2010年12月26日日曜日

「ぼけ!5キロで良いか」となる

 今年は年始年末用にぶりが一本手に入りそうである。最近麻雀屋さんで知り合った青年が実は県南の水産会社の社長で、戯れに「ぶりを一本持ってこんかい!」などと挑発していたのだった。
 青年も負けずに「ぼけ!500本単位じゃねえと出せん」と言っていたが、先日「ほんとに要るんか、さばききるんか?」と変わって、「5キロくらいでいいな!」となった。
 早速女房に手伝わせて出刃を研いだ。まな板も間に合わないので、建築屋の髭社長の倉庫をあさって適当な板を調達した。
 昨日深夜に目覚めて、解体は風呂場でしたほうがいいな、と思いついた。
 ネットで検索して、ぶり料理も少し研究した。うん、何とかかななりそうである。
 何を隠そう、私は台所に立つのは苦にしない。そこそこのものは作れる。山小屋の隣人が「お前といれば飢えることはないな」と言う位だ。
 だが5キロのぶりをさばいたことは無いのでいろいろとシュミレーションをしてみる。これが大事。
 出刃も研いだ、まな板も用意、解体と料理のイメージもできた。これで、今年の締めくくりと年始のスタートはぶり尽くしである。覚悟しろよ!

2010年12月23日木曜日

映画三昧の日々

 映画三昧の日が続いている。
「ミレニアム・2」「ミレニアム・3」「ノルウエーの森」「シングルマン」と立て続けに見てしまった。
これで年間50本の目標に近づいたか。
「ミレニアム」はミステリーで、あまり可愛くも無い、むしろ薄汚い女の子が実は天才的なハッカーで、陰謀集団と戦うという少し残酷で痛快なお話。いやー面白かった。 
 何とか言う国際的な情報組織の首領がイギリスで逮捕されたが、かれももともとはオーストラリアの天才ハッカー。彼の「逮捕」は「保護」だろうと見ているがさてどうかな。
 「ノルウエーの森」は村上春樹の原作を映画化したもの。とても話題になっているので見てしまった。彼の小説はまったく読んだことが無かったがすすめられて読んでから見たのだった。
この映画もまあまあの出来といえよう。主役は適役とはいえないが、恋人になるミドリ役は存在感が有ってなかなか良かった。
「シングルマン」は良くわからない映画。だが不思議と後味は悪くない。
 というわけで、今年もよく映画を観た。DVDと合わせると200本は観たか。しかし悲しいことに、あるいはうれしいことに記憶にはほとんど残ってない。

2010年12月19日日曜日

M先生からの手紙

 高校生の時代は今から45年以上も前。特にお世話になった先生が3人居る。一人は1年生の時の主任で、もう一人は教師になりたての副主任、3人目は隣の高校の先生。
 3人とも健在で、いまだに時々交流がある。
 今は神戸に住んでるそのお一人から久しぶりに長い長い手紙が届いた。A4の用紙にワープロで12枚の大作である。それなりに病を得ながら、相変わらずボランティア活動を中心に、娘の家のお手伝い、近所の犬の散歩などをしていると書いてある。
 この先生、実は随分早く教師を辞めた。実家の家業を継ぐためにやむなく退職してふるさと鹿児島に帰ったと記憶している。だが先生を慕う教え子たちが多く、数年前当時の教え子たちが計画して母校に呼んで、懐かしい授業をしてもらったと報告があった。残念ながら私は参加できなかったが、きっと思い出の授業になったことだろうと思った。
 しばらく前まで手作りの「撫で地蔵」を作っていた。お年寄りのボケ防止のために、やや荒削りのお地蔵様を自分で彫って贈っていたのだ。
 私にも2体の「撫で地蔵」が送られてきた。「毎日しっかり撫でて、ボケないように」というわけだ。ひとつは別府の家に。ひとつは山小屋において、今のところ眺めている。
 生意気なお店で長い返事を書いていたら、小娘が「何を書いているんですか」と聞くので「当然ラブレター!」とウインクして見せた。

2010年12月12日日曜日

なんだかうれしい「ニンナナンナ」の日

 下界の事が忙しくなって2週ほど山小屋に行くことができなかったが、土日にかけて行って来た。午後3時ごろにつくと、隣人たとがドラム缶を二つに切った屋外ストーブを囲んでコーヒーを楽しんでいた。さっそく合流して最近のやまの情報を仕入れたが、イノシシや鹿が出没しているらしい。我が家のキャベツを食い荒らしているのは誰かな。
 夕食は隣人を招待して水炊き、翌朝は残りを使って雑炊を作った。
 隣人が隣町の古い神社に行ってみたいというので、同行。白水の滝や円形分水(水を村ごとに公平に分けようという昔の人の知恵のさんぶつ)を回って、昼近くになったので知る人ぞ知る山の中のレストランに行ってみることにした。
 「さてまだあるかいな」と会話を交わしつつその解りにくい場所の「ニンナナンナ」についた。どうやら続いているようだ。
 このレストラン、10年ほど前に2度ほど来た事がある。なんでもご主人が都会で体調を壊し、空気の良い大自然の中で生きようとたどり着いたのだとか、そう聞いた記憶がある。その頃ご主人はいかにも病弱そうで奥さんが健気にがんばっているように見えた。週末だけの営業というのもうなずけたものだ。
 声は優しいものの、現れたご主人の顔は精悍に成っていた。昔から食材は自分たちで作った有機野菜だけを使っていたが、農場は広がっているようだし、馬も飼っていた。新しいパンフレットがおいてあり、5人の子供が居るとか、なかなかやるもんだと改めてみなおした。
 ブルーベリーの手入れの仕方をていねいに教えてもらって、ちょっと高めの料金だったが少し得した気分で岐路に着いたものだ。なんだかうれしい一日であった。

2010年12月9日木曜日

「へヴンズ・ストーリー」

 なんとこの映画4時間38分もの長尺なのです。
 監督は大分出身の人で、大学は哲学科という変り種で、そのせいかどうかわかりませんが映画も変わっています。
 生意気なお店のボスと小娘が口をそろえて「え!まだ観てないんですか。みても良くわからないかもね」などと挑発するものですから、観てしまいました。
 まあ一言で言えば「メルヘン」ですね。人間のというより日本人の原罪のようなものを、残酷にコミカルに美しく醜く描いた童話とでも言いましょうか。
 映画を見た後、そのように生意気な連中に感想を漏らしたところ「もっと解りやすく述べよ」と又しかられました。
 「でもあんな長い映画をよく観たもんだね」というと、件のボスは「ぜんぜん平気、まったく間延びはしないし長いとは思いませんでしたよ。ちょこっとだけ寝ましたけどね」。
 寝るな!

2010年12月2日木曜日

いずれ土に帰るからね

 「死んだらいったいどうなるのだろう」「この世界は存在し続けるのに、それを目撃することもできないし自分を認識してもらうこともできない」と、とてつもない不安に襲われたのは中学2年の時。通学の途中でした。
 「死の不安から逃れることは一生できないのかな」と若い僧に聞いたのは30台だったか。私より若いその僧は、「私も良くわかりませんが、年を重ねるときちんと向かい合えるようになるのでじはないでしょうか。死に向かって生きているのですから。」と自信なさそうに答えてくれたものだ。
 ただそれだけの答えで私はとても楽になったことははっきり覚えている。
 産山村の片隅で小さな畑を作り、周囲の自然を楽しむ生活を始めた時数人の友人は「何でそんなところに、どうしていまさら百姓のまね事?」と聞いてくる。
 そんな時「いずれ土に帰るからね。そんな環境が恋しくなってきたのかな」と答えることにしている。

2010年11月26日金曜日

来年は統一地方選挙の年なのです

 先週は用事が幾つかあって山小屋に行くことができなかった。ようやく暇を見つけて出かけたが、クヌギの葉が全部落ちて、見た目には山奥の森の中の童話に出てくるような風景になっていた。
 だがすぐに現実に引き戻される。どこが畑か判らないほど落ち葉に埋め尽くされているのである。意を決して落ち葉排除大作戦を展開し、どうにか畑の中は見られるようになった。今年は特に落ち葉が多い。昨年と比べると倍はあるようだ。堆肥に使うとしてもこんなには集めきれないと判断。かなり落ち葉焚きの材料になった。
 高千穂のむっつり氏から「初めての米を送ったぞ」と電話があった。これは楽しみである。
 木城の橋正氏からすすめられた「たまねぎ」を100株ほど植えた。
 もう仕事はしないつもりでいたが、日出町のイケメンから来年の統一地方選挙の仕事を頼まれ、頭の中はグルグルアイデアが回り始めた。
 やはり好きな仕事は楽しい。

2010年11月17日水曜日

ついに無地のノートになった

 この時期になると書店や文房具店に新しい日記帳や手帳が並ぶ。ここ10年くらいB6サイズのノートに予定表と日記帳を兼ね備えたものを使っていた。いろんなメーカーが出しているが、私は好んで高橋のものを使ってきた。これはとても便利で、見開きに1ヶ月の予定が書き込め、6~7行の日記も書けるようになっている。余計なものが余り無いのが私の気に入っている。
 来年用のノートを物色しているうちに、もっとシンプルなものという希望が強くなり、ついにまったく無地の何も書いてないノートが良いという気になって、表紙や綴じの比較的しっかりした無地のノートを買ってしまった。
 予定表は自分で罫線を引き、曜日と日付を入れた。これなら書くべき事件があったときに好きなだけの分量を書くことができるし、テレビで見た料理のレシピをちょいと書き留めることもできる。映画の感想だってスペースを気にせず書けるというものだ。第一毎日書かなければならないという脅迫から逃れることができる。
 これで来年を乗り切ってみよう。シンプルに。
 
 

2010年11月14日日曜日

またもやカラスが暗躍

 クヌギ林は9割がた葉が落ちていた。どうやら大風が吹いたらしい。シイタケの原木が数本倒れていた。あと1週間もするとすべての葉がおちていよいよ冬景色になる。
 サツマイモの収穫をしたが、今年は実のつきが良くない。
 またぞろカラスの暗躍が始まった。しきりに偵察隊がやってきては帰っていく。隣人は本気でエアライフルの購入を考えているようだ。大分の庄内町にある射撃場までわざわざ見学に行ってきたそうだ。いままでイノシシの出没は無かったが、このところすぐ近くまで形跡が確認される。
 私は友人には笑われるが、ゴム銃を改良して戦うことにしよう。
 これからは再来年用の堆肥を作る準備が始まる。

2010年11月10日水曜日

映画「トイレット」を観る

 9日にシネマ5で「ゾンビランド」を観て、10日には「トイレット」を観た。
「ゾンビランド」はホラー映画かと思っていたら、意外にも喜劇的なそして人情味ある映画だった。「トイレット」は「カモメ食堂」「めがね」につながる荻上直子監督の作品で、これはなかなかの映画だった。加齢とともにゆるくなった涙腺を刺激するには充分で、もうハンカチを使うことにも傍目を気にすることも無くなってきたのだが、流した涙の分だけは満足した。
 60歳を過ぎると千円で見ることができるのでとても重宝している。いまどき千円で2時間も遊んでくれるところはそうそうない。それにお涙付となれば充分だが、いつまでも残る感動や政治や社会に対する疑問などを余白に含んでいたりすると完璧である。
 さて今年は何本の映画を観ることになるのじゃろ。

2010年11月8日月曜日

みんなあの頃モテテいた(?)

