2014年11月2日日曜日

国民のレベルが政治家のレベル、なんだって

戸無ガ原は椎茸の時期になった。
六年もののホダギと二年もののホダギがあるが、二年ものが最盛期になったようでまさに鈴なり状態である。
ちなみに近所の住民もみんな作っているがポチポチで、我が家の出来具合を見て敵意をあらわに「どうして!?」と詰め寄って来るほど。

米原真理の読書日記のなかに山城新伍の「現代-河原コジキ考」という本のことが紹介されていて、その出版社が解放出版となっていて、山城新伍とどうつながっているのかという感想をもったのだった。
で、山小屋の帰り図書館に寄って借り出して一気に読んでしまった。
役者風情の割には結構良くかけている本で、(こういう表現を山城は好みかつ猛烈に反発するのだが、私は敬意を込めて役者風情と言う)出版社がこの本を出した意味も良く理解できる。
この人は本当に子供のようにまっすぐ、自分に正直に、差別や人間の悪意と闘って来た人なのだとよくわかる。

来年は統一地方選挙の年だ。
私の周りでもボチボチそれらしき動きが現れはじめた。
その国の国民の良識以上の政治家は生まれないのだそうだから、やっぱり国民市民がしっかりと自分の頭で考えて、政治家を選んでいく以外に新しい社会は望めないのでしょうね。

2 件のコメント:

  1. ほたるの宿2014年11月10日 8:55

    この本、持っていたはずだと探しましたが、最近本棚の移動をしたので見つけきれません。そこで、頼りにしたのが読書メモ。1997年の12冊目として読んでおり、「人生は生まれながらにして人間である」「毒舌はやさしさの裏返し」などのメモがありました。やっぱり、読書記録をとりましょうよ。

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  2. さすが、すごい!でも読書記録はたいへんですね。僕にはとても無理です。
    といっても、記憶のほうがもっと当てになりませんから、どうしましょう?

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