92歳で親父が死んだとき、参会者の皆さんへの礼状にプエブロインディアンの伝承詩を入れました。
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
今日は死ぬのにもってこいの日だ
生きているすべてが私に呼吸を合わせている
すべての木が私の中で合唱している
すべての美が私の目の中で休もうとしてやってきた
あらゆる悪い考えは私から去っていった
今日は死ぬのにもってこいの日だ
私の土地は私を静かに取り巻いている
私の土地はもう耕されることはない
私の家は笑い声に満ちている
子供たちは家に帰ってきた
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ
山小屋で静かに一人で居ると、この詩を思い出すのです。
その時、wakkyさんの送る言葉として、様々な思いが、心情が大きく包み込まれていてうらやましさえ感じるほどです。
返信削除プエブロインディアンの口承詩の中で、死はまるで祝祭日あるいは祝福の日とさえ思わせます。
wakkyさんどうか今少しの引用をお許しいただきたい。
はるか我が家をはなれていながら、故郷の友達に会う
うるさい音を聞きながら、その中に駒鳥の歌を聞く
人ごみの中にいても、感じるのは山の静けさだ
悲しみの冬の中にいても、思い出すのは悦びの夏
孤独の夜にあっても、感謝の昼に生きる
けれど悲しみが毛布のように広がり、もうそれしか見えなくなると、どこか遠いところへ目をやって胸の奥深くに宿るものの影を見つける
引用してあるにはやはりインディアンの伝承詩ですか?素敵な世界ですね。古神道の世界に通じるものだと思いますが、どうでしょうか。
返信削除種族は分かりませんが、プエブロインディアンの伝承詩の一部です。
返信削除宗教に箔とこけおどしとを寄与させるために最初巨大な寺院、仏閣をつくったのでは、そして負けまいとして同じ理由から社を作り始めたのだと思います。古神道はそれ以前ですから、せいぜい神の領域を標す小さな鳥居くらいだったのでしょう。しかし、当時の信仰は自然崇拝に近く、自然は人間に対して天変地異と自然の恵み、この二つだけを与える存在で、神に対しては畏怖と感謝しかなかったのではと思います。お願いをすれば叶えてくれるという思い込みはずいぶん後になってからだと思います。
アメリカの先住民インディアンもオーストラリアのアボリジニも人工的な神殿は持たず、自然一切を人間を超えた存在として神として崇め、その力を畏怖とともに肯定的に受け入れていたことはwakkyさんの言うとおり通じるものがあると思います。僕もこの世界は好きです。