2010年5月9日日曜日

山小屋で哲学者になる

 人間、死ななくていいとなったらどうするか?ということを女房と話し合ったことがある。
はて、それはそれで困ったことになるだろう、と思う。
 いずれ死ぬと判っているから、あれをやっておこう、これも今のうちにやろう、と考えるのだと思う。
それが死なないとなると、これからの計画や、いつまでにやっておこうなどという思う入れなどもなくなってしまうのではないか。生きる目的そのものを失ってしまうのではないか、と。
 年に3万人いじょうの自殺者がいるということが社会問題になって久しい。しかし、間違えてはならないのは、3万人の人が自殺に成功したということであって、その何倍かの人が自殺に失敗し、あるいは断念せざるを得なかったということではないか。
 死ななくてもいい、生きなくてもいい、なんだかよくわからん。

3 件のコメント:

  1. ほたるの宿2010年5月10日 7:32

    人はいつか死ぬ。死なないと人間が溢れて困る。不老長寿の薬などもっての外。いかに死ぬか=いかに生きるか。などと頭では考えみるが、俄かづくりの哲学者には全く分かりません。

    返信削除
  2. そうなんです。年を重ねてきて,解らないことが増えてきているようで。これではかんたんに死ねませんね。

    返信削除
  3. 人は簡単に死ねるが、なかなか死なない生き物ですね。
    先日、こんなことを書いてひまじゃなァ・・・と思いながら読むだけ読んでそのままでした。ところが五月十四日朝七時前携帯の呼び鈴がなり兄貴の声で義兄が死んだとの事びっくり仰天早速大阪え。あの頑丈で病気しらず義兄がなぜ死んだか、顛末は次のとおり。朝五時半に家を出て畑に仕事に出かけた。五時四十分ごろ現場に差し掛かった所、前方より来た軽自動車が突っ込んで来て自転車に乗っていた義兄を跳ね飛ばし1.8Mフェンスを飛び越え谷底へ転落。運転者は55才、泥酔いで朝まで飲んで帰る途中。

    返信削除