2010年6月29日火曜日

コーヒーミルをようやくゲット

 小雨の中、2時間コースの散歩。

 別府唯一のデパートまで30分、かねて買おうと思っていたコーヒーミルをさがす。電動のものもあるが、ここはやはり手でカリカリ回す道具がいい。

 コーヒーはめちゃくちゃ飲む。一日に10杯くらい飲むこともある。寝る前にちょいとコーヒーなんてありである。最近は一杯立てのパックがあって便利をしているが、ほとんどは粉を使ってドリップで淹れる。

 一回ごとに豆をひいて淹れるコーヒーがやはりうまい。お気に入りの喫茶店の焙煎豆を買ってきて自分で淹れるコーヒーは最高である。だが、我が家にあったミルを山にもって行ったままだった。そこで昨日ヤマダ電機に行き、電動の見るをあれこれ物色したが、これという納得できるものはなかったのだ。

 今日ようやく手ごろなコーヒーミルを手に入れた。

 すっかり満足して、たぶん大分で一番古い喫茶店にいって随分歳をとったマスターの濃い目のコーヒーを飲んだ。このマスターは映画館も経営していて、昔はナレーションや朗読もする多芸の人である。

 一度だれかかの政治集会のスライド構成の原稿を読んでもらったことがあるが、マスターは知らない。

 私もマスターも十分に歳をとったようだが、

「もうこんな喫茶店は成立しづらくなってきましたね」と自嘲的にも、自慢げにも聞こえる声はまだまだ張りがあって、魅力的なひびきがあった。

2010年6月27日日曜日

政治家を尊敬できる国に

 市町村合併をする前、大分県でも地方議員が1,000人くらい居た。歳費が平均600万円として、調査費やその他の費用を加えると1,000万円くらいになるのだろうか? 
 実を言うと、私は数字にとても弱い。ほんとのことを知っている人には教えてほしいのだが、日本でいったいどれくらいの地方議員経費が支払われているのか。私の粗末な頭で試算すると、1兆円くらいにはなるのではないか?
 これらのお金は節約しようと思えば、出来るお金である。
 地方議員はすべてボランティアにすればいい。そして会議は夕方から行うようにする。交通費と若干の日当を支給する。今の状態で傍聴しようと思っても、ご隠居しか出来ないが、夕食後にすれば誰でも出来る。議員の皆さんもきちんと仕事をしながら議会活動が出来る。本当にみんなのために自分の能力を生かして活動したいという人しか議員になりたいなどとは思わなくなるに違いない。
 どこかの国ではじっさいにそのようなシステムをとっているらしい。
 政治家はみんなのことを第一に考えて法律や条令を作る仕事である。まず自分のことを考えるような人はいらない。政治家は実に崇高な仕事なのである。だから仕事に見合わない待遇でももんくをいってはならない。だから政治家は尊敬されるのである。
 あなたの周りにそんな政治はいますか?

2010年6月25日金曜日

「うそでもいいから夢を語れ」

 梅雨の晴れ間、産山に行く。
 一週間ほどの留守の間に、草たちは元気に活動していて、畑の周り果樹のしたあらゆるところに勢力を伸ばしていた。
 畑の中も大変、二十日大根は伸びすぎてトウがたっている。ミニトマトは自分の身体を支えきれず、一本途中で折れてしまった。キュウリと苦瓜を支柱にくくりつける。葉物は出来るだけ収穫して帰ることに。
 畑の周り、果樹の下を刈払い機で散髪していると、住人から集会の案内。今日はほとんど誰も来ていない。東京からの移住者S氏とわたしの二人だけ。ならば我が家でということになり、いつもは屋外集会であるが今日は屋内となる。
 
 参議院選挙の公示日。世の中少しは変わるのかな。政治家もサラリーマンみたいなのが多いし(けっしてサラリーマンを馬鹿にしているのではなく)、就職口ぐらいにしか考えていない。それでも、うそでもいいから夢くらい語ってほしい。などと、愚痴くらい語ってもいいだろうと二人で政治談議。

