2010年7月15日木曜日

雨ばかり、映画でも見るか

 このところよく映画を観た。
「誰がため」「ミレニアム」「オーケストラ」「ユキと二ナ」「息もできない」「ラストコーション」「私の頭の中の消しゴム」などなど。
 一押しは、「息もできない」である。
 韓国の若い監督の、初監督・脚本・主演映画だ。
 「母なる証明」という韓国映画が大きな評価を得たが、この映画はそれ以上だとわたしは思う。
借金の取立て屋をしているチンピラと複雑な家庭環境を切り盛りする女子高校生との、「生き方を探しあう」物語である。リアルに切なく、ぎこちなく不器用に、でも一生懸命なのである。
 「生意気なお店」でも、この監督のつぎの映画が楽しみということでは一致した。
「ミレニアム」も面白い映画だった。著者が亡くなってから原作が大売れし、映画化したものだそうだが、なかなかのサスペンス。早速ハリウッドがリメイクするとか。
 続編もまもなくできるそうだからこれも楽しみである。ただしこの件については「生意気なお店」とは一致していない。 
 雨ばかりである。山小屋に行くタイミングを見つけられないでいる。

5 件のコメント:

  1. 40年以上前、「映画批評」という雑誌を2年ほど定期購読していたことがある。映画についてはほとんど語られてはいなかった。2.3行の映画論評すらなく、ただ、表紙の裏に映画の広告だけ申し訳なさそうに貼りついていた記憶がある。
     ところで、出来の悪い緑雨にはどうしても理解できない監督作品群がある。その理解できないという意味は、世間の、そして世界の評価とのあまりの隔たりのことなのだが、緑雨はどうしてもその評価に追いついていけない。
     怖々と、しかし勇気を出して、思い切って言ってしまおう。北野作品のことである。劣悪と言うのではない。評価が過大ではないのかと、素人の匂いがぷんぷんするところ(主人公の演技とか、存在感の薄さも含めて)が新鮮に見え過ぎるのではないのかと、ギャグもあってそこそこ面白いが普通の映画にみえてしようがない。その普通にみえる理由はたくさんあるのだが、調子に乗りそうなので紙面(画面)が足りないということに。。緑雨は左官仕事が苦手なので、恥の上塗りをしてしまいそうで。

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  2. 「お詫びと訂正の急ぎ足」
    先のコメントでとんでもない間違いをしでかした。40年の年月は総じて優しくなるものだが、今度の一件は残酷だった。忘れ方がひどい。
    「映画批評」のことだ。ちょっと気になって、ページをめくり直してみたら、様々な映画論、監督論、で満載ではないか。
    今はただ、先のコメントをお読みになられた皆様にただただ、深くお詫びを申し上げるばかりなのです。
     どうか、お許しを賜りますように。
     

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  3. 北野作品の件、よくわかります。映画作りも演技もどう稚拙に見えてしまいます。ただ、見終わった後に、言い得ない不条理感や哀愁のようなものが残るのですね。
    よくはわからない映画です。

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  4. ほたるの宿2010年7月20日 7:44

    好んでB級映画ばかりを見てきた私には、映画について語るべきものがない。書棚にあるのも「映画を旅する」「映画、出前します」「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」「映画極道」といった類のもの。しかし、赤木圭一郎や渡哲也、高倉健などについては一家言あり。先日はDVD「ギターを持った渡り鳥」で橋正さんと盛り上がった。

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  5. どうも誘いの匂いがするのですが、その手に乗って少し喋ってしまいます。
    おいらの最も好きな映画の一つは「セントオブウーマン」なのです。秀逸は、目の不自由なアルパチーノがレストランで恋人を待っている女性にダンスを申し込み、他のお客も座っているフロアーいっぱいギリギリを優雅に踊る姿です。それはモダンタイムスの中で、デパートの吹き抜けの階上を、ハラハラさせながらも悠然と絶妙なローラースケートを楽しむチャップリンを連想してしまのです。しかも、後味がいい。
    世界は不合理と悲しみで拵えてあるので、せめて、映画、小説という想像の世界くらいは、ハッピーがいい。
    たとえ、不条理を描こうと一条の光は欲しい。
    そうでなければ、あまりに悲しい。と思うのです。

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