2010年7月30日金曜日

社民党と辻本清美に思う

 辻本清美が社民党を離党しました。
社民党の支持者で、辻本のファンクラブとしては誠に残念なことです。辻本が秘書問題で浪人していた頃は、支える会の会員としてわずかな会費を送って支えておりましたのに。
 でも辻本の気持ちもよくわかるのです。彼はいや彼女は仕事がしたいのですよ。いまの社民党に居ては仕事にならんということでしょう。そういえば、普天間問題で政権離脱したとき、国土交通副大臣を辞めなくてはならない事態になった記者会見の様子は「もっとやりたかってのに」という感じでした。
 ずーっと昔、参議院選挙の応援で大分に来たとき、その候補者のパンフレットを見て「すごいですね、大分でもこんな素敵なパンフレットができるんですね」と言ったそのパンフレットは何を隠そう私めが作成したものでした。そのときから密かに時には公然と辻本ファンになったのでした。それに、私の甥っ子が辻本の主宰していたピースボートのスタッフだったことも、彼女に思い入れる要因だったこともあるでしょう。
 さて物は考えようで、社民党や辻本がこれからどうするかが楽しみです。社民党はとても保守的ですからなにも変わらないかもしれませんが、辻本はどう変わっていくのでしょう。
 「社民党なんかそのうち無くなる」という人も居ますが、私は「決して無くならない」と思っています。
「無くならない社民党」になってほしいとも思っています。

2010年7月27日火曜日

麻雀に明け暮れて

 賭け事の好きな人生も困ったものだ。
 麻雀に明け暮れている。自分で仕事を始めた頃、一時止めていたことがあるが、20代後半からほぼ毎日のように牌を触っている。
 最近は自分の子供のような若いジャン士とたたかいを繰り返している。彼らは判断が早い。ほぼノータッチでパイを切ってくる。対応するのは大変である。「おいちゃんの番で!」などと言われながら、なんとかついていくのが精一杯である。
 麻雀に限らず、賭け事は一様にその人の人柄が表れる。私なんかはビビリだからびくびくしながら打っている。だが観ていると、みんな誰でもそのようである。おもてに出るか出ないかの違いはあるが、その微妙な差が大切なような気もする。
 麻雀に費やした時間やエネルギーは膨大である。これだけの情熱をほかに傾けたらどれだけのことができたであろうかと考えるといささか忸怩たる思いであるが、いまさらどうしようもない。
 「できるうちはぼけないよ」と言ってくれる長男に励まされて、戦いに繰り出すのである。

2010年7月23日金曜日

今日は死ぬのにもってこいの日だ

 92歳で親父が死んだとき、参会者の皆さんへの礼状にプエブロインディアンの伝承詩を入れました。

「今日は死ぬのにもってこいの日だ」

今日は死ぬのにもってこいの日だ
生きているすべてが私に呼吸を合わせている
すべての木が私の中で合唱している
すべての美が私の目の中で休もうとしてやってきた
あらゆる悪い考えは私から去っていった
今日は死ぬのにもってこいの日だ
私の土地は私を静かに取り巻いている
私の土地はもう耕されることはない
私の家は笑い声に満ちている
子供たちは家に帰ってきた
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ

 山小屋で静かに一人で居ると、この詩を思い出すのです。

2010年7月20日火曜日

カラスアゲハに遭遇


 梅雨明け、天気予報を確認して産山へ。


 ところが予報に反して、ぐずぐずした天気でどうにもすっきりしない。久々に姿を現せた流れのもの焼き物師を誘って最近できた「道の駅すごう」へうどんを食べに行く。


 小雨なので午後の集会は私の小屋で、今回は3人で世情を嘆きあった。

そとに一瞬日差しが戻り明るくなったとき、ひらりと大きな蝶が舞った。毎年、名を知らないおおきな花に遊びに来るカラスアゲハが挨拶に来たらしい。今年最初の一頭である。


 すかさずカメラを取り出し、こっそり近づいて優美な姿を収めようと思ったが、「そうはいくか」とばかりに高く舞い上がってどこかへ消えていった。

 しかし一回だけシャッターを切った、その一枚に見事な姿が写っていた。さすがである。
 マイコンが調子悪く、ようやく更新できた。いかったぁ。

2010年7月15日木曜日

雨ばかり、映画でも見るか

 このところよく映画を観た。
「誰がため」「ミレニアム」「オーケストラ」「ユキと二ナ」「息もできない」「ラストコーション」「私の頭の中の消しゴム」などなど。
 一押しは、「息もできない」である。
 韓国の若い監督の、初監督・脚本・主演映画だ。
 「母なる証明」という韓国映画が大きな評価を得たが、この映画はそれ以上だとわたしは思う。
借金の取立て屋をしているチンピラと複雑な家庭環境を切り盛りする女子高校生との、「生き方を探しあう」物語である。リアルに切なく、ぎこちなく不器用に、でも一生懸命なのである。
 「生意気なお店」でも、この監督のつぎの映画が楽しみということでは一致した。
「ミレニアム」も面白い映画だった。著者が亡くなってから原作が大売れし、映画化したものだそうだが、なかなかのサスペンス。早速ハリウッドがリメイクするとか。
 続編もまもなくできるそうだからこれも楽しみである。ただしこの件については「生意気なお店」とは一致していない。 
 雨ばかりである。山小屋に行くタイミングを見つけられないでいる。