 明日は大雨らしいね、という言葉に腰を上げ山を降りてきた。
 

2010年6月22日火曜日

思い出を語るようになってしまった

 いよいよ参議院選挙が始まった。今回の選挙、私の周囲は比較的静かである。
 選挙という声を聞いただけで、血沸き肉躍り駆け回っていた頃が懐かしい。つい3年前まで、選挙に関する印刷物の製作を仕事にしていたので、いわば書き入れ時でもあった。交友関係上、それに私の主義からも社民党関係と一部の民主党関係の候補者の仕事を大半こなしていた。
 忙しい時には事務所に泊まり込みで仕事をした 。
 統一地方選挙の前には、私の事務所はあたかも選挙対策本部のような体をなしていた。たとえ同じ党の候補者でも敵同士になるが、鉢合わせになることもしばしばだった。

 私に仕事をさせてくれるには、それなりの理由があった。ほとんどが知人であることもそのひとつであるが、過去の資料をほぼ全部持っていることが大きい。特に写真は大切。ポスターに使う写真はプロに撮ってもらうが使用権を買い取るという条件で撮影してもらった。そして「たのむで」という一言でおおむね必要なものを揃えて提案できたから、候補者にも事務局にも便利だったのだと思う。

 社民党が消滅寸前になっているのは、候補者を労働組合出身からえらんできたこと、その労働組合が自分たちの要求をまず先行させてきたことにあると思う。さまざまな言い分はあるが、労働運動が社会運動でなくなったとき、国民はなれていったのではないか。

 などと、暇になった社民党支持者は思うのである。

 
 
 

2010年6月19日土曜日

夏だ、ひや汁を食おう!

 次男坊が孫を連れてひさしぶりに帰ってきた。5歳になる孫は幼児から少女になっていた。
 女房はいそいそと「ひや汁」を作る。オフクロ直伝の「ひや汁」である。長男も次男もこれに目がない。といっても宮崎の人ならほとんど誰でも「我が家のひや汁」をもっている。

 我が家の「ひや汁」は、少し変形であると思う。お袋はだしに丁寧に頭と内臓を取り除いたイリコをすり鉢で摩り下ろしたものを使っていたが、我が家では鯵を使う。生なら塩焼きして、ていねいに身をほぐして使うし、干物なら焼いて使う。この方が簡単で味もいいように思う。
 そのほかは、みそを焼いて使うか、豆腐を水切りしててでほぐしながら入れるか、はそのときの事情による。キュウリは軽く塩をして絞っていれるし、大場は千切りにして入れる。

 20年位前、宮崎の新聞から「何か宮崎の思い出を書け」といわれ、「ひや汁」がいかに優れた食文化であるかを書いたことがある。どうして他の地域に広がらないのか不思議である。
 今回も「やっぱりこれは、栄養は満点、夏でもさらさら食えるし、うまい。最高の食べ物だね」とみんなの意見は一致した。 

2010年6月18日金曜日

「活動」好きの自己主張

 昨日は「活動者会議」の例会。福祉施設に勤務するTさんの推薦する「フローズンタイム」という映画の上映会。参加者がまた増えている。映画そのものはよくわからない内容だったが(私にはそういう映画が多い)久しぶりに同好の皆さんに会えて、まあよかった。

 これまで、会員の映画に関する好みなどを勝手に書き綴ったものを持ち寄って、簡単な冊子にしてきたが、ここ半年ほどお休み状態になっている。中心になっている人が「その気にならない」のが一番の要因のようだが、思うように原稿が集まらないことと、費用の持ち方をどうするかに悩んでいるようだ。
 それに、この会に対する熱意の温度差もあって、この程度の同好会の運営でもなかなか難しいようだ。ただし、映画が好きということは紛れもないことで、一度も中断することなく続けられている。
 
 何かの集団を形成すると、目的のために一生懸命奉仕してまとめようとする人と、少し横道に外れて自己主張をする人が現れるようだ。必ずしも悪いことではないが、度が過ぎると困ったことになる。それでも、最初の時点に戻って運営するとなんとかなるものだ。

 いつの間にか、私は自己主張を余りしなくなった。よくないことだ。
 

2010年6月16日水曜日

私はどこから来たの?

