2010年8月20日金曜日

憲法九条は守られるか

 「憲法九条を断固守る」という立場はわかる。だが、はたしてそう叫ぶだけでいいのか、念仏のようにとなえるるだけでいいのか?という疑問がこのところふつふつと湧いてくる。

 先日郷土史家の大先生のところにお邪魔したとき、そのような疑問をぶつけてみた。先生は「そうですね、とりあえず叫び続けることは大事ですね」とおっしゃる。そうです、とりあえずそうですが、世論は改憲の論調が盛んで、それに対する護憲派の有効な反論なり世論を動かす運動はありません。
 もはや改憲の流れを止めることはできそうにない、という気にさえなるのです。 

 障がい者団体の事務局を長年勤めているO氏と、きょうそのことを話してみた。氏は根っからの社民党支持者で護憲派の塊のような人である。「そのことはわたしも同感です。障がい者の自立や地域で生きていくためのさまざまな運動も少しずつ変わってきています。お役人の認識も変わってきました。それぞれの生活の中で地域共同体という核を単位に変えていくとしかいえないのではないでしょうか。」

 しかし、世論は結構ミーハーで浮ついていて、なにかの拍子に一気に「改憲賛成!」となりかねません。塩野七生先生も「改憲の手続きをもっと簡単にすべきです」などとおっしゃっています。

 社民党をはじめ、護憲派の皆さんは本当はどうすれば平和な国を、世界を作れるのか解ってないのではないでしょうか。もしいま政権を任されたらなにをどうするのでしょう。

 そんな疑問を持ちつつ、きょうも静かにねむりにつくのです。

3 件のコメント:

  1. 日本国憲法は時代にそぐわないという理由で改憲しようという大きな勢力がある。そぐわないのは時代の方で、憲法ではない。時代は毎年悪くなっていくのにその時代に合わせようというのは本末転倒なのです。前文及び9条の戦争放棄の宣言について、罪もない一般国民、非戦闘員の婦女子を死に至らしめるからだけで戦争がいけないのではない。戦争という状況は、普段日常に於いて善良な普通の人々(僕あるいはあなた?)を悪魔みたいな所業を平気で行わせてしまう人間にする場所であり、人間を人間でなくさせる場所だからです。自衛という名の戦争でそれは行われ続けられているのです。それは、宗教間でも民族間でも同じことです。
    すなわち、ぼくとしましては仮想敵国とされている北朝鮮、中国、ロシアなどが何らかの理由で日本を戦争侵略したとしても、日本国は国家として国民に自衛戦争を命令してはならないと思うのです。勿論、僕は個人としては、大切な人を守るため命を賭すのかもしれません。そして、死んでゆくでしょう。武器を持たない人間を平気で殺しまくる世界なんて住みたくもないといいながら。
    だから、この考え方だと、核だとか圧倒的な軍事力の持つ抑止力といういわゆる現実的対応の理屈は要らないし、関係ないものになるのです。日本は、ますます、プチ右翼が増加していますし、一流企業の社長室に必ず飾られている文芸春秋社常設執筆者、中曽根康弘、石原慎太郎、司馬遼太郎、そして、塩野七生など味方のふりをした敵に囲まれて、僕はますます孤立してゆくのです。

      文春文庫は読みますが、高みに登って下を眺める英雄  が好きな司馬遼より下級武士や浪人者を描く藤沢周平  のほうが好きなのです。

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  2.  緑雨さん久しぶりです。
    沖縄の歌手が「軍隊はいらない。もしどこかの国が攻めてきたら、抵抗せずに侵略させればいい。」と言ったことがあります。守礼の国らしいすさまじい覚悟だなと思いました。
     でもそのような覚悟は、個人としてはあり得ても国民を納得させることはできないとも思います。
     藤沢周平ファンは多いですね。でも私は少し不満を持っています。かれの小説は時代を切り取っていないと思うのです。単なる娯楽時代小説(少し言いすぎ)に過ぎないと思うのです。かく言うわたしも映画はほとんど全部観ていますが。こんどの「必死剣取刺し」にも不満があります。余りにも不自然だと、劇画になってしまうと思うのです。

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  3.  藤沢周平は時代小説家であって歴史小説家ではないのです。単に過去の時代の事件や人物を題材にしたにすぎない虚構の世界であり、最初からいわゆる通俗小説、人情娯楽小説なのです。だから、奇想天外は僕にとって望むところなのです。その彼の想像世界の一つが原作になった「たそがれ清兵衛」はとても好きな映画のひとつです。
     ついでに司馬遼について、彼もまた、司馬史観に基づいていますが時代小説家です。有名な司馬史観と圧倒的な筆力によって虚構の世界の中で主人公を実像にまで押し上げています。そこが怖く感じるところです。
     例えば竜馬。時代背景もそのままに全く違う竜馬像を想像することが出来ます。黒い大きな軍艦と大砲そして新式の鉄砲を通して、欧米の文明と豊かさを驚愕して見た竜馬はこれからの日本はこれだと確信します。極貧の彼は当時世界でも有名な武器商人だったグラバーと利害が一致し、図らずも武器売買の手先となって各藩に売り込みます。
    ついには自分でも鉄砲を購入し(グラバー邸に竜馬が千三百丁の鉄砲購入の記念碑)それを元手に日本最初の会社を設立、そして日本の富国強兵のさきがけ・・・・・・・。こう想像した瞬間、僕は全国民の敵となり、袋叩きになると思うのですが、それほど国民作家としての司馬遼はすごい時代小説家なのです。
     ちなみに、時代を切り取りその様相を描いた歴史小説の代表は島崎藤村の「夜明け前」だと思います。
     憲法9条については、とても長くなりそうです。是非是非、辺見庸「いまここに在ることの恥」角川文庫をご参照いただければと。

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