 42年くらい前付き合いのあった学生時代の友人・先輩と41年ぶりに再会して、この春わが産山小屋を訪ねてきてくれたのだった。
 そして「奥目のアニー」が再会のとき宣言したように、この秋にも同じメンバーでたずねてきてくれた。「ほたるの宿」氏と図って、テーマを「それぞれの女性遍歴」とし、主に日ごろ口の重い「むっつり」氏の過去を暴きだそうということになっていた。
 「俺はそういうことがまったく無い」と言い張るむっつり氏を攻め立てて、口を割らせたときには奥目のアニー氏は私の敷きっぱなしの布団で鼾をかいていた。おそらく今頃「どげなはなしじゃったか?」とせがんでいるに違いない。
 むっつり氏が今年初めて米を作ったという苦労話を生き生きと話してくれ、「きっと旨いと思うよ」というのを聞きつけ「それは食ってみらにゃ。10キロくらい送ってみらんね」と私が言うと、先輩であるほたるの宿氏が指を3本たてて「多すぎる!3キロでいい」と値切ってきた。
 翌朝昨夜の残り物の水炊きを温め、「これだけしかない」と少しのご飯を分けて出したところ、「やっぱ10キロでいいか」ということにはなったが、さてどうなるか。
 今回の収穫はみんなが元気でそれぞれの生き方で過ごしていることを確認したことよりも、アニーが作っているサツマイモ・サトイモ・柿・生姜などをたくさんいただいたことである、といったら怒るだろうか。

2010年10月31日日曜日

最後の仕事と思って、しんどく楽しく

 郷土史家のN先生から呼び出しがあった。これまでたくさんの郷土史の著作がある。
 数日後お邪魔したら、どすんと原稿の束を出されて「これが最後じゃろう」といわれる。
 以前、まだ事務所を構えて編集をしていた頃先生の本を一冊編集・出版したことがある。今度の本は「大分県自由民権運動史」で先生の集大成である。編集・出版を任すとおっしゃる。
 私如きがせんせいの文章をあれこれ注文できるわけは無いが、私如きでも読んで理解できるようになっているかどうかはかろうじて判定できるのではないかと思う。
 というわけで、「ゆっくりでいいいよ、最後だからじっくりやろう」という先生のことばを真に受けて、じっくり読み始めたが、もう必要ないだろうと思って友人に貸していた大漢和辞典をあわてて返してもらった。
 実に面白い。だが難解なところもたくさんある。やはり私も最後の仕事と思ってじっくりやるしかないようだ。
 コーヒーやタバコの煙の中で、しんどいことをやるのは又たのしい時間でもある。

2010年10月29日金曜日

おばけのシイタケにひっくり返った

 ほんの数日なのに、シイタケが大変なことになっていた。なべのふたほどもあるものが数枚、これは大きいなといえるものが数枚、適当なものはほんの数枚、ひっくり返るような状態である。
 女房に「大変じゃ、どげえするか?」と電話。「ハハハ、とにかくもって帰りなさい」と笑って取り合ってくれない。ならばと生意気なお店に電話、「わたしゃそげんもんいらんよ!」「バカもん、誰がやるか。どうすればいいかを聞きよるんじゃ」「まあ、みりんと醤油で煮てみれば」ということになった。
 さっそく根気強く佃煮風にはなった。
 もって帰ったら、「あらいがいに美味しいじゃない」と女房と義母。褒められた。

2010年10月24日日曜日

白菜がメッシュ状態でしたが

 先々週植えつけたキャベツは順調に育っているが、白菜は無残な状態になっていた。福岡からの隣人は「うちのもまるでメッシュ状態です。虫がきれいに食べてくれます。」と苦笑する。
 それから一週間後、新しい葉が見事に出てきて白菜の形状をつくりつつある。とても考えられない再生力である。虫たちにも生きる事情があり、植物にもそれでも生きる力があるということだ。
 某県議会議員から「久しぶりに麦藁帽子さんの原稿が恋しいわ。わたしの通信に載せたいの」と連絡があった。快諾して、カラス騒動の顛末に少し味を添えて送っておいたが、さてどうするか知らん。読者から「こんなものを!」と抗議されるかもしれんよ、というと「歓迎よ、ちゃんと読んでくれているんだと思えばいいんでしょ」と、以前私が話したことを返された。
 彼女にも、わたし如きには無い再生力があるのだろう。

2010年10月16日土曜日

シイタケが咲き乱れる

 クヌギたちはハラハラと葉を落とし始めている。畑の中も落ち葉に埋もれ始めた。これから一気に紅葉が始まる。山里の一番いい季節になる。 
 先週、近くのシイタケ農家のおじちゃんに教えられたとおり、原木に水をかけハンマーでたたきまわした我が家のシイタケは見事に咲き誇っていた。少し大きくなりすぎているのが数枚、一番の食べごろが10枚くらい、3-4日後に収穫できそうなものになると数十枚。感嘆の声を上げたくなるような咲きようである。
 共同で買ったチェーンソウが動かなくなっていたので、分解して掃除したら機嫌よくうなり声をあげるようになったのに気をよくして、隣人に声をかけてコーヒーを淹れる事にした。
 大分で行きつけの喫茶店が焙煎した豆を昨日仕入れたばかりなので、ゆっくり挽いていつもより丁寧に淹れた。ふっくらと、坊主地獄のように豆たちがふくらみ、香りが広がる。
 こうして飲むコーヒーがやはり一番うまい。

2010年10月8日金曜日

シイタケの原木をたたきまわす

 めずらしく朝早くおきて草刈機を振り回していると、福岡から来ているKさんがコーヒーを淹れてくれた。
「今年はカラスにやられて大変だった」という話をしていると、大きなトラクターに乗った農夫らしき人が我が家に入り込んできた。  
 「何か御用ですか」と問いかけると、辺りを見回し「よかクヌギじゃな」という。「売ってもらえんじゃろか」というので「シイタケ農家な?」と聞くがそれには答えず、ぐんぐん辺りを見て回る。
 売る気は無いがためしにと思って「なんぼくらいな?」と聞いたら、にこっと笑って「350円くらい、一本」。「ありゃ、タバコ銭にもならんな」というと、さらににっこり笑ってくれた。
 「じつは一昨年少し木を切って、シイタケ作りのまねをしている」という話をすると、どれと遮光ネットをめくり爪で木を削って「こらいい、今年にゃでる」といって、「水をかけて頭をハンマーで小突くといい」と教えてくれた。
 結局残念そうにしながら、トラクターに乗って帰っていったが、私は急いで教えれらたとおりに原木をたたきまわした。刺激を与えるとびっくりしてたくさん出てくるのだそうな。本当だろうか。

2010年10月2日土曜日

独善者たちの国に未来はあるか

 高齢者の仲間入りを目前にして、どうでもいいことかもしれないが、「最近の若い奴にはあきれる」ばかりだ。
 政治家もいい加減な奴らばかりだし、巨大マスコミも提灯持ちで独りよがり、日本の正義を自認している検察庁までも腐りきっていることが明らかになってきた。
 愛する佐藤優によれば、権力は政府・マスコミ・検察が握っているそうだから、その権力機関そのものが機能不全に陥っていることになる。こうなると我々小市民は「どげんかせんといかん」と思う。しかし、私なぞはもうすぐ高齢者なのである。もうどうあがいても間に合わんという気がする。
 そうなると、ゴム銃でカラスと戦うのが関の山で、後は遠くから口汚くののしるくらいのことである。
 もうこの国は救いようが無い、と悲しくなるが、ちょっと待てこどもや孫が居る、と気を取り直す。だからほんちょっとだけやる気を探して、昔のように「体制を変えてやる」とつぶやいてみる。
 そうやって、昨日も過ごしてきた。

2010年9月26日日曜日

勇躍、カラスとのたたかいに臨む

 建築屋のナベちゃんの倉庫から程よい木の二股を見つけた。DIYの店でゴムとタコ糸を調達。子供の頃を思い出して、なかなかのゴム銃を作ることができた。  
 戦いの準備を終え、勇躍山小屋へと行ったのだが・・・・・・・どうしたことか肝心のカラスが近づいてこない。声は確かに近くで聞こえている。危険を察知し、どこかで見張りが警報を発しているのかもしれない。
 頭にきた。卑怯である。
 仕方が無いので。近くの立ち木で試し撃ちをしてみることにした。ところがこれがまったく当たらない。いやになるくらい当たらない。見張り役が居たらなら、「おーい、警戒警報解除!ぜんぜん気にしなくていいぞ」と報告していることだろう。
 カラスの奴に見られていたらこちらの沽券にかかわるので、なにくわぬ顔をしてキャベツと白菜を植えて、コーヒータイムとした。

2010年9月21日火曜日

戦術は多いほうがいい

 いきつけの生意気なお店がお客とのトラブルで小少困っている、という相談をうけた。よくよく話を聞いて、そういう場合は当事者同士でなく、弁護士でも入れて冷静に話したほうがいいよ、と助言した。誰かいい人は居ないかと言うので、かねてゴルフや麻雀で遊んでいる友人の弁護士のところに連れて行った。さほど難しい事案ではないので、代理人として交渉してもらうことになり、方針も決まった。
 数日後、浮かない顔をしている生意気なお店を発見。どうした、と聞くと、相手の反論で条件を少し上げたらどうかと弁護士から提案があった、という。妥当な内容ならまったく異論は無いが、そこがわからないからすっきりしない、とすこし膨れている。
 私から友人の弁護士に提案。もういちど最初の条件でボールを投げ返してみては、それ以上戦う意志があるかどうか見てみる手もあるよ。
 「ご不満なら後は法廷なりで話しましょう」という直球も交えて投げ返したらしい。
 生意気なお店から「一件落着です」と電話があったのは、2~3日後だった。
 この弁護士、少し変な弁護士なのだ。ゴルフに行くとなんでも賭けたがる。一度など、前の人が打つとき、「オンするかどうか昼メシを賭けますか」と来た。「あんた商売は何じゃったかね?」と思わず聞いたものだ。自分がうつ玉に賭けるのならまだ解るが。
 それでも私の選挙違反容疑のときはおおいに助かった。彼ののらりくらりの軟弱戦術で切り抜けたのだった。
 久しく弁護士先生とゴルフをしていない。
 