 NHKの「日本人はどこから来たのか」という真面目な番組を見た。

 それによると、南のほうから来た石器人は沖縄で止まり、北から来た狩猟族は北海道・東北地方まで来て、朝鮮半島から来た民族は九州から関西に展開したらしい。
 とすると、昔「蝦夷と熊襲」という言い方をしていた「蝦夷」が北から来た人たちで、「熊襲」が南から来た人たちだろうか。なるほど、アイヌの人たちの顔かたちと沖縄の人たちの顔かたちは、標準的な日本人の顔かたちとは少し違う気がする。
 そういえば、少し前国会で「アイヌ族は先住民だということを認めた」ことがあったっけ。
 とすると、標準的な日本人は朝鮮半島から来た人たちということか。
 とすると、「古事記」や「日本書紀」で主張しているらしい天皇家の系譜の正当性は、どこから来た人たちのもので、なぜ必要だったのだろうか。
 
 私の家系は神道である。天皇家の神道があるように、私の(あるいは私たちの)神道があると思っている。田舎にはそれぞれの氏神様が祭ってあり、部落ごとに小さな祠があった。天皇家神道や国家神道とは峻別しなければならない、と思っている。

 敬愛する佐藤優氏は「天皇家神道の精神」が日本の国体である、という意味のことを(私の理解不足かも)書いているが、「そうなの?」と思ってしまう。
 もう少しお勉強しまーす。

2010年6月14日月曜日

ツバメのヘルパー


 ようやく梅雨入りした。今年は長引くらしい。
 
 毎年ツバメが巣作りをするが、今年も4匹の雛が黄色い口を大きく開けて騒いでいる。
「去年のツバメが今年もきたんじゃろかい?それとも子供たちかな?」と質問するが、誰も答えてくれない。
 「たいしたもんじゃね、5分間に4回もえさを運んできたど!親は大変じゃ」とひとり感心していると、「ちゃんとヘルパーさんがおっとよ!」と女房がむこうから叫ぶ。
 5分間観察したが、どれが親でどれがヘルパーか解るわけがない。

 暗くなって覗いてみると、子供たちだけだ。「よい、親がおらんど。どきいくんじゃろかい?」と質問するが、答えてくれない。かわりに「すぐに大きくなるからね」と返ってきた。どうもかみ合わんような気がする。
 誰かちゃんと教えてくれ。

2010年6月12日土曜日

本は、撫で回すに限る

 別府駅裏を少し上がったところに「青山」という喫茶店がある。私流に言えば、いまどき珍しい純喫茶である。「純喫茶」という呼び方は古い。戦後コーヒー豆がなくて、大豆を混ぜたコーヒーばかりだった時期があった。そのうち「うちは純粋のコーヒー豆の喫茶店ですよ」というお店が出てきて、そういう店を「純喫茶」とよぶようになった。看板にもわざわざ「純」という文字を入れていたものだ。
 私がこの店を純喫茶というのは、一応コーヒーで勝負しているという意味でだ。

 その青山は一杯立てのドリップ式で淹れてくれる。やや深い焙煎で、見た目は濃いように見えるが、飲んでみると、以外にすっきりしている。80歳にはなろうかというハゲチャビンのおじさん(ごめんなさい)と、あまり若くはないお姉さん二人で経営している。客はいつも多い。

 本屋に行った後は、買った本を抱えて「青山」に行く。今日も久しぶりに行った。買ったばかりの本を撫で回しながらコーヒーを飲む時間をこよなく愛している。まあ、ナルシストである。こうして撫で回しただけの本が何冊あることか。

