2012年7月19日木曜日

集中豪雨の爪あとをかき分けて

とにかくすごい雨だった。
 産山の住人に連絡を取ってみると、電気も水道も止まって公民館に避難しているというではないか。
 少し落ち着いた頃、様子を見に行ってみようと国道57号線を走るが、不思議に走っている車が無い。どげんしったろかい?と思ったが、すぐに合点。阿蘇の滝室坂が崩壊して通行遮断しているので通る車が無いのだ。
 国道から産山に入る道は4本ある。第一の道はくねくねの山道なのでパス。第2の道は急なくだりを降りていかねばならないのでこれもパス。第3の道は平坦で離合もできる道なのでこれを行こうとしたが「全面通行止め」の標識。「ええーっ、ここがだめなの!」と引き返し、第4の道へ。これなら広い道だし立派な県道だから大丈夫じゃろと思ったが、なんとここも通行止め。
 がっくり来て、引き返す。
 県境の第3の道を、ここがだめならあきらめて帰ろう、と思って入ってみた。標識は無い。狭い道には岩や倒木がせり出している。水もまだ音を立てて流れている。でもぎりぎり車1台が通るだけの道は確保されている。たぶん軽トラックであろう、通ったような轍がかすかにある。谷底には小さな橋が架かっている。あちこちがえぐられて崩壊しているが、何とか通れるようにはしてある。ここを確保しなければ完全に孤立したのだろうと後で気づいた。
 何とか山小屋に到着。電気は回復していたが水が出ない。役場に連絡してみると、「まだ回復していないところもあります」とのこと、すぐに水を持ってきてくれた。
 「良く来たね」と東京からの移住者がコーヒーを淹れてくれた。「熊本からも通れる道は一本しかないそうです」と教えてくれる。
 翌日はうそのような晴天。少しだけ片付けをして、大根を5本手土産にして帰って来た。
 
「ほたるの宿」さん、ご心配ありがとうございます。

4 件のコメント:

  1. ほたるの宿2012年7月19日 20:50

    大分の道路事情に少し明るくなったので心配していたのですが、やはり大変な状況だったのですね。土産にする大根があったのは
    幸い。うちの産山の末裔・ヒゴタイが少し色づいてきました。

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    1. 20年くらい前に竹田水害があって、直後に通ったのですが、住宅地がまるで荒地になっていました。自然の力を思い知りました。

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  2. それにしても、海、山、空からと、自然の猛威のまえに、私たちはほとんどもうタジタジです。
    一方では、私たち人間が創り出しておきながら、一旦空中に放出されると、人間の手ではコントロールできないという何かとんでもない物にしか思えない、原子力エネルギーを使い続けようとしています。
    賛成の人たちは言う、今あなたが享受している便利さだとか、豊かさを本当に失ってもいいのなら「ノー」と言いなさいと。

     「ノー」。

    「進歩」あるいは「発展」などという福音にも似た響きは人間が求めなければならない善なのだろうか。
    「進歩しなければならない」という考えは、「進歩しない方がいい」という考えと同じくらいつまらないものに思えますが。

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    1. 中津の作家、松下竜一は「暗闇の思想」で、九電の豊前火力発電所反対を訴え、「環境権」と「電気が無くても俺はかまわん」といいました。
      そういう人間らしい「わがまま」が大切なのだろうと思いますね。
      ただし、私が耐えられるかどうかは疑問ですが、最後の倫理性が問われる時には、がんばるかもしれません。

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