2010年9月17日金曜日

印刷屋の営業マンがパスタ屋さんへ

 かってわたしの印刷物のほとんどを引き受けていた印刷所の営業マンのU君が昨年退職して、半年以上次なる計画を模索していた。何度も「計略は整ったか?」と催促していたが、「思案中です」というへんじだったが、先日突然「9月に別府大学の近くにパスタとコーヒーの店をオープンします」という連絡。
 何じゃ、とすぐに準備中の店を偵察。
 以外にきれいで、明るいお店だ。問題は彼の作るパスタが食べられる種類のものかどうかだ。
 オープンして四日目、今日午後3時ごろ2回目のパスタを食べた。まあまあではあるが「とても美味しい」という評価まではできない。あれこれ評論をしていると、どやどやと女子大生が入ってきた。
 U君、少々パニクリ気味。
 「おいエプロンはあるか」、私はいつの間にか皿洗いを始めていた。
 
 別府大学通りの、踏み切をすこしあがった右側の花屋さんの隣。きっといつかは、「美味しいパスタの店」と呼ばれるように。

2010年9月12日日曜日

カラスの大群に襲われる

 今年はカラスが多いな、と思っていたら大変なことになっていた。
 畑のナス・ミニトマト・ピーマンなどが食い荒らされている。スイカに味を占めて、集団でいたずらをしているようだ。
 室内に居てコーヒーを飲んでいると、そとでガーガーとなにやら騒々しい。見ると数羽のカラスが集まって徘徊している。戸をあけて姿を見せるといっせいに飛び立って逃げる。しばらく見ていると、一羽が高い木の枝から飛び立っていった。残って様子を見ていたようだ。なかなか賢いやつらだ。
 「しばらくは狙われるよ」と隣人は言ってくれる。
 「まったく頭にくるね、鉄砲でも用意するか」とは言ってみるが、頭の中では子供の頃持ち歩いていたゴム銃を想像している。
 今は本気でゴム銃を作ってみようと思っている。

 

2010年9月5日日曜日

スイカどろぼうは誰だ


 今年初めて果樹の下にスイカを植えてみた。余り期待もせずに雑草のなかに埋もれるのもほったらかしにしていたが、先週あまりにも目に余るので少し草刈をしたとき、スイカの実を発見したのだった。ほんの一個だけだが何ともうれしくて、すぐに女房に写真を送ったほどだった。

 ところが、その貴重な一個のスイカを何者かが盗んだのだ。すっかり赤く熟れているなけなしの大事なスイカを事もあろうに大胆にかじった奴が居た。

 隣人の話では「たぶんカラスだろう」とのこと。

 翌日には、写真のすがたもとどめず、跡形もなくなっていた。そう、そこにスイカがあったことを示すなにもなくなっていたのだ。ほんとうにカラスの仕業か、ここには狢のたぐいも住んでいる。共犯なのだろうか。などと悔しさ紛れにいろいろ犯人さがしをしてみる。

 

 民主党は代表選挙を展開している。佐藤優の読みでは、官僚群対小沢の戦いだという。つまり菅直人は官僚群の人形だというのである。さてこの読みがあたっているかどうかはそのうち明らかになるだろう。

2010年8月27日金曜日

りんごの木が蘇ったぞ!


 りんごの木が枯れかかって、果樹園は草たちが我が物顔でのさばっていた。余りにもかわいそうなので、少し周りをきれいにしてやろうと思い立ち刈り払い機を振り回して戦った。
 りんごの木にはつる草も巻きついていて、解くようにとっているとき驚いたことに新しい若葉を発見した。モンパ菌に負けずに生きていたのだった。丁寧に周りの雑草を取り、バケツで水をたっぷり与えた。これで来年も元気に枝を伸ばしてくれることだろう。
 ともかくも、良かった。
 気がつくと、あたりは狐のカミソリの群生である。今年は特に多い。
 コーヒーを淹れ、タバコをふかしながら、しばし眺めていた。

 春大根にモンシロチョウが乱舞した後、葉が見る影も無く幼虫たちにかじられ、これはだめかと思ったが見事に再生して、立派な大根になっている。彼らの生きる力はにんげんさまの予想をこえているのだ。

 「りんごの木が教えてくれること」の著者も「かれらの自然なちからを人間が邪魔しなければいいのだ」と言っていた。
 

2010年8月21日土曜日

「存在の耐えられない軽さ」にまた感動

 「存在の耐えられない軽さ」という映画をまた借りて観てしまった。  

 随分古い映画で、「マイレフトフット」や「父の祈りを」のダニエル・デイ・ルイスと、「ポンヌフの恋人」の(名前が出てこない、5分後には出てくると思う)が主演の映画。

 これまで3~4回は見ていると思うが、何度観てもいい映画だ。プラハの春を背景にしていて、若い医師と駆け出しの女性カメラマンの恋を中心に、物語は進んでいく。ある日突然ソ連軍の進駐により二人の生活は変わる。転向を拒否する医師は窓拭きや農作業で生活を支えるが、雨の日トラック事故で二人は死んでしまう。

 数少ないおすすめの映画である。観るたびにあたらしい感動がある。物語の中で、女性関係の絶えない男に対して「私はあなたにとってそんなに軽い存在なの。とても耐えられないわ」というせりふがあるが、映画の題名はそのことを表しているのではなく、国家や権力あるいは思想などというものが人々に対してとる態度のことを言っているのだと思う。
 
 老朽化した脳細胞をぐるぐるさせて、感動しているのである。

2010年8月20日金曜日

憲法九条は守られるか

 「憲法九条を断固守る」という立場はわかる。だが、はたしてそう叫ぶだけでいいのか、念仏のようにとなえるるだけでいいのか?という疑問がこのところふつふつと湧いてくる。

 先日郷土史家の大先生のところにお邪魔したとき、そのような疑問をぶつけてみた。先生は「そうですね、とりあえず叫び続けることは大事ですね」とおっしゃる。そうです、とりあえずそうですが、世論は改憲の論調が盛んで、それに対する護憲派の有効な反論なり世論を動かす運動はありません。
 もはや改憲の流れを止めることはできそうにない、という気にさえなるのです。 

 障がい者団体の事務局を長年勤めているO氏と、きょうそのことを話してみた。氏は根っからの社民党支持者で護憲派の塊のような人である。「そのことはわたしも同感です。障がい者の自立や地域で生きていくためのさまざまな運動も少しずつ変わってきています。お役人の認識も変わってきました。それぞれの生活の中で地域共同体という核を単位に変えていくとしかいえないのではないでしょうか。」

 しかし、世論は結構ミーハーで浮ついていて、なにかの拍子に一気に「改憲賛成!」となりかねません。塩野七生先生も「改憲の手続きをもっと簡単にすべきです」などとおっしゃっています。

 社民党をはじめ、護憲派の皆さんは本当はどうすれば平和な国を、世界を作れるのか解ってないのではないでしょうか。もしいま政権を任されたらなにをどうするのでしょう。

 そんな疑問を持ちつつ、きょうも静かにねむりにつくのです。

2010年8月18日水曜日

映画「キャタピラー」を観る

 ベルリン映画祭で寺島しのぶが賞を取った「キャタピラー」をようやく観た。
 
 予告編は観ていたので、興味はあったのだが、余りにもしんどそうな映画のようで二の足を踏んでいたのだった。
 生意気なお店のボスから「この軟弱者!」と罵声を浴びながらも、「はい私は軟弱です」と受け流していたのだが、昨日意を決して見に行ったのだ。
 結論を言えば、とてもいい映画だった。シネマ5の館主が4週間のロングランを決行するだけの事はある。監督の若松孝二といえば、エログロ映画の代表選手で反権力の旗手を自認していたが、そして今度の映画もその流れは変わってはいないと思うが、性と暴力と戦争を描いた傑作といえよう。
 寺島しのぶもなかなかいい演技だった。「四十八滝~」のときも良かったが、もしかしたら数えられる女優になるのかもしれない。
 
 異常な暑さなので、読書も進まず、山小屋にも行く気にならず、ボケーっとしている時間が長いのです。
 

2010年8月14日土曜日

塩野七生に学んだこと

 塩野七生の「日本人へ」という新書が売れている。「リーダー篇」と「国家篇」があって、その二冊を買ってやくざの山ちゃんと本屋の喫茶店でデートしたとき、「面白そうな本を持っておるな、どっちか貸しておくれ」というので、「リーダー篇」を貸した。
 二日後に、「読んだで!もう一冊の方を貸しておくれ」といってきた。
 「まだ読んでないよ、もうちょっと待って」といってから2週間近く経った。ようやく昨日「国家篇」を貸すことができた。
 それにしても山ちゃんは本を読むのが早い。比べて私はあまりにも遅い。
 塩野七生はイタリア在住の作家で、15年かけて「ローマ人の物語」を書き上げた。デビュー当時は「男か女か、日本人か?」などと話題を呼んだ記憶がある。
 今回の新書を読んで感じたこと、相手の立場で考えるとまったく違った見方になることがある、といううこと。子供たちには言ってきたではないか、「相手の立場で考えてごらん、理解できることもあるんじゃないの?」などと。麻雀もそう。相手が何をしようとしているかを考えるとそうそうは負けないのだけど。それが実際にはなかなかできないのです。
 

2010年8月8日日曜日

りんごの木が危ないのです

 りんごの木が危機的状況である。
 小さな果樹園を作るとき、「ここではりんごは育たない」と聞いていたのであるが、庭師に相談したところ、「そんなことは無いでしょう」というので、植えたのだった。
 隣人たちの話では、モンパ菌とかいうやつがクヌギ林には住んでいて、こいつが悪さをしてりんごが育たないのだ、ということだった。事実この集落でりんごを植えた人が居るが3年も持たない、というのだ。
 我が家のりんごの木も3年目になる。勢いが無く、葉っぱも落ちて息も絶え絶えという感じである。隣人たちの説は本当だったのだろうか。何とか生き延びる方策を考えねばならない。
 ベストセラーになっている「りんごの木が教えてくれること」という本によれば、本来の木が持っている生命力を邪魔しない育て方をすれば、力強く立派な木になり健康な実をつけてくれることになっている。だがどうにも私のりんごはそうはなっていない。
 この夏を生き延びさせる方法を誰か教えてくれないか?

