだろうか。いろんなことを考えさせる事件である。

2011年3月9日水曜日

梅はまだか、腰がちと痛いぞ!

 風が強い日で、外で作業するのが億劫です。ようやく久しぶりにクヌギ林に来たのに、日陰ではまだ地面が凍っています。でも今回は畑を起こして自慢の堆肥と石灰をまいて植え付けの準備をしようと思ってきたのですから、残り少ないやる気を総動員してがんばるしかありません。
 耕運機にガソリンを入れて、スタートのロープを引っ張ると一発でかかりました。これで少し気分が良くなります。鼻水をすすりながら、よたよたと耕運機を操って何とか耕し、堆肥と石灰をまいてもう一度耕しました。これで2時間くらいかな。後の時間は恒例のコーヒー集会。
 これを鍬を持って手作業となると、まず3日はかかります。このところ少し肉体労働をすると息切れが激しく30分も持ちません。だましだまし、休み休み作業をしますから3日か」4日はかかることになるのです。
 昨年耕運機を買ったのは大正解ですが、年に数日しか使いませんから、どうなんでしょうね。
 翌日は果樹たちに堆肥と油粕を根の周りに敷いてやりました。われながら良く働いたと思います。少し腰が痛いのは、充実の証でしょうか。
 まだ梅は固いつぼみです。今度来る時には咲いてくれることでしょう。