2010年7月13日火曜日

政治・政局が面白い

 参議院選挙が終わりました。121人の新しい議員が決まり、私が投票した候補は121番目に議席を得ることが出来ました。
 そうです午前3時にやっとのこと決まった社民党の二人目の候補です。
 社民党なんかそのうちなくなる、という人も居ますが、私はそうは思いません。むしろ、連合をはじめ多くの労働組合が民主党支持に大きく舵を切り替えたとき、「ようやく社民党の時代が来るぞ」と思ったほどです。
 立派な大きな圧力団体にもなってしまった労働組合の、物心両面からの援助なしには選挙も出来ない政党では余り期待できない。大きなスポンサーから見放されたときにようやく自立した政党として苦しみと成長があると、人事ながら思うのです。
 さあこれからの政局は楽しみですね。小沢党がどう出るのか、再編劇があるのか、小政党が動くのか、こんな楽しみはなかなかあるものではありません。
 残り少ない人生、楽しく過ごしたいものです。

2010年7月11日日曜日

ヒグラシにこころ乱されて

 今年初めてヒグラシの声を聞きました。
たそがれ時にカナカナと大きな声で鳴くのです。なんとなくもの悲しくなるのです。
 でもでも、もう少し夏が本格的になると、夜明け前に、ほとんど5時きっかりに突然耳元でカンナカンナと騒ぐのです。これにはびっくりするのです。子供の頃、なかなか起きてこない私に雷のような大声で「起きんか!」と耳元で叫ぶあのオフクロのように、容赦のない大声です。
 「何かこの世に不満でもあるのか!」と反論したくなるような騒動です。
 でもでも、5時半になると、ぴったりやめてくれます。ようやく安眠のときです。
 高千穂から来た、あのむっつりヒグラシ君を思い出します。あのヒグラシも強烈だった。
しばらくはいろんな虫たちと、時をすごします。

2010年7月8日木曜日

生意気なお店にいく

 大分の城跡の近くに生意気なレストラン喫茶がある。
 昨日久しぶりに生意気なブス、もといボスに会いに寄って見た。ここのランチは絶品であるが、お昼を随分下がっていたのでコーヒーだけ。
 スタッフはボスと呼ばれる可愛い年増女とそのどら息子、それにちょっと可愛いちょっと若い女の子。
お客は若い女性がふたりと小生。みんな映画好きでしばらくは映画の話で時が過ぎる。コーヒーを注文すると、自家製のプリンやお菓子がついて来る。時には作成中のあすのランチの惣菜が「食べてみて」とぶっきらぼうに出される。「これはうまい」と叫ばなければならない。実際にうまいから、これはさほど演技を必要としない。
 こう書くと、場末の傾きかけたメシ屋という感じに聞こえるが、実はとってもおしゃれな内装。ボスが凝りに凝ってお金もそこそこかけて作ったそうだ。
 もう付き合いは結構長い。最近由布院にもお店を出したというので、友人を訪ねたときに探してよってみた。これがまた超生意気なお店。それがまたなんとおにぎりの店。こんなもので商売になるのか、と思うがバカあたりというから世の中わからん。
 ためしに友人と一つずつ買って食べてみた。美味い。

2010年7月6日火曜日

消費者が馬鹿なのか?

 佐高信という辛口の評論家がいる。
 珍しく社民党支持者だが、先日NHKの「週間ブックレビユー」という番組で、自分が評論家になるきっかけになった本として「消費者の権利」(岩波新書)を紹介していた。
 早速買ってパラパラと読んでみたが、くそ難しくて少し面白い。
要するに「消費者は事業者が提供するサービスや商品に対して、その商品が安全なもので価格も適正なものかどうか知る術を持たないが、そのような取引が対等な取引と呼べるのか」ということのようである。
 なるほど思い当たることがある。
 選挙の候補者もまったく同じことが言える。
 その候補がどんな能力や可能性を持ち、消費者(有権者)に対してどんな利益があるのかはほとんど解らない。特に初めて立候補するときは顕著である。政策や演説内容は周りがよってたかって作ってくれる。いわば偽装である。
 消費者が知るのは、ポスターや選挙公報・はがき・選挙車・演説会などだが、多くの消費者はポスターを見るくらいのものである。その商品価値をまったく知らされていない、のと同じである。 
 結局は自民印とか民主印とか社民印というメーカーで選ぶか、「かっこいい・きれい・見たことがある」
というミテクレでえらぶことになる。
 昔ウインドウズが売り出されたとき、長蛇の列に並んでようやくソフトを買った男性に「どうされますか?」とインタビューした時、「いやー、パソコンは出来ないんですけど、みんな買っているのでつい買ってしまいました。」という映像を思い出してしまった。

2010年7月3日土曜日

モンシロチョウと遊ぶ

 ジャガイモが大漁。いままでで一番の出来、かたちも量もなかなかだった。
 春大根に モンシロチョウが4・5頭遊んでいた。なんとなく懐かしい風景だが、いまは珍しくなっている。折れたミニトマトから新しい芽が出て、元気を回復しつつある。キュウリとゴーヤは心なしか元気がない。日当たりが悪いのだろうか。 
 畑の周りを刈り払い機で少しきれいにしてやった。
 戸無が原は誰も居ない。とても静かである。手を休め、木陰にイスを出して一服、何とも至福のとき。
 あと何年生きるのだろう、などと哲学者になる。