2010年8月3日火曜日

暑い、暑い。どこかへ逃げようっと。

 暑い。この暑さ、尋常ではない。
 朝から蝉が鳴き始めると、いっそう暑さが増す。

 昨日は「生意気な喫茶店」に逃げ込んで、頼まれたパンフレットの編集のために原稿を読んで時をすごした。急ぎ、では無いので、なんとも気合が入らない。
 店のスタッフの会話に割り込むと、「ちゃんと仕事をしなさい」としかられる。

 山に行こうか。山も暑かろう。堆肥の切り替えしが中途になっている。先週思い立って始めたものの、余りの暑さに途中で放棄したままになっているのだ。
 
 読みかけの本も数冊、手をつけられることなく放置されている。一冊の本を一気に読んでしまうという根気がなくなっていて、あちこちと浮気をするために、読みかけの本がたまってしまう。
 やくざの山ちゃんが、「よくそんなことができるなぁ」と感心するが、べつに出来ているわけではなくて、やむなくそうなってしまうのである。
 
 やはりトマトやキュウリが気になる。山に行って来ようっと。

2010年8月1日日曜日

外に出かけるときには注意、の巻

 お昼少し前、そういえばこのところ余り歩いていないことに気づき、うす曇なのでちょうど良いと散歩に出かけました。ところがコースの中ほどで雲が切れ、帽子をかぶっていない僕の頭をカッと直撃し始めます。防御体制が薄くなっている僕の頭を容赦なく攻撃してきます。初めて頭髪の存在理由を実感し、見えないわが頭部の実態が想像され、手で日光をさえぎりながら早足になるのでした。
 どこかでお昼をと、めぼしいお店を探すのですが、ようやく思いついた駅前の天ぷら屋は数人の待ち人が居てしばらく時間がかかりそうです。やむなく駅構内の食堂街に逃げ込み、鳥天どんぶりを寂しく食べていると、目の前をご婦人が通りかかり、オヤという表情で立ち止まります。
 某国会議員の奥様で、「どうしたの、お一人で?」と声をかけてきます。
「あなたこそ、何をしているの?お父さんは?」
「ちゃんとお仕事をしてるよ。なんだかめちゃくちゃ忙しいみたい。私はこれから東京。」などとしばらく雑談。
 この某国会議員、はじめて出馬した10数年前から印刷物のすべてを私が企画してきたのです。10年目の記念出版も大手が、時間が足りないと断ってきたのを、綱渡りのような芸で間に合わせたのでした。
 出版祝賀会には東京まで、建築屋のひげ、カメラマンの常、スタジオのしゃれ男と4人してでかけたものです。
 お互いの家族の状況など話して、じゃよろしくと分かれたのでした。
 
 〆はやはりいつもの喫茶店。濃い目のコーヒーとマスターの渋い声で少し涼しくなって家路に着くのでした。
 きょうの反省、外に出るときは帽子をかぶろう。

2010年7月30日金曜日

社民党と辻本清美に思う

 辻本清美が社民党を離党しました。
社民党の支持者で、辻本のファンクラブとしては誠に残念なことです。辻本が秘書問題で浪人していた頃は、支える会の会員としてわずかな会費を送って支えておりましたのに。
 でも辻本の気持ちもよくわかるのです。彼はいや彼女は仕事がしたいのですよ。いまの社民党に居ては仕事にならんということでしょう。そういえば、普天間問題で政権離脱したとき、国土交通副大臣を辞めなくてはならない事態になった記者会見の様子は「もっとやりたかってのに」という感じでした。
 ずーっと昔、参議院選挙の応援で大分に来たとき、その候補者のパンフレットを見て「すごいですね、大分でもこんな素敵なパンフレットができるんですね」と言ったそのパンフレットは何を隠そう私めが作成したものでした。そのときから密かに時には公然と辻本ファンになったのでした。それに、私の甥っ子が辻本の主宰していたピースボートのスタッフだったことも、彼女に思い入れる要因だったこともあるでしょう。
 さて物は考えようで、社民党や辻本がこれからどうするかが楽しみです。社民党はとても保守的ですからなにも変わらないかもしれませんが、辻本はどう変わっていくのでしょう。
 「社民党なんかそのうち無くなる」という人も居ますが、私は「決して無くならない」と思っています。
「無くならない社民党」になってほしいとも思っています。

2010年7月27日火曜日

麻雀に明け暮れて

 賭け事の好きな人生も困ったものだ。
 麻雀に明け暮れている。自分で仕事を始めた頃、一時止めていたことがあるが、20代後半からほぼ毎日のように牌を触っている。
 最近は自分の子供のような若いジャン士とたたかいを繰り返している。彼らは判断が早い。ほぼノータッチでパイを切ってくる。対応するのは大変である。「おいちゃんの番で!」などと言われながら、なんとかついていくのが精一杯である。
 麻雀に限らず、賭け事は一様にその人の人柄が表れる。私なんかはビビリだからびくびくしながら打っている。だが観ていると、みんな誰でもそのようである。おもてに出るか出ないかの違いはあるが、その微妙な差が大切なような気もする。
 麻雀に費やした時間やエネルギーは膨大である。これだけの情熱をほかに傾けたらどれだけのことができたであろうかと考えるといささか忸怩たる思いであるが、いまさらどうしようもない。
 「できるうちはぼけないよ」と言ってくれる長男に励まされて、戦いに繰り出すのである。

2010年7月23日金曜日

今日は死ぬのにもってこいの日だ

 92歳で親父が死んだとき、参会者の皆さんへの礼状にプエブロインディアンの伝承詩を入れました。

「今日は死ぬのにもってこいの日だ」

今日は死ぬのにもってこいの日だ
生きているすべてが私に呼吸を合わせている
すべての木が私の中で合唱している
すべての美が私の目の中で休もうとしてやってきた
あらゆる悪い考えは私から去っていった
今日は死ぬのにもってこいの日だ
私の土地は私を静かに取り巻いている
私の土地はもう耕されることはない
私の家は笑い声に満ちている
子供たちは家に帰ってきた
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ

 山小屋で静かに一人で居ると、この詩を思い出すのです。

2010年7月20日火曜日

カラスアゲハに遭遇


 梅雨明け、天気予報を確認して産山へ。


 ところが予報に反して、ぐずぐずした天気でどうにもすっきりしない。久々に姿を現せた流れのもの焼き物師を誘って最近できた「道の駅すごう」へうどんを食べに行く。


 小雨なので午後の集会は私の小屋で、今回は3人で世情を嘆きあった。

そとに一瞬日差しが戻り明るくなったとき、ひらりと大きな蝶が舞った。毎年、名を知らないおおきな花に遊びに来るカラスアゲハが挨拶に来たらしい。今年最初の一頭である。


 すかさずカメラを取り出し、こっそり近づいて優美な姿を収めようと思ったが、「そうはいくか」とばかりに高く舞い上がってどこかへ消えていった。

 しかし一回だけシャッターを切った、その一枚に見事な姿が写っていた。さすがである。
 マイコンが調子悪く、ようやく更新できた。いかったぁ。

2010年7月15日木曜日

雨ばかり、映画でも見るか

 このところよく映画を観た。
「誰がため」「ミレニアム」「オーケストラ」「ユキと二ナ」「息もできない」「ラストコーション」「私の頭の中の消しゴム」などなど。
 一押しは、「息もできない」である。
 韓国の若い監督の、初監督・脚本・主演映画だ。
 「母なる証明」という韓国映画が大きな評価を得たが、この映画はそれ以上だとわたしは思う。
借金の取立て屋をしているチンピラと複雑な家庭環境を切り盛りする女子高校生との、「生き方を探しあう」物語である。リアルに切なく、ぎこちなく不器用に、でも一生懸命なのである。
 「生意気なお店」でも、この監督のつぎの映画が楽しみということでは一致した。
「ミレニアム」も面白い映画だった。著者が亡くなってから原作が大売れし、映画化したものだそうだが、なかなかのサスペンス。早速ハリウッドがリメイクするとか。
 続編もまもなくできるそうだからこれも楽しみである。ただしこの件については「生意気なお店」とは一致していない。 
 雨ばかりである。山小屋に行くタイミングを見つけられないでいる。

2010年7月13日火曜日

政治・政局が面白い

 参議院選挙が終わりました。121人の新しい議員が決まり、私が投票した候補は121番目に議席を得ることが出来ました。
 そうです午前3時にやっとのこと決まった社民党の二人目の候補です。
 社民党なんかそのうちなくなる、という人も居ますが、私はそうは思いません。むしろ、連合をはじめ多くの労働組合が民主党支持に大きく舵を切り替えたとき、「ようやく社民党の時代が来るぞ」と思ったほどです。
 立派な大きな圧力団体にもなってしまった労働組合の、物心両面からの援助なしには選挙も出来ない政党では余り期待できない。大きなスポンサーから見放されたときにようやく自立した政党として苦しみと成長があると、人事ながら思うのです。
 さあこれからの政局は楽しみですね。小沢党がどう出るのか、再編劇があるのか、小政党が動くのか、こんな楽しみはなかなかあるものではありません。
 残り少ない人生、楽しく過ごしたいものです。

2010年7月11日日曜日

ヒグラシにこころ乱されて

 今年初めてヒグラシの声を聞きました。
たそがれ時にカナカナと大きな声で鳴くのです。なんとなくもの悲しくなるのです。
 でもでも、もう少し夏が本格的になると、夜明け前に、ほとんど5時きっかりに突然耳元でカンナカンナと騒ぐのです。これにはびっくりするのです。子供の頃、なかなか起きてこない私に雷のような大声で「起きんか!」と耳元で叫ぶあのオフクロのように、容赦のない大声です。
 「何かこの世に不満でもあるのか!」と反論したくなるような騒動です。
 でもでも、5時半になると、ぴったりやめてくれます。ようやく安眠のときです。
 高千穂から来た、あのむっつりヒグラシ君を思い出します。あのヒグラシも強烈だった。
しばらくはいろんな虫たちと、時をすごします。

2010年7月8日木曜日

生意気なお店にいく

 大分の城跡の近くに生意気なレストラン喫茶がある。
 昨日久しぶりに生意気なブス、もといボスに会いに寄って見た。ここのランチは絶品であるが、お昼を随分下がっていたのでコーヒーだけ。
 スタッフはボスと呼ばれる可愛い年増女とそのどら息子、それにちょっと可愛いちょっと若い女の子。
お客は若い女性がふたりと小生。みんな映画好きでしばらくは映画の話で時が過ぎる。コーヒーを注文すると、自家製のプリンやお菓子がついて来る。時には作成中のあすのランチの惣菜が「食べてみて」とぶっきらぼうに出される。「これはうまい」と叫ばなければならない。実際にうまいから、これはさほど演技を必要としない。
 こう書くと、場末の傾きかけたメシ屋という感じに聞こえるが、実はとってもおしゃれな内装。ボスが凝りに凝ってお金もそこそこかけて作ったそうだ。
 もう付き合いは結構長い。最近由布院にもお店を出したというので、友人を訪ねたときに探してよってみた。これがまた超生意気なお店。それがまたなんとおにぎりの店。こんなもので商売になるのか、と思うがバカあたりというから世の中わからん。
 ためしに友人と一つずつ買って食べてみた。美味い。

2010年7月6日火曜日

消費者が馬鹿なのか?

