2011年1月30日日曜日

万年筆を撫で回して楽しむ

 筆記用具には結構な愛着を持っている。
 日常は、三色ボールペンを使って、本の気に入って部分には赤線、書き込むときは青線、ノートに写すときは黒と使い分けて重宝している。
 撫で回して喜んでいるのは万年筆。
 初めて気に入った万年筆を手にしたのは、今から40年位前。当時付き合っていた今の女房からもらったペリカン。いつの間にかなくしてしまって、いまだに冷たい目で見られる。
 次は地区労の事務局長をしていた(今は県議会議員)友人が持っていたモンブランを「お前が持っておくより俺が持ったほうが似合う」といって取り上げたもの。これは大いに活躍した。癌になって余命いくばくも無い友人がインクの出が悪い万年筆を使って「闘病記」を書いているのを見て「これで書け」とあげてしまった。友人はまもなく先立ち、「闘病記」を出版した後、奥さんが「これはやはりお返しします」と帰ってきた。その後随分使ったが、次男坊に譲った。
 次はドイツに旅行した友人が最新のモンブランも買ってきてくれた。編集事務所をやっていた頃、主にこの万年筆が活躍したが、キャップが悪くなって机の奥にしまったままになっていた。
 編集事務所をやめた時、友人の奥さんが「長い間ミニ通信を送ってくれたお礼」といってセーラーをプレゼントしてくれた。今はこの万年筆を使っている。
 先日机の中のモンブランを引っ張り出して、文具店にもって行き「修理ができるか」を聞いた。可能かどうかメーカーに送って3週間くらいかかるというので、頼んでいたがようやく返事があり、1万3千円程かかるという。仕方が無い、せっかく出会った万年筆だ、もう一度日の目を見せることにしよう。
 それぞれの筆記具に思い出が一杯ある。

2011年1月23日日曜日

綿矢りさにめろめろ

 作家の綿矢りさが久しぶりに小説を書いたと言うので、NHKの「週間ブックレビュウ」に登場した。
記憶では、「けりたい背中」で芥川賞を受賞したのは19歳だった。あれから6~7年は経っていると思うが、この間ほとんど発表していないと思う。
 すっかり女ぶりをあげているのにびっくり。吉永小百合を知的にしたような別嬪である。とりこになってしまった。新作「勝手にふるえてろ」を読まねばなるまい。 
 西大分に大きな本屋さんがあって、喫茶室も有るし、広い店内のあちこちにイスやソファーがおいてある。立ち読みならぬすわり読みができるようにしてある粋な計らいである。
 小説の類は2度読むことはまず無いので余り買わない。りさちゃんの「勝手にふるえてろ」はここで2回に分けて座り読みで読ませてもらった。
 なかなかである。「けりたい背中」からすると確実にいい。これからも注目しておこう。
(しばらくパソコンの調子が悪かったので更新できませんでした)

2011年1月15日土曜日

初ゴルフは寒かった

 湯布院の兄貴から(といっても血はつながってはいない)「よーいゴルフにいくど」とでんわがあった。
「えー、雪がふっちょるが、でけやせんど」
「せわねえ、ちゃんと調べちょる」というので、「ほんならいこかい」となった。
前日、麻雀をしていたら、客の一人が「別府の北のほうは雪が降っていた」といって入ってきた。
言わんこっちゃねえ、と思って「別府の森ゴルフクラブ」に電話。「雪は大丈夫かえ」「全然大丈夫ですよ」という返事。良かったと残念の気持ちが半分。
 久しぶりに湯布院の兄貴に会った。腰は少し良くなったというが、足はまだ良くないようだ。歩き方がぎこちない。それでも週一のゴルフは欠かさないというから、元気の元かもしれない。
 それにしても寒い。手の先が感覚を失うほど。だから、スコアも良くない。何とか二桁に収まったのはよしとしよう。年々下手になる。

