2012年4月28日土曜日

タラの芽を今年も堪能

タラの時季になった。
季節のものを味わうのはいかにも元気をもらえそうな気がする。
そう思って山小屋に行ったが、なんとタラの芽がことごとく採られている。東京からの移住者Sさんに真相を聞くと、隣のふとどき者が村中のタラを採って帰ったとのこと。そういえば先週「先にとったものが勝ちじゃな!」などとほざいていた。
 まったく油断はできない。
 気を取り直して、ゆっくり見て回るとちらほら取れそうなものがあるにはある。ほほう、少しは気が引けて残しておいたのかなと思ったが、何のことは無いここ数日で新しく伸びたものである。
 何とか家族で食べるくらいは収穫できた。
 初めて花をつけたサクランボも小さな実をたくさんつけている。ネットをかけるかどうかはいまだ検討中である。
 ジャガイモもようやく芽を出したが、サトイモはいまだに音なしの構え。
 
 今年はついに土筆を食べずに過ぎてしまった。
 
 
 

2012年4月21日土曜日

山ちゃんとさくらを見て歩く

やくざの山ちゃんが「桜を見に行こう」という。
いつか見に行った枝垂桜のことを覚えていたらしい。「良いよ、あなたのかっこいい車で行こう」ということになって、某日建築家のナベちゃんの事務所で勝ち合わせて出発。
 久住の白丹の枝垂桜はすでに散り始めていた。ネットで調べていたすぐ近くの炭竈の枝垂桜を探していくとここは満開。見事な枝垂桜が三本咲き誇っている。10分くらいしか離れていないのにこんなに違うものなのか。白壁の土蔵も景色の効果を挙げている。おそらく昔は大きな庄屋さんでもあったのだろうか。
 「山菜料理の店でもないかな」山ちゃんが言うので、少しあたりをドライブしながら探したが、変なところに迷い込んだので引き返して、竹田の「山女料理」を楽しむことにした。ここは何年ぶりだろう。5年位前にも来たが30年前と少しも変わっていない。
 帰り道、「野津原の千本桜を見たことがあるか」というので「知らん」というと「連れて行っちゃる」といってくねくね道を上がったり下がったり車を走らせ連れて行ってくれた。
 始めてみる吉野桜のジャングル。壮観であった。

2012年4月13日金曜日

僕のりさが「大江健三郎賞」

いつもの本屋で三浦しおんの「船を編む」を4回の立ち読みならぬ「座り読み」で読んでしまった。
国語辞典を編纂する変り種の若者の物語で、辞書フェチの小生のしてはなかなか興味ある本だった。 
 何故か新しい辞書を買うとうれしくなってつい撫で回してしまう。しごとをしていた頃は10冊以上のさまざまな辞典をおいていたが、今は中型の国語辞典、漢和辞典、電子辞書、もっとも重宝しているのは朝日新聞社刊の「用字の手引き」だ。これはちょっとした送り仮名や、表現に適した用語を調べる時にとても役立つ。言葉が日に日に貧困になっていく身としてはありがたい。
 この「船を編む」が本屋大賞を受賞したらしい。また売れて行くことだろう。
 そして私の大好きな作家綿矢りさが「可愛そうだね」で大江健三郎賞を取った。「可愛そうだね」が出たときも、「座り読み」で読んだのだった。大江健三郎は(私に言わせれば)最高の悪文家だが、綿矢りさはそれほどでもない。第一めちゃくちゃ可愛いのだからいい。この人には、天は二物を与えてしまったらしい。
 生意気な言い方を許してもらえれば、三浦しおんの文章も一歩手前だと思う。実はそれがいいのだとも思っている。何か可能性を感じさせる余地があるということか。

2012年4月5日木曜日

サクランボが花をつけたぞ

季節はずれの超低気圧の中、クヌギ林は大荒れ。まるで海の海草のように大きく左右に揺れました。最後は雹までおまけについていました。
 どうやら地球はおかしくなっているようです。
 コーヒーを飲みに来た隣人は「南海トラフの変動で大きな地震と津波が来るそうですよ。別府も10メートル以上の津波だそうです。大丈夫ですか?」と脅す。
 「全然大丈夫ではないです。10メートルの津波なら一発で我が家は持っていかれます。」というと、「ここに越してきますか!」と真顔で心配してくれる。
 「65年生きてきましたから、自然の摂理に従いましょうかね」と本音とも冗談ともつかぬ答えをして、
国は責任逃れのために、大げさな予想値を発表したんじゃなかろうかと疑ってしまう。 
 今年初めてサクランボの花が咲いた。
 この前は、「網までかけるのはどうもね?」と表明し、隣人の同意を得たばかりだが、実は今「どうしようかな」と悩んでいる。せっかく花を咲かせ実をつけたなら鳥たちにすべて持っていかれるのは口惜しい。時間をおかず結論を出さなければならない。
 目下のところ、原発や南海トラフよりこの問題が重要だ。