 佐高信という辛口の評論家がいる。
 珍しく社民党支持者だが、先日NHKの「週間ブックレビユー」という番組で、自分が評論家になるきっかけになった本として「消費者の権利」(岩波新書)を紹介していた。
 早速買ってパラパラと読んでみたが、くそ難しくて少し面白い。
要するに「消費者は事業者が提供するサービスや商品に対して、その商品が安全なもので価格も適正なものかどうか知る術を持たないが、そのような取引が対等な取引と呼べるのか」ということのようである。
 なるほど思い当たることがある。
 選挙の候補者もまったく同じことが言える。
 その候補がどんな能力や可能性を持ち、消費者(有権者)に対してどんな利益があるのかはほとんど解らない。特に初めて立候補するときは顕著である。政策や演説内容は周りがよってたかって作ってくれる。いわば偽装である。
 消費者が知るのは、ポスターや選挙公報・はがき・選挙車・演説会などだが、多くの消費者はポスターを見るくらいのものである。その商品価値をまったく知らされていない、のと同じである。 
 結局は自民印とか民主印とか社民印というメーカーで選ぶか、「かっこいい・きれい・見たことがある」
というミテクレでえらぶことになる。
 昔ウインドウズが売り出されたとき、長蛇の列に並んでようやくソフトを買った男性に「どうされますか?」とインタビューした時、「いやー、パソコンは出来ないんですけど、みんな買っているのでつい買ってしまいました。」という映像を思い出してしまった。

2010年7月3日土曜日

モンシロチョウと遊ぶ

 ジャガイモが大漁。いままでで一番の出来、かたちも量もなかなかだった。
 春大根に モンシロチョウが4・5頭遊んでいた。なんとなく懐かしい風景だが、いまは珍しくなっている。折れたミニトマトから新しい芽が出て、元気を回復しつつある。キュウリとゴーヤは心なしか元気がない。日当たりが悪いのだろうか。 
 畑の周りを刈り払い機で少しきれいにしてやった。
 戸無が原は誰も居ない。とても静かである。手を休め、木陰にイスを出して一服、何とも至福のとき。
 あと何年生きるのだろう、などと哲学者になる。

2010年6月29日火曜日

コーヒーミルをようやくゲット

 小雨の中、2時間コースの散歩。

 別府唯一のデパートまで30分、かねて買おうと思っていたコーヒーミルをさがす。電動のものもあるが、ここはやはり手でカリカリ回す道具がいい。

 コーヒーはめちゃくちゃ飲む。一日に10杯くらい飲むこともある。寝る前にちょいとコーヒーなんてありである。最近は一杯立てのパックがあって便利をしているが、ほとんどは粉を使ってドリップで淹れる。

 一回ごとに豆をひいて淹れるコーヒーがやはりうまい。お気に入りの喫茶店の焙煎豆を買ってきて自分で淹れるコーヒーは最高である。だが、我が家にあったミルを山にもって行ったままだった。そこで昨日ヤマダ電機に行き、電動の見るをあれこれ物色したが、これという納得できるものはなかったのだ。

 今日ようやく手ごろなコーヒーミルを手に入れた。

 すっかり満足して、たぶん大分で一番古い喫茶店にいって随分歳をとったマスターの濃い目のコーヒーを飲んだ。このマスターは映画館も経営していて、昔はナレーションや朗読もする多芸の人である。

 一度だれかかの政治集会のスライド構成の原稿を読んでもらったことがあるが、マスターは知らない。

 私もマスターも十分に歳をとったようだが、

「もうこんな喫茶店は成立しづらくなってきましたね」と自嘲的にも、自慢げにも聞こえる声はまだまだ張りがあって、魅力的なひびきがあった。

2010年6月27日日曜日

政治家を尊敬できる国に

 市町村合併をする前、大分県でも地方議員が1,000人くらい居た。歳費が平均600万円として、調査費やその他の費用を加えると1,000万円くらいになるのだろうか? 
 実を言うと、私は数字にとても弱い。ほんとのことを知っている人には教えてほしいのだが、日本でいったいどれくらいの地方議員経費が支払われているのか。私の粗末な頭で試算すると、1兆円くらいにはなるのではないか?
 これらのお金は節約しようと思えば、出来るお金である。
 地方議員はすべてボランティアにすればいい。そして会議は夕方から行うようにする。交通費と若干の日当を支給する。今の状態で傍聴しようと思っても、ご隠居しか出来ないが、夕食後にすれば誰でも出来る。議員の皆さんもきちんと仕事をしながら議会活動が出来る。本当にみんなのために自分の能力を生かして活動したいという人しか議員になりたいなどとは思わなくなるに違いない。
 どこかの国ではじっさいにそのようなシステムをとっているらしい。
 政治家はみんなのことを第一に考えて法律や条令を作る仕事である。まず自分のことを考えるような人はいらない。政治家は実に崇高な仕事なのである。だから仕事に見合わない待遇でももんくをいってはならない。だから政治家は尊敬されるのである。
 あなたの周りにそんな政治はいますか?

2010年6月25日金曜日

「うそでもいいから夢を語れ」

 梅雨の晴れ間、産山に行く。
 一週間ほどの留守の間に、草たちは元気に活動していて、畑の周り果樹のしたあらゆるところに勢力を伸ばしていた。
 畑の中も大変、二十日大根は伸びすぎてトウがたっている。ミニトマトは自分の身体を支えきれず、一本途中で折れてしまった。キュウリと苦瓜を支柱にくくりつける。葉物は出来るだけ収穫して帰ることに。
 畑の周り、果樹の下を刈払い機で散髪していると、住人から集会の案内。今日はほとんど誰も来ていない。東京からの移住者S氏とわたしの二人だけ。ならば我が家でということになり、いつもは屋外集会であるが今日は屋内となる。
 
 参議院選挙の公示日。世の中少しは変わるのかな。政治家もサラリーマンみたいなのが多いし(けっしてサラリーマンを馬鹿にしているのではなく)、就職口ぐらいにしか考えていない。それでも、うそでもいいから夢くらい語ってほしい。などと、愚痴くらい語ってもいいだろうと二人で政治談議。

 明日は大雨らしいね、という言葉に腰を上げ山を降りてきた。
 

2010年6月22日火曜日

思い出を語るようになってしまった

 いよいよ参議院選挙が始まった。今回の選挙、私の周囲は比較的静かである。
 選挙という声を聞いただけで、血沸き肉躍り駆け回っていた頃が懐かしい。つい3年前まで、選挙に関する印刷物の製作を仕事にしていたので、いわば書き入れ時でもあった。交友関係上、それに私の主義からも社民党関係と一部の民主党関係の候補者の仕事を大半こなしていた。
 忙しい時には事務所に泊まり込みで仕事をした 。
 統一地方選挙の前には、私の事務所はあたかも選挙対策本部のような体をなしていた。たとえ同じ党の候補者でも敵同士になるが、鉢合わせになることもしばしばだった。

 私に仕事をさせてくれるには、それなりの理由があった。ほとんどが知人であることもそのひとつであるが、過去の資料をほぼ全部持っていることが大きい。特に写真は大切。ポスターに使う写真はプロに撮ってもらうが使用権を買い取るという条件で撮影してもらった。そして「たのむで」という一言でおおむね必要なものを揃えて提案できたから、候補者にも事務局にも便利だったのだと思う。

 社民党が消滅寸前になっているのは、候補者を労働組合出身からえらんできたこと、その労働組合が自分たちの要求をまず先行させてきたことにあると思う。さまざまな言い分はあるが、労働運動が社会運動でなくなったとき、国民はなれていったのではないか。

 などと、暇になった社民党支持者は思うのである。

 
 
 

2010年6月19日土曜日

夏だ、ひや汁を食おう!

 次男坊が孫を連れてひさしぶりに帰ってきた。5歳になる孫は幼児から少女になっていた。
 女房はいそいそと「ひや汁」を作る。オフクロ直伝の「ひや汁」である。長男も次男もこれに目がない。といっても宮崎の人ならほとんど誰でも「我が家のひや汁」をもっている。

 我が家の「ひや汁」は、少し変形であると思う。お袋はだしに丁寧に頭と内臓を取り除いたイリコをすり鉢で摩り下ろしたものを使っていたが、我が家では鯵を使う。生なら塩焼きして、ていねいに身をほぐして使うし、干物なら焼いて使う。この方が簡単で味もいいように思う。
 そのほかは、みそを焼いて使うか、豆腐を水切りしててでほぐしながら入れるか、はそのときの事情による。キュウリは軽く塩をして絞っていれるし、大場は千切りにして入れる。

 20年位前、宮崎の新聞から「何か宮崎の思い出を書け」といわれ、「ひや汁」がいかに優れた食文化であるかを書いたことがある。どうして他の地域に広がらないのか不思議である。
 今回も「やっぱりこれは、栄養は満点、夏でもさらさら食えるし、うまい。最高の食べ物だね」とみんなの意見は一致した。 

2010年6月18日金曜日

「活動」好きの自己主張

 昨日は「活動者会議」の例会。福祉施設に勤務するTさんの推薦する「フローズンタイム」という映画の上映会。参加者がまた増えている。映画そのものはよくわからない内容だったが(私にはそういう映画が多い)久しぶりに同好の皆さんに会えて、まあよかった。

 これまで、会員の映画に関する好みなどを勝手に書き綴ったものを持ち寄って、簡単な冊子にしてきたが、ここ半年ほどお休み状態になっている。中心になっている人が「その気にならない」のが一番の要因のようだが、思うように原稿が集まらないことと、費用の持ち方をどうするかに悩んでいるようだ。
 それに、この会に対する熱意の温度差もあって、この程度の同好会の運営でもなかなか難しいようだ。ただし、映画が好きということは紛れもないことで、一度も中断することなく続けられている。
 
 何かの集団を形成すると、目的のために一生懸命奉仕してまとめようとする人と、少し横道に外れて自己主張をする人が現れるようだ。必ずしも悪いことではないが、度が過ぎると困ったことになる。それでも、最初の時点に戻って運営するとなんとかなるものだ。

 いつの間にか、私は自己主張を余りしなくなった。よくないことだ。
 

2010年6月16日水曜日

私はどこから来たの?

