ナベちゃんに会ったのは30年近く前。別府の自宅を建ててくれたのだった。
そのころから商売は下手だったが、家作りは上手だった。私の家も通し柱が気に入らないと棟梁に取替えを命じ、「そんなことはできない」『この段階で取替えは聞いたことがない」とつぶやいたのを聞きつけ、ハンマーを持って次々に傷つけ、「傷がついたから取り替えてくれ」といったものだ。
それからじっくりと「俺が気に入らないものをお客さんに渡せるか?ここの施主に会うたびに俺は後悔することになる。時間も経費もかかるが、ぜひやってくれ」と言ったそうである。
だから、いまだに一度だけ少し下がった梁を持ち上げてもらっただけで、何の故障もない。一度大型台風で近所のかわらがたくさん飛んだとき、保険金が出たと言う話を聞いて、「他所の瓦がほとんど飛ぶときはうちも飛ぶようにしとかな」と言って、ひんしゅくを買った。
産山の山小屋もナベちゃんが建てた。来る人がみな褒めてくれるので、「自分で一生懸命考えた」と言う事にしている。「建てたのは建築屋のナベちゃんだけど」と。
ひさしぶりのナベちゃん事務所の一階部分は、娘さんが始めたインテリア小物のおしゃれなお店になっていた。ここも面白くなりそうだ。
一徹で魅力的なナベちゃんと娘さんの
返信削除インテリアショップ。雑貨好きのぼくに
とっては覗いてみたくなるお店です。
ホームページはないのでしょうか。
早速ありがとうございます。
返信削除damo.chu.jpでいいようです。
佐藤優の『日本国家の神髄」と言う本を読んでいますが、頭がくらくらしています。僕の家も神道の家系ですが、佐藤氏の神道理解は「ちょっと違う」と思うのです。
そのうち少し書きます。
ホームページよくできてる!すごい!今度帰ったら行こう♪佐藤優の「国家論」を図書館で借りてきました。月曜日に京都出張なので新幹線の中で読みます。
返信削除ホームページを見せていただきました。
返信削除寄ってみたくなるお店ですね。
南風に吹かれて麦藁帽子の山荘に舞い降りました。
返信削除先日のこと、男達四人を目撃。
最初に盃を満たした。邂逅を寿ぐために。
長い時を経て、四人の男達が辿り着いた風景は。実に安らいでいて充足の極みであった。その形見に盃を高く掲げた。ふりさけ見れば、遠くに悲しみの形をなした山並みがあり、悔恨にも似た雲さえ浮かんでいた。男達はそれぞれの来し方に乾杯をして幾度も盃を酌み交わした。
穏やかに時は流れていた。
更に盃を重ねた。残りの命を華やぐものにするための静かな決意を浮かべて。時をり子供のような歓声があがった。
最後に盃を干した。再び見えるための別れの儀式として。
賢兄たち250年の銀齢に祝福を
緑雨も又、立ち直れないと思えた日々と苦い悔恨を抱えたまま、いつかあなたたちと同じ風景に出会えますように。
緑雨さんへ
返信削除どなたか、にわかには判じかねますが、素敵なコメントを有難うございます。
誰でも(もちろん私も)苦い思い出をたくさん引きずっているのです。と、解ったようなことをごめんなさい。
産山生活楽しく読んでいます。
返信削除