2010年8月27日金曜日

りんごの木が蘇ったぞ!


 りんごの木が枯れかかって、果樹園は草たちが我が物顔でのさばっていた。余りにもかわいそうなので、少し周りをきれいにしてやろうと思い立ち刈り払い機を振り回して戦った。
 りんごの木にはつる草も巻きついていて、解くようにとっているとき驚いたことに新しい若葉を発見した。モンパ菌に負けずに生きていたのだった。丁寧に周りの雑草を取り、バケツで水をたっぷり与えた。これで来年も元気に枝を伸ばしてくれることだろう。
 ともかくも、良かった。
 気がつくと、あたりは狐のカミソリの群生である。今年は特に多い。
 コーヒーを淹れ、タバコをふかしながら、しばし眺めていた。

 春大根にモンシロチョウが乱舞した後、葉が見る影も無く幼虫たちにかじられ、これはだめかと思ったが見事に再生して、立派な大根になっている。彼らの生きる力はにんげんさまの予想をこえているのだ。

 「りんごの木が教えてくれること」の著者も「かれらの自然なちからを人間が邪魔しなければいいのだ」と言っていた。
 

2010年8月21日土曜日

「存在の耐えられない軽さ」にまた感動

 「存在の耐えられない軽さ」という映画をまた借りて観てしまった。  

 随分古い映画で、「マイレフトフット」や「父の祈りを」のダニエル・デイ・ルイスと、「ポンヌフの恋人」の(名前が出てこない、5分後には出てくると思う)が主演の映画。

 これまで3~4回は見ていると思うが、何度観てもいい映画だ。プラハの春を背景にしていて、若い医師と駆け出しの女性カメラマンの恋を中心に、物語は進んでいく。ある日突然ソ連軍の進駐により二人の生活は変わる。転向を拒否する医師は窓拭きや農作業で生活を支えるが、雨の日トラック事故で二人は死んでしまう。

 数少ないおすすめの映画である。観るたびにあたらしい感動がある。物語の中で、女性関係の絶えない男に対して「私はあなたにとってそんなに軽い存在なの。とても耐えられないわ」というせりふがあるが、映画の題名はそのことを表しているのではなく、国家や権力あるいは思想などというものが人々に対してとる態度のことを言っているのだと思う。
 
 老朽化した脳細胞をぐるぐるさせて、感動しているのである。

2010年8月20日金曜日

憲法九条は守られるか

 「憲法九条を断固守る」という立場はわかる。だが、はたしてそう叫ぶだけでいいのか、念仏のようにとなえるるだけでいいのか?という疑問がこのところふつふつと湧いてくる。

 先日郷土史家の大先生のところにお邪魔したとき、そのような疑問をぶつけてみた。先生は「そうですね、とりあえず叫び続けることは大事ですね」とおっしゃる。そうです、とりあえずそうですが、世論は改憲の論調が盛んで、それに対する護憲派の有効な反論なり世論を動かす運動はありません。
 もはや改憲の流れを止めることはできそうにない、という気にさえなるのです。 

 障がい者団体の事務局を長年勤めているO氏と、きょうそのことを話してみた。氏は根っからの社民党支持者で護憲派の塊のような人である。「そのことはわたしも同感です。障がい者の自立や地域で生きていくためのさまざまな運動も少しずつ変わってきています。お役人の認識も変わってきました。それぞれの生活の中で地域共同体という核を単位に変えていくとしかいえないのではないでしょうか。」

 しかし、世論は結構ミーハーで浮ついていて、なにかの拍子に一気に「改憲賛成!」となりかねません。塩野七生先生も「改憲の手続きをもっと簡単にすべきです」などとおっしゃっています。

 社民党をはじめ、護憲派の皆さんは本当はどうすれば平和な国を、世界を作れるのか解ってないのではないでしょうか。もしいま政権を任されたらなにをどうするのでしょう。

 そんな疑問を持ちつつ、きょうも静かにねむりにつくのです。

2010年8月18日水曜日

映画「キャタピラー」を観る

 ベルリン映画祭で寺島しのぶが賞を取った「キャタピラー」をようやく観た。
 
 予告編は観ていたので、興味はあったのだが、余りにもしんどそうな映画のようで二の足を踏んでいたのだった。
 生意気なお店のボスから「この軟弱者!」と罵声を浴びながらも、「はい私は軟弱です」と受け流していたのだが、昨日意を決して見に行ったのだ。
 結論を言えば、とてもいい映画だった。シネマ5の館主が4週間のロングランを決行するだけの事はある。監督の若松孝二といえば、エログロ映画の代表選手で反権力の旗手を自認していたが、そして今度の映画もその流れは変わってはいないと思うが、性と暴力と戦争を描いた傑作といえよう。
 寺島しのぶもなかなかいい演技だった。「四十八滝~」のときも良かったが、もしかしたら数えられる女優になるのかもしれない。
 