 NHKの「日本人はどこから来たのか」という真面目な番組を見た。

 それによると、南のほうから来た石器人は沖縄で止まり、北から来た狩猟族は北海道・東北地方まで来て、朝鮮半島から来た民族は九州から関西に展開したらしい。
 とすると、昔「蝦夷と熊襲」という言い方をしていた「蝦夷」が北から来た人たちで、「熊襲」が南から来た人たちだろうか。なるほど、アイヌの人たちの顔かたちと沖縄の人たちの顔かたちは、標準的な日本人の顔かたちとは少し違う気がする。
 そういえば、少し前国会で「アイヌ族は先住民だということを認めた」ことがあったっけ。
 とすると、標準的な日本人は朝鮮半島から来た人たちということか。
 とすると、「古事記」や「日本書紀」で主張しているらしい天皇家の系譜の正当性は、どこから来た人たちのもので、なぜ必要だったのだろうか。
 
 私の家系は神道である。天皇家の神道があるように、私の(あるいは私たちの)神道があると思っている。田舎にはそれぞれの氏神様が祭ってあり、部落ごとに小さな祠があった。天皇家神道や国家神道とは峻別しなければならない、と思っている。

 敬愛する佐藤優氏は「天皇家神道の精神」が日本の国体である、という意味のことを(私の理解不足かも)書いているが、「そうなの?」と思ってしまう。
 もう少しお勉強しまーす。

2010年6月14日月曜日

ツバメのヘルパー


 ようやく梅雨入りした。今年は長引くらしい。
 
 毎年ツバメが巣作りをするが、今年も4匹の雛が黄色い口を大きく開けて騒いでいる。
「去年のツバメが今年もきたんじゃろかい?それとも子供たちかな?」と質問するが、誰も答えてくれない。
 「たいしたもんじゃね、5分間に4回もえさを運んできたど!親は大変じゃ」とひとり感心していると、「ちゃんとヘルパーさんがおっとよ!」と女房がむこうから叫ぶ。
 5分間観察したが、どれが親でどれがヘルパーか解るわけがない。

 暗くなって覗いてみると、子供たちだけだ。「よい、親がおらんど。どきいくんじゃろかい?」と質問するが、答えてくれない。かわりに「すぐに大きくなるからね」と返ってきた。どうもかみ合わんような気がする。
 誰かちゃんと教えてくれ。

2010年6月12日土曜日

本は、撫で回すに限る

 別府駅裏を少し上がったところに「青山」という喫茶店がある。私流に言えば、いまどき珍しい純喫茶である。「純喫茶」という呼び方は古い。戦後コーヒー豆がなくて、大豆を混ぜたコーヒーばかりだった時期があった。そのうち「うちは純粋のコーヒー豆の喫茶店ですよ」というお店が出てきて、そういう店を「純喫茶」とよぶようになった。看板にもわざわざ「純」という文字を入れていたものだ。
 私がこの店を純喫茶というのは、一応コーヒーで勝負しているという意味でだ。

 その青山は一杯立てのドリップ式で淹れてくれる。やや深い焙煎で、見た目は濃いように見えるが、飲んでみると、以外にすっきりしている。80歳にはなろうかというハゲチャビンのおじさん(ごめんなさい)と、あまり若くはないお姉さん二人で経営している。客はいつも多い。

 本屋に行った後は、買った本を抱えて「青山」に行く。今日も久しぶりに行った。買ったばかりの本を撫で回しながらコーヒーを飲む時間をこよなく愛している。まあ、ナルシストである。こうして撫で回しただけの本が何冊あることか。

2010年6月11日金曜日

賭け事に狂った人生

 いつの頃からか、賭け事が大好きになりました。
 大学生のとき文芸部の先輩たちからマージャンを習い、以来マージャンは私の人生のかなりの部分を占めるようになりました。
 一番のめりこんで時期は30台から40台で、雀荘に寝泊りして半分プロのような人たちと打っていました。女房や子供たちには迷惑だったろうといまさらながら思います。

 次にはまったのは競輪です。別府には競輪場があって、そのこともきっかけのひとつですが、やはりマージャン打ちの面々が同時に多くが競輪狂いでもあったと言うことが大きいと思います。
 競輪の面白さは、なんといっても展開を読むということです。100メートルを走って一番早い選手がいつも勝つのであれば、競輪は成立しません。どの選手が恵まれた状況で走れるのか、直線を向いたときにどの選手が抜け出してくるのか、などを自分なりに読んで一着二着(三着)を予想するのです。
 この予想が的中して、買った車券があたればもう最高です。
 週末は、昼は競輪そのまま雀荘へ、という生活が結構続きました。
 よくそんなことで生活が破綻しなかったなと、人もいいますし、わたしも思います。

 でもその大好きな賭け事をすっぱりやめる時期があります。
それは選挙の時期です。仕事柄、選挙となると市議から国政まで何らかの形でかかわりを持っていましたし、自分でデザイン事務所を開いてからは文字通り仕事として携わっていました。
 ひとつの選挙に3~4ヶ月はマージャンも競輪も忘れて楽しんでいました。

 結局のところ、わたしにとって一番の賭け事は選挙なのだということでしょう。どうしてそんなに面白いのかって?
 そのうちゆっくりお話しましょう。

2010年6月10日木曜日

里山の日は暮れていく

 ごぶさたです。
 産山で遊んでいました。天気予報が少し外れて、好天に恵まれた日が少しでした。
「スズメバチホイホイ」には、まだスズメバチは入っていませんでした。でも、蛾や小さな虫たちが結構入っていて、「君たちには申し訳ないことをした」と謝っておきました。
 畑は天候不順にも負けず、とても元気でした。
 二十日大根は少し育ちすぎかな、もう全部収穫して。ジャガイモもえらく茎が立派で肝心の芋はそだっているのかな。春大根は順調、こいつの間引き菜の一夜漬けは最高。レタスや小松菜も立派。サツマイモは元気がない、2~3本枯れている。サトイモはようやく芽を出したところ。きゅうりとゴーヤが何とか育ちそう、竹でやぐらを組んでやった。
 というわけで、百姓のまね事は自己満足で進んでいくのでした。
 
 隣の住人が「腹が減った、何か食うものはないか?」と飛び込んできた。さっそく「親子丼」を作って二人で食べた。「うまいなあ、店に出してもいいな」とほめてくれる。こういう急ぎの場合は、出来合いのカツオだしをつかうと早い。10分くらいで出来るので重宝している。

 鳥の声が多い。私には判別不能が多いがホトトギスは解る。もう少しすると、虫たちがうるさくなる。

2010年6月5日土曜日

いつ追い出されてもOK

 産山に行くと2~3日は過ごすことになる。
 そこで一番に算段しなければならないのは、食事のことである。あまり時間も費用も、まして神経も使いたくない。

 まず主食のご飯を準備する。炊くときには4合炊くことにしている。私は陶器のナベで炊く。1時間前に研いでおき、ガスの強火で一気に炊く。15分もあればかぐわしいご飯が炊ける。
 おかずは大量に作る。3日居るとすれば、3日分を作る。カレーとかシチューとかうま煮のようなものを作っておけば、後は畑の物をつまんできてサラダにすれば十分である。インスタントの味噌汁があるとなおいい。
 隣の住人がいつ食べに来ても対応できる。

 朝は食パンを一切れ、フレンチトーストかピザトーストを作る。ホットミルクかカフェオーレ、目玉焼きを作って外の景色と鳥の声で朝食となる。
 これだけ準備しておけば、3日ぐらいは快適に過ごせる。だから山に行くときは。牛乳と食パンと卵は必ず買っていく。
 残ったものは一食分ずつ冷凍しておくと、次回来た時にとても役立つ。

 私は台所に立つことが少しも苦にならない。有り合わせで何とか食えるものを作ってしまう。
 これは亡くなったお袋と女房のおかげである。
 子供のころお袋は和裁をしながら子供3人を育てた。私が食事を作り、時にはミシンがけも手伝った。
女房は若いころ子供二人を抱えて病気がちだったので、子供の分と病人食を作っていた。自然に手早く臨機応変に食事が作れるようになってしまった。今でも「お父さん今日はよだきい」というと「まかせんか」と台所に立つ。
 「お前にいつ追い出されても、俺は生きていける」とちょっと威張っている。

2010年6月4日金曜日

「誰がため」に映画はあるの

 大分市にシネマ5という会員制の映画館があり、毎年1、000人くらいの会員が登録している。
 12月に11、000円を納めて10回分の鑑賞券のついた手帳を受け取る。すると、毎月上映予定表とそのチラシ、館主のお勧めポイントのついたレターが送られてくる。
 10回見終わったら、2冊目の手帳を作ってくれる。11回目から入場のとき1,100円支払う。そして20回目が招待となる。ちなみにまた更新すると、29回目が招待になる。次は38回目。
 この映画館が人気を集めているのは、ひとえに上映する映画の選択にあると思う。館主が世界の映画を見まくり(そういう場所がたぶん東京のどこかにあるのだと思う)、これはとおもう映画をシネマ5にかける。全国ネットの映画館にかかるような映画はここではかからない。たぶん費用の点や権利などでかけられないのだろう。だから、ふつうの映画館では見られないいわばマイナーな映画ということになる。
 だがシネマ5で上映した映画が、その年の話題作になることが多い。館主の面目躍如と言うところである。レターの隅にその気配が感じられることがある。
 今日見た「誰がため」という映画もそういう一本だと思う。ナチス占領下のデンマークで地下抵抗運動にいきる若者を描いたもので、何故か長い間封印されていた実話ということだ。
 アンジェ・ワイダの「カティンの森」とともに、今年の話題の一作になるかもしれない。
 

2010年6月3日木曜日

スズメバチをやっつけろ大作戦

 産山村ではほぼ毎日集会が開かれる。 
集会の場所は、東京からの移住者S氏の庭か、名古屋からの半移住者F氏のテラスか、熊本からの通い住人K氏のドラム缶の周りと言うことになっている。
 時間は、10時か午後3時がおおい。時には日に2回ということも珍しくない。コーヒーを飲みながら、季節のこと、野菜のこと、趣味のカメラのこと、それぞれの病気自慢、時には政治のことなど何でもありだ。
 私は週に2~3日の住人だから、なかなか参加できないが、先日の集会で「スズメバチ退治大作戦」を敢行しようということになった。とにかくスズメバチが多い。K氏などは大の怖がりで、撃退用のスプレーを3つも4つも用意している。研究を重ねて「スズメバチホイホイ」を開発した。本人が開発したのかどうか知らないが、グレープジュース・酒・酢・砂糖を混ぜて大きめのペットボトルにいれ、2センチ角の入り口を開けて木につるしておくと言うものだ。
 私も早速今週作成した。ただし間違えてオレンジジュース・焼酎・砂糖と言う配合にしてしまった。ま、いいか、と自分を納得させて木につるした。
 昨日の集会でそのことを報告すると、「それでいいんじゃない?」と皆寛容だ。もしかしたら決まったレシピはないのかもしれない。
 さて「ぼくのホイホイ」にスズメバチは入ってくれるかな。

2010年5月30日日曜日

アサギマダラに振り回されて

 女房が国東半島沖の姫島にアサギマダラを見にいくと、張り切っていた。
確か5時にはおきて、みんなと合流する伊美の漁港に行くといっていたのに、なかなか起きてこない。
 私はBSでPGAゴルフを見ていた。 
二階に寝ている女房を起こしに行くのは面倒なので、携帯電話を鳴らした。電話はすぐに切られ、二階からばたばたと転げ落ちてきた。「おかしいね、5時にアラームをかけといたのに、6時に鳴ったよ」と、私が携帯を鳴らしたのに気づいていない。
 あわてて準備をして、出かけていった。
午後3時すぎに帰ってきて、しばらくアサギマダラの講釈と食べ物の解説を聞かされた。いつもなら一万頭は立ち寄る時期なのだそうだが、今年は天候の影響かとても少なく、期間は長くなるかもとのこと。
 夕食は買ってきたタコの炊き込み飯で、これはとてもおいしかったのだが、「朝起こしたのはアラームじゃなくて、俺が電話したのだ」と主張しても、「ん?」でおしまいだった。
 ま、いいか!

