2013年11月24日日曜日

クヌギも脳細胞も初冬の産山

高村薫は好きな作家の一人だった。
ほとんどの小説は読んでいると思うのだが、私の特異な性格のせいかほとんど覚えていない。
だった、と過去形になっているのは「新リア王」を読んでからかなりしんどくなったからだ。
こんなめんどくさい小説を良く書くものだと思ったが、郷土史の先生は「これはまったく新しい小説だ」と絶賛していた。
先生の頭も少しおかしいのではないかと疑い始めたのはこの頃からだ。
そのあと出た「太陽を曳く馬」も「冷血」も手を出さずにいた。
ところが、いつものようにふらふらと図書館に行って、ふらふらと徘徊しているとき運悪く「太陽を曳く馬」が目に入ってしまった。
魅入られたように手に取り、操られように借り出し手続きをしてしまった。
まあいいか、クヌギ林に行って何もすることもなければもしかしたら読んでしまうかもしれない、と思いつつ産山へ。
シイタケが顔を出している。買い物袋一杯も取れた。
大根も順調に育っているように見える。
懸案だったサクランボの苗も思いがけなく手に入って、植えることができた。
しかし寒い。もうストーブなしでは過ごせない。
こうなると読書しかない、と本を開くが、貧弱な脳細胞が言うことを聞いてくれない。
そうだこういう時は何か料理をするのがいい、と豚ブロックと大根の煮物を作ることにした。これは案外に美味くできたと思う。
かくして、高村薫は克服できそうになく、風に舞う木の葉をながめつつ投げ首の初冬の一日。

2013年11月15日金曜日

無理やり初釜のご相伴

クヌギ林は落ち葉のじゅうたん。
さらさらと落ちていく葉たちが示し合わせたように、きれいに地面を覆っていく。
隣人たちを呼んでコーヒーで首脳会談だ。今日はバナナジュースつきだ。
議題は誰から出たのか「菌」についての考察となった。私が作っている堆肥を眺めながらの会談だったからか。
人間世界は「菌」なしでは成り立たないと言う結論が出た頃、「そういえば、Fさんが作っていたピザ釜はなかなか焼くまでにはならないね?」と東京からの移住者Sさんの緊急動議。
名古屋からの移住者Fさんは「あとは温度計をつければ何とかなるんですけど」といかにも人のいい顔で答弁。
お昼近くになったのでひとまず今回はこれまでとなり解散。
さーて、今日の昼飯はどうしたものか、と思案投げ首。
ややあって、Fさんから「ピザを焼きましたのでどうぞ」とメール。なぬ!もうでけたのか。
行くと、奥様がお茶を入れて「さあ?どうでしょうか」とニコニコ。
「初釜ですから、ぜひご相伴を」とわけのわからない挨拶をして釜を覗き込む。Sさんもホントかいなという顔つきでふらふらと歩いてくる。
焼きあがったピザはそこそこのでき。うまいねえ、と社交辞令を忘れず3切れもいただいた。これで今日の昼飯はOKかな。
この時季は山の仕事はあまりない。
小屋に帰って、葉室麟の「冬姫」を読む。最新の小説を求めて図書館に行ったのだが貸し出し中でないので仕方なく古い奴を借りてきたのだった。

2013年11月7日木曜日

今はもう秋、誰かいないか?

クヌギ林はすっかり秋の気配。
落ち葉や枯れ枝を集めて焚き火。誰もいない、さらさらと葉が落ちる音だけの静寂の中。
サトイモを掘る。今年は葉が貧弱だったわりには実がついている。
シイタケも少しだが顔を出している。
質素な夕食をとって、さて何をするか。

このところ雨宮処凛にはまっている。図書館で佐高信との対談「貧困と愛国」を見つけ、一気に読んだことからだ。
いつもの本屋で「いきさせろ」(ちくま文庫)を見つけ読んだ。それで自伝のような「生き地獄天国」があることを知り、探すがないので、これも図書館で探す。
これもまたすごい。右翼団体一水会の代表が「これは現代の聖書だ」と騒ぐのもうなずけるような気がする。
昨年だったか、山の首脳会議で「いまの政治は期待できない。これから期待できそうな人物はいないのか」と言う議論になったとき、湯浅誠や世田谷区長とともに複数の住民から雨宮処凛の名が挙がったことがある。
「処凛チャンは確かに期待できるが、政治家になる気は無いじゃろう?」と言う意見だったが、この本を読む限りではそんなこともなさそうだ。

来年用の手帳も買ったことだし、もう少し生きて何かに期待してみようか。