2011年1月10日月曜日

「ぼくのエリ~200歳の少女」を観た

 シネマ5で今年初めての映画「ぼくのエリ~200歳の少女」を観た。
 世の中の善意と悪意、そしてその中間の普通の人々。普通の人々は悪意に流され、社会は悪意に支配されていく。
 少年は予断を持たない無垢な存在。学校ではいじめられっこだが、ある日エリに会う。エリは人の血をすって生きているバンパイア。少年はエリに恋心を抱くようになる。
 残酷で人々を殺して生きているバンパイアのエリ、実は神のような存在。少年を勇気付け、不条理と戦うことを教え、窮地では助け舟を出す。
 かつて、イラン映画の「亀も空を飛ぶ」という映画を観たが、この映画も残酷で悲しいクルド族を描いたものだが救われたような気持ちになったことを思い出した、その気分を味わうことができた。
 いきなり今年一押しの映画に出会ったかもしれない。
 

2011年1月7日金曜日

文字の大きさに悩む

 「ようやく校正があがったぞ」という連絡を受けて、N先生のお宅に伺った。
 こういっては何だが、自分で書いた原稿なのにものすごい量の手直しである。付箋が一杯ついているし、新たに紙を貼り付けて挿入も一杯ある。
「先生大変でしたね。やはり読むたびに欲が出てくるのですね」というと、黙ってこくりとうなずくだけ。となりで奥様が「ほんとうにごめんなさいね。もうきりがないのよ」とおっしゃる。
 「ところで、文字の大きさだがね、これくらいの大きさにならないかね」と、ほかの歴史書を示して、かなり強い口調で言われる。「先生はまだ目がいいのですね。私なんかこの大きさでは読みづらいですね」というと、又奥様が「そうですよ、自分でも読むのに苦労してるんですよ」と暴露。
 「失礼ですが、文字を大きくすると安っぽくなると思っているのですか」というと、又奥様が「その通り。かっこつけているんです」とずばり。
「うーん、でも他のこの手の本は字が他の本より小さいんだよなあ」と悩ましげである。
 奥様がお茶を入れ替えにたって戻ってきた時に「お母さん勝ちましたよ、この大きさで行きます」と報告すると、「ああ良かった。」と喜んでくださった。
 30年位前、この奥様がサイホンで淹れてくださったコーヒーがとても美味しかったのを思い出した。

2011年1月1日土曜日

今年もまた「はんせい」 の日々かな

 新しい年になった。といっても何も変わったわけではない。
 「朝まで生テレビ」を朝まで見ていた。今日のは結構面白かったが、司会者を変えるか、佐藤優と佐高信をコメンテーターに入れるかしないとこれいじょうは深まらないと感じた。
 ブリはさしみ、しゃぶしゃぶ、照り焼き、昆布巻き、荒炊き、と食べたが、少々飽きての頃はづけにした。こうしておけば、お茶漬けにしても良いし、焼き物にしてもいい。食べつくしてしまいそうである。
 今年は統一地方選挙の年である。なにか起こりそうな気がする。いや起こってほしいと期待している。民主党は分裂するのかもしれない。それもいひとつのエネルギーである。かならずほかの政治勢力にも影響を及ぼし、何がしかの動きを促す。
 自分の政治信条を持っていない政治家が余りにも多い。「おれはこれをやりたい」というものを持って議員バッチうをつけている人が地方政治かも含めてどれくらい居るのか。
 仕事柄政治家や政治家を目指す人にたくさん会う。「何がしたいの?」と問うことにしている。ぼんやりとでも「こういうことをしたい」と目標をもっているひとは驚くほど少ない。頭にきたときには怒鳴りつける。相手は議員先生かその卵である。だがその時の私には関係ない。仕事を頂いているなどというかんけいも吹っ飛んでいる。「二度とこないで」といわれてもぜんぜん平気。「お前は有権者に何を語りかけるのか!」とやってしまう。
 又やってしまった、と反省する。でもまあ、いいっかと思ってしまう。ことしもまだ直っていないと思う。