2010年5月29日土曜日

木郷自然つりセンターを訪ねる

 三日ほど産山で遊んでいました。
天気はとてもよかったので、快適な三日間でした。サツマイモが枯れかかっている苗があったので、少し植え直しました。
 二日目に高森と高千穂の間くらいにある管理釣り場を訪ねてみました。行きは近道をしようと思って山道をナビをたよりにいこうとしたのですが、大変な誤算でした。途中に工事中の迂回道があったりして、まよってしまい、おまけにガス欠の心配まで出て、何とか高森の町まで出て給油したりと、二時間近くもかかってしまいました。
 「木郷滝自然つりセンター」、漁協が管理している釣り場です。自然の川を石で幾つかのプールを作り、えさ釣り場とルアー・フライ釣り場に分かれていて、10人くらいの人が楽しんでいました。
 対象魚は岩魚、山女、マスなどで、40センチ級のものもたくさんいます。
 これは近く挑戦しなくてはならないでしょう。川魚料理も食べられそうだし。
帰りは地理が頭に入ったので、50分で帰り着きました。ハア、ごくろうさん。

2010年5月24日月曜日

「シェルブールの雨傘」を観る

 月に一度「活動者会議」といういかめしい活動をしている。ただし、この「活動」は「活動写真」の「活動」で、何のことはない集まって会員の推薦する映画を観て、そのあとメシを食い酒を飲んで、勝手なことを言い合うというサークルである。
 先日の会合で、会員の一人から「シェルブールの雨傘」を借りてきた。かねてからお願いしていたものだ。この映画、私にとっては特別のものである。
 あれは忘れもしない高校3年生のとき、好きだった家庭科の女子を誘って、二人だけでは行けずに数人の助っ人を頼んで見に行った映画なのだ。だから、映画の中身はあまり覚えていない。何しろ隣に件の女子が座っていたのだから。手に怪しげな脂汗をじっとりとかいていたのは覚えている。
 で、その映画を昨夜見た。
 一人で見ていたつもりが、いつの間にか女房が後ろで見ていた。「どしたん?こげな映画」という。
「どげもこげも俺の青春のかたまりじゃ、後ろから現実に引き戻すな!」とはいえなかった。
 やはり映画はいいね。

2010年5月23日日曜日

草刈りおとこの時季


 3日ほど山小屋生活を楽しんでいた。猛烈な草の勢いと戦うためだ。だから正確に言うと楽しんでいたとはいえないが、そう思うことにしている。でないと、「俺はどうしてこんなことをしているのだろう」と言う疑問が頭を掠めるからだ。

 今回も草刈機を振り回して勇敢に戦った。そして半分くらいを制覇した。都合よく雨模様になったので、「今回はここまで」と早々に引き上げてきた。

 それにしても、畑だとそれなりに肥料を与えないと成長しないが、草は何にもなしに力強くぐんぐん成長する。すべてを刈り終えたころには、最初の部分がもう伸びてきている。戦いは永遠に続きそうに見える。

 畑も順調に育っていた。苦労して作った堆肥のおかげだと思っている。ラディッシュなど惚れ惚れする色合いと大きさになっていた。早速収穫してかえることにした。ミニトマトには昨年好結果を生んだ棚を作ってやった。これで今年もトマト長者は間違いない。

 ジャガイモは少し失敗したかもしれない。伸びすぎて、枝を整理するのが遅れたと思う。サツマイモは植えつけてから寒い日があって、げんなりしている。「また植えればいいのよ」と女房は簡単に言ってくれる。私はいとおしいのだ。女性はいつも現実的で、男はいつまでもイジイジしている。

 来週もまた、晴れ間を狙って戦いにいくのだ。

2010年5月19日水曜日

別府路地裏散策

 年金生活者の日常はさしたる変化はない。
今日やらなければならないことなど、ほとんどない。だから、外出しなければしなくてもすむ。
 まして雨など降っていれば、家にじっとしてテレビの番をするとか、よくて読みかけの本を手にすることになる。これでは心身によくない。
 産山村にいるときにはやることは山ほどある。わざわざ足腰を鍛えることなど考える必要はない。
 だが、別府に居るときは注意を要する。
 だから必ず一度は外出することを心がけている。
 一番近いのは港である。10分も歩けば海辺に出る。たいてい防波堤の上に釣り人が居て、覗き込み、話しかけてぶらりと帰ってくれば30分コースである。
 裏山コースは約1時間。「ぜんざい」を食べるコースである。200段の石段もある。
 最近は駅前コースが多い。歩く道の選び方で90分から2時間のコースになる。本屋によってもよし、喫茶店で油を売ってもよし、カメラを下げて路地裏散策もいい。
 今日は路地裏を縫って駅前に出たところで空模様が気になり、引き返したが少し降られてしまった。

2010年5月17日月曜日

人肌も土肌も、いいねえ!

 産山村の片隅で、百姓の真似事をしている。
今年はジャガイモ、サトイモ、サツマイモ、春大根、ラディッシュ、ミニトマト、きゅうり、なす、ゴーヤ、ピーマン、などを植えた。
 昨年までは、鍬で畑を起こして畝を作っていたが、どうにも作業がしんどくなった。そこで、あれこれ迷った挙句、小さな耕運機を買った。だが、実際に使ったのは2~3日で、後はやはり鍬に頼った作業になった。
 ほんとに小さな畑だが、作業をしてみると結構しんどい。先日遊びに来た「奥目のアニー」は、勤めの傍ら3・5反もの畑を作っていると言うから驚きである。しかも自然農法を志向しているらしいから、苦労はなおさらだろう。
 私も堆肥を自分で作っている。何とか使える(と自分で思う)堆肥になるのに3年はかかった。それでも昨年はあまりいい出来ではなかった。まだ堆肥のことがわかっていないのだと思う。
 土に触れる作業は心が休まる。まいた種が芽を出すだけで、喜びにあふれる。なんだかこれだけで、
「いいよ、すべてOK]と言う気分になる。
 人は死に近づくにつれ、大地が恋しくなるのだと思う。人肌と土肌が同じに思えてくる。

2010年5月16日日曜日

マディソン郡の橋?を行く


 波野から高森方面へ車を走らせる。

途中深い谷の下にいくつもの小さな川があるが、ほとんど枯れた状態か申し訳のように水が流れているだけだ。

 いちいち車を止めて、耳をそばだて目を凝らして川の様子をさぐる。

 突然どこかで見たような屋根つきの大きな橋が現れる。やり過ごして、車を止められるところから、ほとんど車の通りのない不釣合いな場所の立派な橋をしばし眺めた。

 まるで『マディソン郡の橋』だ。

 今NHKBSでクリント・イーストウッドの特集をしていて、この前映画を見たばかりだ。イーストウッドの映画はほとんど見ている。「ミリオンダラーベイビー」以外はとても面白く見た。 

 それはさておきどうしてこんなところに、このような立派な屋根橋を作ったのか解らない。

『阿蘇望橋』と書いてある。「あそぼうばし」と読むようだ。

 意外なところに、意外なものがあるのは楽しい面もある。「これはいらんじゃろう」とも思う。

 

2010年5月14日金曜日

建築屋のナベちゃんに会う


 ナベちゃんに会ったのは30年近く前。別府の自宅を建ててくれたのだった。

そのころから商売は下手だったが、家作りは上手だった。私の家も通し柱が気に入らないと棟梁に取替えを命じ、「そんなことはできない」『この段階で取替えは聞いたことがない」とつぶやいたのを聞きつけ、ハンマーを持って次々に傷つけ、「傷がついたから取り替えてくれ」といったものだ。

 それからじっくりと「俺が気に入らないものをお客さんに渡せるか?ここの施主に会うたびに俺は後悔することになる。時間も経費もかかるが、ぜひやってくれ」と言ったそうである。

 だから、いまだに一度だけ少し下がった梁を持ち上げてもらっただけで、何の故障もない。一度大型台風で近所のかわらがたくさん飛んだとき、保険金が出たと言う話を聞いて、「他所の瓦がほとんど飛ぶときはうちも飛ぶようにしとかな」と言って、ひんしゅくを買った。

 産山の山小屋もナベちゃんが建てた。来る人がみな褒めてくれるので、「自分で一生懸命考えた」と言う事にしている。「建てたのは建築屋のナベちゃんだけど」と。

 ひさしぶりのナベちゃん事務所の一階部分は、娘さんが始めたインテリア小物のおしゃれなお店になっていた。ここも面白くなりそうだ。

2010年5月13日木曜日

山ちゃんと本屋でデート

 久しぶりにやくざの山ちゃん(本職は知らない)とデート。
最近はほとんど喫茶店のある本屋さんだ。山ちゃんは読書家で、ここでデートするといつも数冊の本を買って帰る。この喫茶店はケーキが美味しいし、おひるのおにぎり定食は絶品だ。
 山ちゃんと今日の政治経済状況について論じていると、弁当屋がニコニコして現れた。
『昨日ゴルフに行って100も打っちゃった」「今日はどうするの、マージャンする?」とご機嫌。
 とにかく遊びの名人で、いつも山ちゃんを誘って遊んでいる。今日もマージャンに行くことが決まったようだ。数年前なら、わたしも参戦したところだが、今は「いってらっしゃい」となる。
 もう一生分、パイを握ってきたし、戦闘意欲を失っている。こんな気分のときは博打はしないほうがいい。またいずれ、戦いに出かけることもあろう、と刃を研いでいる。
 今日も山ちゃんは、本をさがして、戦いにでかけていった。
 

2010年5月12日水曜日

渓流釣りの記憶

 子供のころ、夏休みのほとんどを祖父の住む宮崎県田野町の山奥で過ごした。
村の子供たちについて回って川遊びを、時々祖父に連れられ渓流釣りを覚えた。
 60年近くもたった今でもあの頃の記憶は薄れることはない。山道を走っていて、小さな川を発見すると思わず車を止めて川の様子を探ってしまう。

 産山にも渓流はある。何度か出かけたが、釣果はいまいちであった。白ハエがいない。アブラメばかりである。エノハねらいの県外車も多く見かけるが、さしたる成果は挙げていないようである。

 隣町の荻町には大野川上流のいい川がある。30分ほどでいけるので何度か出かけたが、弁当がおいしかったという感想だけである。
 高森方面は五か瀬川上流のねらい目の川があるようだ。探索することにしようか。

2010年5月9日日曜日

山小屋で哲学者になる

 人間、死ななくていいとなったらどうするか?ということを女房と話し合ったことがある。
はて、それはそれで困ったことになるだろう、と思う。
 いずれ死ぬと判っているから、あれをやっておこう、これも今のうちにやろう、と考えるのだと思う。
それが死なないとなると、これからの計画や、いつまでにやっておこうなどという思う入れなどもなくなってしまうのではないか。生きる目的そのものを失ってしまうのではないか、と。
 年に3万人いじょうの自殺者がいるということが社会問題になって久しい。しかし、間違えてはならないのは、3万人の人が自殺に成功したということであって、その何倍かの人が自殺に失敗し、あるいは断念せざるを得なかったということではないか。
 死ななくてもいい、生きなくてもいい、なんだかよくわからん。

2010年5月8日土曜日

緒方拳さんのルーツ?