 異常な暑さなので、読書も進まず、山小屋にも行く気にならず、ボケーっとしている時間が長いのです。
 

2010年8月14日土曜日

塩野七生に学んだこと

 塩野七生の「日本人へ」という新書が売れている。「リーダー篇」と「国家篇」があって、その二冊を買ってやくざの山ちゃんと本屋の喫茶店でデートしたとき、「面白そうな本を持っておるな、どっちか貸しておくれ」というので、「リーダー篇」を貸した。
 二日後に、「読んだで!もう一冊の方を貸しておくれ」といってきた。
 「まだ読んでないよ、もうちょっと待って」といってから2週間近く経った。ようやく昨日「国家篇」を貸すことができた。
 それにしても山ちゃんは本を読むのが早い。比べて私はあまりにも遅い。
 塩野七生はイタリア在住の作家で、15年かけて「ローマ人の物語」を書き上げた。デビュー当時は「男か女か、日本人か?」などと話題を呼んだ記憶がある。
 今回の新書を読んで感じたこと、相手の立場で考えるとまったく違った見方になることがある、といううこと。子供たちには言ってきたではないか、「相手の立場で考えてごらん、理解できることもあるんじゃないの?」などと。麻雀もそう。相手が何をしようとしているかを考えるとそうそうは負けないのだけど。それが実際にはなかなかできないのです。
 

2010年8月8日日曜日

りんごの木が危ないのです

 りんごの木が危機的状況である。
 小さな果樹園を作るとき、「ここではりんごは育たない」と聞いていたのであるが、庭師に相談したところ、「そんなことは無いでしょう」というので、植えたのだった。
 隣人たちの話では、モンパ菌とかいうやつがクヌギ林には住んでいて、こいつが悪さをしてりんごが育たないのだ、ということだった。事実この集落でりんごを植えた人が居るが3年も持たない、というのだ。
 我が家のりんごの木も3年目になる。勢いが無く、葉っぱも落ちて息も絶え絶えという感じである。隣人たちの説は本当だったのだろうか。何とか生き延びる方策を考えねばならない。
 ベストセラーになっている「りんごの木が教えてくれること」という本によれば、本来の木が持っている生命力を邪魔しない育て方をすれば、力強く立派な木になり健康な実をつけてくれることになっている。だがどうにも私のりんごはそうはなっていない。
 この夏を生き延びさせる方法を誰か教えてくれないか?

2010年8月3日火曜日

暑い、暑い。どこかへ逃げようっと。

 暑い。この暑さ、尋常ではない。
 朝から蝉が鳴き始めると、いっそう暑さが増す。

 昨日は「生意気な喫茶店」に逃げ込んで、頼まれたパンフレットの編集のために原稿を読んで時をすごした。急ぎ、では無いので、なんとも気合が入らない。
 店のスタッフの会話に割り込むと、「ちゃんと仕事をしなさい」としかられる。

 山に行こうか。山も暑かろう。堆肥の切り替えしが中途になっている。先週思い立って始めたものの、余りの暑さに途中で放棄したままになっているのだ。
 
 読みかけの本も数冊、手をつけられることなく放置されている。一冊の本を一気に読んでしまうという根気がなくなっていて、あちこちと浮気をするために、読みかけの本がたまってしまう。
 やくざの山ちゃんが、「よくそんなことができるなぁ」と感心するが、べつに出来ているわけではなくて、やむなくそうなってしまうのである。
 
 やはりトマトやキュウリが気になる。山に行って来ようっと。

2010年8月1日日曜日

外に出かけるときには注意、の巻

 お昼少し前、そういえばこのところ余り歩いていないことに気づき、うす曇なのでちょうど良いと散歩に出かけました。ところがコースの中ほどで雲が切れ、帽子をかぶっていない僕の頭をカッと直撃し始めます。防御体制が薄くなっている僕の頭を容赦なく攻撃してきます。初めて頭髪の存在理由を実感し、見えないわが頭部の実態が想像され、手で日光をさえぎりながら早足になるのでした。
 どこかでお昼をと、めぼしいお店を探すのですが、ようやく思いついた駅前の天ぷら屋は数人の待ち人が居てしばらく時間がかかりそうです。やむなく駅構内の食堂街に逃げ込み、鳥天どんぶりを寂しく食べていると、目の前をご婦人が通りかかり、オヤという表情で立ち止まります。
 某国会議員の奥様で、「どうしたの、お一人で?」と声をかけてきます。
「あなたこそ、何をしているの?お父さんは?」
「ちゃんとお仕事をしてるよ。なんだかめちゃくちゃ忙しいみたい。私はこれから東京。」などとしばらく雑談。
 この某国会議員、はじめて出馬した10数年前から印刷物のすべてを私が企画してきたのです。10年目の記念出版も大手が、時間が足りないと断ってきたのを、綱渡りのような芸で間に合わせたのでした。
 出版祝賀会には東京まで、建築屋のひげ、カメラマンの常、スタジオのしゃれ男と4人してでかけたものです。
 お互いの家族の状況など話して、じゃよろしくと分かれたのでした。
 
 〆はやはりいつもの喫茶店。濃い目のコーヒーとマスターの渋い声で少し涼しくなって家路に着くのでした。
 きょうの反省、外に出るときは帽子をかぶろう。