2010年6月11日金曜日

賭け事に狂った人生

 いつの頃からか、賭け事が大好きになりました。
 大学生のとき文芸部の先輩たちからマージャンを習い、以来マージャンは私の人生のかなりの部分を占めるようになりました。
 一番のめりこんで時期は30台から40台で、雀荘に寝泊りして半分プロのような人たちと打っていました。女房や子供たちには迷惑だったろうといまさらながら思います。

 次にはまったのは競輪です。別府には競輪場があって、そのこともきっかけのひとつですが、やはりマージャン打ちの面々が同時に多くが競輪狂いでもあったと言うことが大きいと思います。
 競輪の面白さは、なんといっても展開を読むということです。100メートルを走って一番早い選手がいつも勝つのであれば、競輪は成立しません。どの選手が恵まれた状況で走れるのか、直線を向いたときにどの選手が抜け出してくるのか、などを自分なりに読んで一着二着(三着)を予想するのです。
 この予想が的中して、買った車券があたればもう最高です。
 週末は、昼は競輪そのまま雀荘へ、という生活が結構続きました。
 よくそんなことで生活が破綻しなかったなと、人もいいますし、わたしも思います。

 でもその大好きな賭け事をすっぱりやめる時期があります。
それは選挙の時期です。仕事柄、選挙となると市議から国政まで何らかの形でかかわりを持っていましたし、自分でデザイン事務所を開いてからは文字通り仕事として携わっていました。
 ひとつの選挙に3~4ヶ月はマージャンも競輪も忘れて楽しんでいました。

 結局のところ、わたしにとって一番の賭け事は選挙なのだということでしょう。どうしてそんなに面白いのかって?
 そのうちゆっくりお話しましょう。

2010年6月10日木曜日

里山の日は暮れていく

 ごぶさたです。
 産山で遊んでいました。天気予報が少し外れて、好天に恵まれた日が少しでした。
「スズメバチホイホイ」には、まだスズメバチは入っていませんでした。でも、蛾や小さな虫たちが結構入っていて、「君たちには申し訳ないことをした」と謝っておきました。
 畑は天候不順にも負けず、とても元気でした。
 二十日大根は少し育ちすぎかな、もう全部収穫して。ジャガイモもえらく茎が立派で肝心の芋はそだっているのかな。春大根は順調、こいつの間引き菜の一夜漬けは最高。レタスや小松菜も立派。サツマイモは元気がない、2~3本枯れている。サトイモはようやく芽を出したところ。きゅうりとゴーヤが何とか育ちそう、竹でやぐらを組んでやった。
 というわけで、百姓のまね事は自己満足で進んでいくのでした。
 
 隣の住人が「腹が減った、何か食うものはないか?」と飛び込んできた。さっそく「親子丼」を作って二人で食べた。「うまいなあ、店に出してもいいな」とほめてくれる。こういう急ぎの場合は、出来合いのカツオだしをつかうと早い。10分くらいで出来るので重宝している。

 鳥の声が多い。私には判別不能が多いがホトトギスは解る。もう少しすると、虫たちがうるさくなる。

2010年6月5日土曜日

いつ追い出されてもOK

 産山に行くと2~3日は過ごすことになる。
 そこで一番に算段しなければならないのは、食事のことである。あまり時間も費用も、まして神経も使いたくない。

 まず主食のご飯を準備する。炊くときには4合炊くことにしている。私は陶器のナベで炊く。1時間前に研いでおき、ガスの強火で一気に炊く。15分もあればかぐわしいご飯が炊ける。
 おかずは大量に作る。3日居るとすれば、3日分を作る。カレーとかシチューとかうま煮のようなものを作っておけば、後は畑の物をつまんできてサラダにすれば十分である。インスタントの味噌汁があるとなおいい。
 隣の住人がいつ食べに来ても対応できる。