 大分県豊後大野市に緒方町がある。

 俳優の緒方拳さんは、自分の緒方姓のルーツをこの地に決めたそうだ。亡くなる前、この地に何度も訪れ、緒方神社を御自分の守り神のように思っていたらしい。NHKでそういう番組が放映されたことがある。癌に侵され、おそらく余命も長くはないと悟っていた時期のものだと思う。

 緒方神社の鳥居は川の中にある。そのすぐ下は、有名な「原尻の滝」である。

 この場に立つと、滝のスケールと流れる水が描くさまざまな線の美しさに、その背後に立つ鳥居も注意しなければ見つけられない緒方神社も、いかにもひっそりとしている。

 

2010年5月6日木曜日

友あり遠方より来る


 連休の間産山の山小屋にこもっていました。
宮崎から、40年前に一緒に悪さをした友人や大学の先輩が尋ねてくれました。
 近くの「参勤交代道路」や周辺を散策しながら、昔のあれこれ、今の暮らしぶりなど話題はつきません。夕方の早い時間から、早速酒盛りが始まります。私は下戸ですから、もっぱら料理番をしながら、話しに茶々を入れます。みんな今を精一杯楽しんで、これからの生活も貪欲に楽しむ工夫をしている姿を頼もしく思ったものです。
 消息の知れない友人たちのこともずいぶん話題になって、彼らの状況を思いやって、ゆっくりと寄り添っていくことも大切だろうという結論も気に入りました。
 「女性たちの話題が出てこんな?」と不思議がりましたが、それは次回ということになり、また楽しみをつなぎました。
 楽しい時間でした。

2010年4月30日金曜日

映画三昧の日々

 BSで一日に2~3本の映画がある。ツタヤの宅配レンタルで月に8本の契約をしている。
「活動者会議」という映画を見るサークルに入っていて、月に一本のメンバーが推薦する映画を見て、食事をしながらおしゃべりをする。「活動」は「活動写真」のことである。
 大分に、シネマ5という映画館がある。ここがまたいい映画を発掘してかけてくれる。月に10本くらいのペースで、会員には予定表を送ってくれるので計画が立つ。もちろんすべてを見るわけではないが、
映画仲間の情報も参考にしつつ、選んでみている。
 というわけで、今年に入って60本くらいの映画を見た。頭の回路がかなりお粗末になってきているので、消化のほうが追いつかない状態だ。
 仲間から、所有のDVDリストが送られてきた。よーし、回路がぐちゃぐちゃになるまでみるど!

2010年4月28日水曜日

戸無が原の春


 私の山小屋は、「戸無が原」という場所にある。

文字通り、その昔は一戸の家もなかったのであろう。今は近くに農家が一軒あるし、少しいけば町営の住宅もある。

 ようやく私の山小屋にも春が来たのであろうか。昨年果樹を植えるために雑草を切り払った場所に、スミレが一面に咲いていた。

 小屋の周りには、二株ほど福寿草も咲いている。「これは貴重な花だから、大切にして」とは理科教師を退職した隣の住人の忠告。よからぬ花好きが、見物に訪れるだけならまだしも、ちゃっかり掘って帰る御仁もいるとか。

 私は草花にはとんと疎い。まだまだ貴重な野草が回りにあるのだろうが、少しづつ探索するとしよう。

2010年4月27日火曜日

裏山を散策、茶店でぜんざい

 午後になり、思い立って裏山を散歩した。
高台から見る別府の町は黄砂のせいか、かすんでいて見通しが悪い。それでも、新緑は目にまぶしい。名前も知らない草花がたくさん競っている。
 石段を登ったところの神社まで上るつもりでいたが、途中の茶店まで来たとたん、迷わず引き戸を開けていた。いつもならコーヒーを注文するところだが、今日はぜんざいがふさわしいと思った。
 少し疲れた身体に、ぜんざいはとてもうまかった。
「天気がいいから遠回りして帰るといいですよ」という声に、「そうですね」と返事しながら、足は我が家をまっすぐ目指していた。
 帰り道は、初めての道を選んで、最短の経路を選んだようだ。
 約2時間の散策、初めて入った茶店、近いうちにもう一度。

2010年4月25日日曜日

久々の晴れ、山だ

 久しぶりに晴れた。1週間ほど行ってない産山に昨日から出かけた。
あらゆるものが芽吹いている。歩き回るだけで気持ちがいい。
 昨年、サクランボの実がすべて鳥に食べられてしまったので、、対策を立てねばならない。
木全体にやぐらを組んで、網をかけようとしたが、うまくいかない。結局、竹を組み合わせて、網をかけられようにして良しとした。
 タラの芽がいっぱい出ている。我が家のものだけでは少し少ない気がしたので、となりの兄の土地からも、失敬した。別府に帰り、てんぷらにしてムシャムシャ食った。実にうまい。最初に食った人は勇気が要ったろうが、よくもあんなとげだらけのものを食べようと思ったものだ。
 自然のものを、季節の恵みの時期に、食べるのが本当の贅沢だろう。、

2010年4月23日金曜日

えりちゃんを激写


 大分県臼杵市議会議員をしている友人から、「福田えりこさんが来るよ、写真を撮って!」という知らせ。「いくぞ!」とおっとり刀ならぬ、愛機を引っさげて出陣。
 辻の交差点でマイクを持って絶叫する可愛い衆議院議員を発見、シャッターを切りまくった。
そして気づいたこと。
 普通に話すときには落ち着いたやや低めの声で話すのに、マイクを通した声はかんだかく、少し聞きづらい。表情も、目配りもとてもいいのに、ただ言いたいことを叫んでいるという感じなのだ。
 聴衆にじっくり聞かせるには、もう少しゆっくり物語を話して聞かせるようにしゃべったほうがいい、と思った。
 肝炎の闘いを記録した著書は読んだが、議員になってからのアイドル本のようなものは読んでいない。じっくりお勉強して、いい議員になるのだぞ。
がんばれえりこちゃん!

2010年4月22日木曜日

何もしない日

 なあ~んにもしない日があってもいい。
今日は雨。空は一面雲。絶対に日の光なんか漏らさないぞ、といわんばかりの空模様。
仕方がない。今日は外出をあきらめる。とりあえず読書。だが、最近読書も長続きしない。そればかりか、一冊の本に集中できない。だから3~4冊の本を併走の形で読むことになる。途中で面白い本に出会うと、その本が先に読了となる。したがって、ややこしい本はいつまでも持って歩かねばならない。
 幸い、いつまでに読まなければ、という義務はない。だからいやになったらすぐやめる。
今日は1時間程度の読書で、後はテレビを見るともなく見、時々空を見上げ、ため息をつき、いつの間にか転寝という具合だった。
 こんな日があってもいい。

2010年4月21日水曜日

井上ひさしさんに「ありあとさん」

 井上ひさしさんには大いにお世話になった。
映画「父と暮らせば」は本当によかった。原田よしおもものすごくいい。分けても、宮沢りえがめちゃくちゃいい。何より台本がいい。こんないい映画はなかなかあるものではない。
 ある日、尋ねてきた県議会議員に、井上さんの{△△の作文教室}という文庫本をプレゼントした。
数日して、{お願いだからこの本を他の人に教えないで}と真顔で言うではないか。{どぎゃんしたと?}と聞くと、{こんな役立つ本は私だけのものにしたい}という。
文章を書く人にとって、それくらいやくだつ。
 それにもうひとつ。氏の推薦する{角川必携国語辞典}。もっぱらこれを使っている。補助として、{広辞苑}もおいてはいるが。
井上さんは亡くなっても、私の周りは井上的なものがいっぱいある。

2010年4月20日火曜日

「佐藤優」にはまる

佐藤優といえば、わかる人はわかるあの人だ。
鈴木宗男という北海道の政治家が、政治資金規正法かなんかで特捜につかまったとき、その前座のように逮捕された外務省の職員である。当時外務大臣の田中真紀子さんが「あの人がラスプーチンよ」と叫んだあの人だ。
その佐藤優が、長い裁判を経てようやく有罪になり、めでたく元外務省職員になり、作家という肩書きで縦横無尽の発言をしている。逮捕後すでに10数冊の読み応えのある著作を物している。
とにかくびっくりするのは、彼の知識の広さと深さである。もともと神学者で、クリスチャンでもある彼は哲学、宗教論は言うに及ばず、経済学から情報学まで実に幅広い勉強をしている。
今のところ、佐藤優に論争を仕掛ける論客はいそうになく、こぞって対談をしているように見える。彼との対談本はいっぱい出ている。
だがだが、感心ばかりはしていられない。少しは眉につばつけて「佐藤優に学んだ方がいい」と思っている。それでもなお、佐藤優は面白い。

2010年4月19日月曜日

山ちゃんとデート

久しぶりに山ちゃんとデート。いつものように、大きな本屋の喫茶店。
山ちゃんは読書家。特に「マゲモノ」をよく読む。中でも「居眠り磐音」シリーズはぜんぶもっている。
いつか磐音のふるさとはどこかという話になったとき、佐伯市だろうとか、杵築市だとかの話になった。
ネットで調べてみると、想像上の町だということが判って、一件落着したことがあった、
この前日まで山ちゃんは、鹿児島の鹿屋に行っていた。
「知覧に行ったけど、特攻隊の遺書を読んだが、とても最後までは読めない。つらすぎるよ」と話してくれた。
今日は本を買わずに、帰ってきた。

2010年4月18日日曜日

ミニトマト、ダウン

昨年、ミニトマトがとてもよくできたので、今年は3種類の苗を植えたのでした。
ところが例の異常気象で、すべて枯れてしまいました。
少しはそうなるのではという不安もあったのですが、それに産山は標高600メートルの高知なのでまだ霜が降りるよという女房や友人の警告も無視しての行動でしたので、それらの予想が的中して「自分で憮然と言う感じです」。
でもでも心配要りません。
自然の摂理に従って、ご機嫌がいいときにまた前回の倍の苗を植えたいと思います。

2010年4月17日土曜日

久々の好天、ゴルフだ

冬がぶり返したのかと思うようなお天気でしたが、今日は初夏のような好天日。
思うに、やはり地球がおかしくなっているのだと思います。
それはさておき、今日はゴルフ。こんないいお天気の元でゴルフができるのは、おひさしぶり。
スコアが少々悪くても、いいんです。気持ちよくて、たくさん歩いて、賞品ももらったし。
意外だったのは、一緒にプレイした若い人が、「最近、<りんごが教えてくれたこと>という本を読んで感動しました」という話を昼食時に聞いたこと。
やるじゃん、若者!
へーっ、といたく感激してしまいました。かくいうわたくしめも、ひそかに自然農業の真似事をしているのですよ。
ゴルフとのツジツマをどうするんだって?
人間はそういつもつじつまが合っているわけではないんです。何事もボチボチですよ。

2010年4月16日金曜日

ブログ始めました

熊本の産山村に小さな小屋を作って、土に触れ合う生活を始めました。
これがまあ何とも楽しいのですよ。 
鳥や虫がいっぱいいるし、雑草やわけのわからない花もいっぱい。
どんな展開になっていくのか、自分でも楽しみですよ,ハイ。