 朝は食パンを一切れ、フレンチトーストかピザトーストを作る。ホットミルクかカフェオーレ、目玉焼きを作って外の景色と鳥の声で朝食となる。
 これだけ準備しておけば、3日ぐらいは快適に過ごせる。だから山に行くときは。牛乳と食パンと卵は必ず買っていく。
 残ったものは一食分ずつ冷凍しておくと、次回来た時にとても役立つ。

 私は台所に立つことが少しも苦にならない。有り合わせで何とか食えるものを作ってしまう。
 これは亡くなったお袋と女房のおかげである。
 子供のころお袋は和裁をしながら子供3人を育てた。私が食事を作り、時にはミシンがけも手伝った。
女房は若いころ子供二人を抱えて病気がちだったので、子供の分と病人食を作っていた。自然に手早く臨機応変に食事が作れるようになってしまった。今でも「お父さん今日はよだきい」というと「まかせんか」と台所に立つ。
 「お前にいつ追い出されても、俺は生きていける」とちょっと威張っている。

2010年6月4日金曜日

「誰がため」に映画はあるの

 大分市にシネマ5という会員制の映画館があり、毎年1、000人くらいの会員が登録している。
 12月に11、000円を納めて10回分の鑑賞券のついた手帳を受け取る。すると、毎月上映予定表とそのチラシ、館主のお勧めポイントのついたレターが送られてくる。
 10回見終わったら、2冊目の手帳を作ってくれる。11回目から入場のとき1,100円支払う。そして20回目が招待となる。ちなみにまた更新すると、29回目が招待になる。次は38回目。
 この映画館が人気を集めているのは、ひとえに上映する映画の選択にあると思う。館主が世界の映画を見まくり(そういう場所がたぶん東京のどこかにあるのだと思う)、これはとおもう映画をシネマ5にかける。全国ネットの映画館にかかるような映画はここではかからない。たぶん費用の点や権利などでかけられないのだろう。だから、ふつうの映画館では見られないいわばマイナーな映画ということになる。
 だがシネマ5で上映した映画が、その年の話題作になることが多い。館主の面目躍如と言うところである。レターの隅にその気配が感じられることがある。
 今日見た「誰がため」という映画もそういう一本だと思う。ナチス占領下のデンマークで地下抵抗運動にいきる若者を描いたもので、何故か長い間封印されていた実話ということだ。
 アンジェ・ワイダの「カティンの森」とともに、今年の話題の一作になるかもしれない。
 

2010年6月3日木曜日

スズメバチをやっつけろ大作戦

 産山村ではほぼ毎日集会が開かれる。 
集会の場所は、東京からの移住者S氏の庭か、名古屋からの半移住者F氏のテラスか、熊本からの通い住人K氏のドラム缶の周りと言うことになっている。
 時間は、10時か午後3時がおおい。時には日に2回ということも珍しくない。コーヒーを飲みながら、季節のこと、野菜のこと、趣味のカメラのこと、それぞれの病気自慢、時には政治のことなど何でもありだ。
 私は週に2~3日の住人だから、なかなか参加できないが、先日の集会で「スズメバチ退治大作戦」を敢行しようということになった。とにかくスズメバチが多い。K氏などは大の怖がりで、撃退用のスプレーを3つも4つも用意している。研究を重ねて「スズメバチホイホイ」を開発した。本人が開発したのかどうか知らないが、グレープジュース・酒・酢・砂糖を混ぜて大きめのペットボトルにいれ、2センチ角の入り口を開けて木につるしておくと言うものだ。
 私も早速今週作成した。ただし間違えてオレンジジュース・焼酎・砂糖と言う配合にしてしまった。ま、いいか、と自分を納得させて木につるした。
 昨日の集会でそのことを報告すると、「それでいいんじゃない?」と皆寛容だ。もしかしたら決まったレシピはないのかもしれない。
 さて「ぼくのホイホイ」にスズメバチは入ってくれるかな。